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100日後に30歳になる日記(3)

 3月14日は何の日か。そう、あの神アニメ映画「ポールプリンセス!!」の応援上映が1日限りで開催される。

 私はこれまで、ポールプリンセスの映画に4回行った。半分は通常上映、もう半分は応援上映。何度も足繁く通っている人たちと比べたら、まだまだ新参のファンである。
 東京では年が明けても新宿バルト9というところでポールプリンセスを日に一度は上映しているらしい。あいにく我が街札幌では、去年の12月に上映終了して以来、慢性的なポールプリンセス不足に陥っていた。やむなくYouTubeで公開されているポールダンスショーや劇中歌を繰り返し見返して、円盤発売のその時まで予習と復習を欠かさなかった。
 それが、来た。
 札幌にも。ポールプリンセス!!の応援上映が。その情報が出たのは上映日の10日ほど前からで、心はそれからずっと待ち遠しさに震え、ワクワクしていた。今回は映画本編のほかに、YouTubeの小さな画面で甘んじて観るしかなかった七つのショーも、特別に劇場の大スクリーンで味わえるらしい。
 私ははじめて、今まで生きてきて良かったと思った。悪しきこと、心が挫けそうなこと、振り返れば私の人生に障害は枚挙にいとまがなく、もうダメだと諦めそうになった夜は幾度か。もういつこの人生を終わらせたって構わない。そんな捨鉢な気分で腐っていたあの頃。それが、ポールプリンセスの応援上映を知って、私ははじめて生きたいと思った。これまでの艱難辛苦はこの日のためにあったのだと。禍福は糾える縄の如し、私の人生のあらゆる禍いを、ポールプリンセスの応援上映は帳消しにしてくれた。

◆3月14日

 前日、私は酒もタバコもやらなかったので、ひどく寝覚めが良かった。きれいな体でスクリーン越しの彼女たちに会いたかった。ポルプリは、儀式だ。
 
 私は普段より丁寧に体や髪を洗った。上映は夜の七時から。とりあえずはその前に労働がある。
 仕事に向かう道すがら吸い込む朝の空気は清冽としていて、太陽、おお太陽! 時は春、日は朝、朝は七時、片岡に露満ちて、揚げ雲雀名乗り出で、蝸牛枝に這い、神そらに知ろしめす。なべて世は事もなし。敬虔な気持ちのままに職務に励む。額にする汗のひとしずくさえも心地良く、生きているのは素晴らしい! 私はあらゆる国のあらゆる人達と握手したくなった。世界に平和を! 世界に平和を!

 仕事終わりに、上映までまだ間があったのでラーメンを夕飯代わりにした。

言葉のいらない幸せがある。

 ポールプリンセスの開場アナウンスと同時にスクリーンに向かった。百名以上は収容できる中規模室の、最前列そのど真ん中。座席から見上げると画面はずっと真上にあるように見えた。

私と画面の間を遮る座席も観客の頭の影も、余分なものの何もなく、私とポールプリンセス、その2つがあるばかり。映画が始まり、間近で星北ヒナノや西条リリアがおしゃべりしているのを観ていると、なんだか私も彼女たちの隣に並んでおしゃべりを聴いているみたいで、夢のように前半部の物語パートはすぎた。次いで後半のポールダンスショーにあっては、従来のように遠目から見たのでは飽きたらない一挙手一投足の迫力を堪能した。ダンス中の目配せや衣装の流れてゆく様をまじまじ眺め、神は細部に宿るという格言はこのアニメのために用意されていたのだろうと得心が行く。
 最後の星北ヒナノのショーでは、観客が手拍子で参加する場面があり、一回たりともトチらないぞという心意気でかねてより自宅で練習していた。受験勉強よりも勉強した。他の観客たちも歴戦の猛者、会場中の手拍子は美しく揃い、星北ヒナノの演舞をいっそう更にいっそう盛り上がらせて、応援上映の魅力は最高潮に達した。私たちはそのとき、みな、同じ感情を抱いていた。
 ――法悦。

 ポールプリンセスでいちばんかわいいキャラは、という問いは有名なアポリアのひとつであり、いかなる賢人も答えを提示できないでいる。私は西条リリアだと思う。 凹んじゃう/そんな時は/言葉なんて別にいいよ/差し出した/手のひらを/握り返してよ。 こう抜き出した歌詞の一節からも分かる通り歌も踊りも元気やパワーに満たされていて、今日、改めて映画館で観てみると、もう体中に力が漲ってくる。ありがとう、リリア。俺はお前のおかげで、これからも生きていける。これからの、ポールプリンセスの応援上映以後の人生、暗い暗い見通しのつかない道のりを、リリアの歌声その踊りを思い返すだけで、一歩そして一歩進み始める力が湧いてくる。

 映画の終わった頃にはすっかり夜が更けていた。我々はめいめい劇中歌を頭の中で思い出しながら浮足立つ気持ちで帰路を辿った。人皆に幸せが降り注げばいいと、みんながみんな祈りあった。言葉のいらない祝福があり、それを至福の時と呼ぶ。

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