100日後に30歳になる日記(1)

  カレンダーを指折り数えたら今日からちょうど100日後に私の誕生日があるらしい。30歳になる。

 かろうじて若者ぶれる期限がもうすぐそこまで来ていると思うともの悲しく、せめてこれからの残り時間、かけがえのない20代を、せめて丁寧に生きようと思った。日一日をたいせつに、愛しむように過ごしたい。たくさん本を読んで映画を観て、酒やたばこを控えて、きちんと自炊もして、筋トレもして、サナギが蝶になるように三十代の私は今までとは一味違うぞと胸を張って言える自分になるために、ひとりでもひとりなりに文化的な生活を。

 § § §

 昨日、老詩人が我が家を訪れてきた。

 彼は教職を退官してしばらくの人で、付き合いはかれこれ九年前からになる。そのころ私は大学三年生で、文芸部という陰気なサークルに所属していた。
 学生食堂の二階が、部室を持たないサークルのたむろする場所になっていて、文芸部の面々もその一画に、講義と講義の空き時間だとかに人が入れ代わり立ち代わり居座っていた。
 あるとき私が文芸部の区画に立ち寄ると、食堂の卓になにやら詩みたいなものをプリントした紙が数編あった。誰かの新作? と私が近くの同期に訊くと、首を横に振られた。続けて同期は、謎のおじいさんがあれこれ質問しにきたと話し始めた。今の若者はどんなものを読んだり書いたりしているのかだとか、どんな音楽が好きかだとか、昨今の効率偏重をどう思うかだとか。なるほど厄介そうな人だと思った。部員たちは適当にあしらって帰らせたらしい。先方は自作の詩を持ってきていて、この詩篇がそれらしい。私は目を通してみた。よくわからない詩だった。末尾にペンネームと住所を書き込んである。おそらくおじいさんの家なのだろう。
 聞くところによるといかにも変な人だが、せっかく足を運んできてくれたのに、とも感じた。だいたい、このおじいさんは今の文芸部が戦前の帝大の文藝部のような活動をしているとでも思いこんだのだろう。あいにく私の所属しているところは、アニメとラノベとカードゲームを誘蛾灯にして集まった部員しかいなかった。私もそんな一人だ。
 詩の感想教えてください、だって。私が詩を読んだのを見て、同期が言う。お前は読んだ? と訊くと、触れてもいないと答えた。同期はSFものばかりを読んで書く人だった。ぜんぜんわからない詩だよ、と私は卓にプリントを戻した。そう言いながらも、私はその謎のおじいさんの空回りぶりがなんとなく悲しくて、それから何度か文芸部ブースに立ち寄るたびに、だれも手を付けていない詩を読み返して、やっぱりわからなかった。

 後日、私は末尾の住所を頼りに、文芸部の部誌を持って、おじいさんの住処を訪れた。地下鉄からほど近い戸建てで、こんな粗末な手土産で大丈夫だろうかと思った。インターホンを押すと奥さんらしき老婦人が出てきた。詩人は留守らしかった。このまえ私共のサークルに足を運んでいただき……とかなんとかしどろもどろに伝えながら、詩を頂いたのでぼくたちの作物も、と部誌を手渡す。それとこれも……と、そのおじいさんの詩に対して辛うじて浮かんだ感想を書いた紙片を渡した。私の名前と、それから当時に住んでいた学生寮の住所を末尾に記していた。これでまあフェアだろうと自分なりに考えた。彼の書いた詩やふるまいを文芸部が黙殺したように、私たちの作品も彼に黙殺されるだろう。それでこの話はおしまい。

 数日して、寮でだらだらしていると寮の事務方から内線が入った。へんなおじいさんが私を訪ねに来ているという。玄関口に向かうと、おじいさんは文芸部の部誌を持っていた。「いやいやありがとうございます。僕ぁちょっと外していたんですがこんなものまで頂いて……」と相手はやにわに話し始めた。私はこの老詩人を不器用な人だと思った。そしてそれ以上に面白い人だと思った。彼の書く詩よりもずっと。私は彼の詩の言葉遣いがそれから少しわかるようになった気がした。

 以来、在学中も音信や交流は続き、卒業後にも絶えなかった。寮を離れ汚い男所帯になっても平気で、文学談義やら何やらをした。
 私はささいな失恋で連絡先を消去してしまう悪癖があって、大学の友人はおろか地元の友達とのつながりは絶えてない。転職や転居をさらに経て、ますます人付き合いはふるいにかけられ、今や音沙汰のあるのは、学生寮時代の後輩と文芸部の後輩との二人、それから老詩人だ。

 中でも老詩人はそう頻繁ではないけれど我が家を訪れて、時事の話や何やらをしていく。
 昨日も、前もって連絡がきて、どうせなにごともない夜、彼を訪問を受けた。入れ歯の話をとっかかりにしてあれこれと話頭は転じた。相手方とは半世紀ほども年の差があるので、入れ歯談議については私はもっぱら聞き役だったけれども。
 ふと相手の髪を見た。それはきれいな白髪だった。しかし思い返せば、初めて寮の玄関で会ったときは、まだ黒いのが残っていた気がする。半年に一度くらい、酒やら何やらをもって我が家を訪れてきてくれる老詩人。私は九年間の往来を振り返って、いま改めて、彼の老いを思った。そしてそれは、私にも等しく流れる時間の力だった。当初に会ったときは私はまだ21歳、世界はきらきら前途豊かに、何者にでもなれる気がしていた。それが、どうだ。私は私の老いを思った。美しく老いている老詩人を思った。私ならとっくに禿散らかしていると思った。私は老詩人の白髪を見た。隠れていない耳を見た。角張った眼鏡越しのまっすぐな眼を見た。語るたび零れる唾を見た。しわだらけの首を見た。細身を見た。ワイシャツの上に着ているセーターの白さを見た。おもてなしに出したお茶を飲み込む喉仏を見た。指のかすかな震えを見た。背筋のしゃんとしているのを見た。組んだ足を見た。デニム地の黒色を見た。靴下の少しほつれているのを見た。私は老詩人の生活の一部始終を見た、気がした。

 もう九年になりますね、と私が切り出した。もう九年かい、と彼は応じた。あと少しで俺は30ですよ。困っちゃいますね、というふうに私は髪をかいた。白髪交じりの髪。そうかい、と彼は私と目を合わせて言った。めでたいね。

 なにがめでたい。30だぞ。長い終わりが始まるんだぞ。

 そんな心と裏腹に、私の口は肯っていた。いやぁめでたいです。ここからって感じがします。

 ことばにしてみると、めでたい気がしてくるから不思議だった。そうか。めでたいのか。そうかもしれない。そんなものなのだろうか。

 夜が更けて、老詩人を最寄りの地下鉄まで見送った。また今度、と言って別れた。また今度、という口約束がいかに脆いものか私は知っているけれど、彼とはまた半年かそのくらいあとにまた会えるだろうという楽観がある。それは九年もの付き合いのたまものであり、向こうにとっての九年は些事かもしれないが、私にとっての九年は、人生のおよそ三分の一で、私は老詩人の健康を殊勝にも案じてみたりした。十年目もよろしくお願いします、と私は静かに祈っている。

 日記。老詩人の持ち寄ってきてくれた酒が余っていたのでぜんぶ飲む。禁酒は明日から。千里の道も一歩から。明日から私が蝶として羽ばたく前準備が始まる。めでたい。

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