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Vol.36 お迎えが楽しみ?

1テーマ100コラムに挑戦中
36/100話目

里親の研修で飛行機に乗っていくことがあった。
空港へ見送りや、お迎えに来ることが楽しみなようで
迎えに行く!と伝えてくる。
それを出来るだけ叶えられるようにしていく。

これも、その時間が終わると、何事もなかったかのようにおやすみなさいと、布団に入る。

執着心がない。
それでも、○○したいと伝えられるようになってきて
それはそれで楽しいみたい。
家の中に男性がいた経験がないようで、仕事から帰ってくると、とてもウキウキしている感が否めない。

日常、常に一緒にいるとつい小言のようになりがち。家にいる時間が少ない外で働いている人は、優しくもできるだろうし、その都度新鮮な気持ちになれたりもするから、それはそれで、大切な役割になってくれる。

具合が悪いと部屋にこもっていたり、布団の中にいても、時間を少しおいて声をかけると、部屋から出てご飯を食べたり、薬を飲んだり、気持ちの切り替えになるようだった。

欲しいと思って買ってもらったものでも、家に帰れば、どうでもいいものに変わってしまったり、喜んだ気持ちが続いていかない。
都度都度、現実の時間とすり合わせて感情を表現する。なので、ついさっき購入したばかりのおもちゃや、お菓子がそばにあっても、それを大切にするという気持ちが育っていなかった。

すみません、ごめんなさい。

それでなんでもすませてしまう。
本人は必死なのかもしれないけれども・・・・。

そうしないで入られない環境。
大人がそうさせてきた。彼女をコントロールするために。

それでも誰かを待ちわびるという感情が彼女の中に芽生えてきたのだとすれば、それはそれで大切なことかもしれない。

それをママはどう受け止めるのだろうか?

親も、感情を持たないで生きてきたとすれば、こどもも同じようになっていくのは、致し方のないことかもしれない。

でも、そのままで本当にいいのだろうか?
だれしも、人はかわいいね、素敵だねと言われた方が心地よいと思うのだ。
それを素直に受け取ることができなかったとしても、そういわれたことが一度もない時よりは、何かを受け入れられる器を用意できるのかもしれない。

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