homes!ckのお芝居
3月に入りまして
絵本製作が全然進んでません😨
なのでー、
自分LINEで〝日記〟書いてまして😑
その過去の中から、自分が役者をする上で、大事にしている事を〝かい摘んで〟
noteに晒します😟
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⚪︎演技とは
自分が思うにー
『生きること』
だと思います😐
演者が舞台の上で
『どう生きようとするか』
その向き合う〝姿勢〟の事を
指していると思うのです😑
同じ芝居でも、演ずる役者が代われば
まったく違う〝生き方〟をみせてくれる
そこに〝魅力〟を感じます😑
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⚪︎魅力を活かすためには
まず、舞台で〝生きよう(演技)〟と
しない場合はどうなるか?
当てはまる例えは様々あると思います😑
『緊張』のためか、台詞を忘れて『我』にかえってしまうとか、あるいは『欲』をだして目立とうとしてるとか?😯
役者に〝自覚があっても無くても〟
演技が上手くても下手であっても
〝実直に頑張っていても〟
生きようとしなければ
舞台の〝異物〟に見られてしまう😑
〝舞台は登場人物の物語〟
改めねば〝何度〟舞台に立っても同じこと。
その人に〝成長〟は無い。
役者としても、〝扮する人物〟としても
何にも変わる事は無い。
ただ〝こなれていく〟だけ。
それを成長と〝勘違い〟していくだけ。
…そう自分を〝律〟して役者やってます😟
〝舞台を活かすために😑〟
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⚪︎脚本😯
『生き方』として
〝日常〟と〝舞台〟を同等とみたてるとー、
一体どんな違いがあるでしょう?🤔
舞台は『脚本』を通して『物語の行末』を知る事ができます😐
日常は数秒先の未来さえも〝不確か〟で知る事ができません😯
『脚本』は役者にとって大きな〝強み〟です😑
そしてー、何より舞台は
稽古という名目で〝物語を何度も経験〟し、より良い舞台になる様にと、研鑽を重ねる事が出来ます。
唯一の不満は『脚本』という〝ルール〟から逃げられないという点でしょうか😐
『未来を〝知る〟事が出来ても、
未来を〝変える〟事が出来ない』
皮肉ってて面白い😀
改めてー
〝日常〟と〝舞台〟の違いとは?
『脚本』の存在📕
それともうーつ
『お客という第三者』の視線👁️です👨👩👧👦
舞台は常に人の目に晒された世界なんですね😳
怖い…😨
〝舞台は観られてなんぼの世界〟
なので、視観される舞台の『生き方』を
意識して自主練です。
今一度、噛み砕いて…
⚪︎役者は『舞台本番』を『脚本』の
〝設定〟により〝逸脱〟
する事は出来ない🤔
⚪︎役者は〝強み〟である『脚本』を持って、
より良い舞台を作り上げるための
研鑽を重ねる!
故にー、
『日常』と『舞台』の〝違い〟
『脚本』『台本』はとても重要
思うに😑
〝強み〟である『脚本』を、
ただの台詞を覚えるためだけのモノ
として扱ってはいないか?
『脚本』には〝可能性〟という
〝力〟が隠れています😑
それを探す為のー
『何故何故方式』
『世界の拡張』
※↑コレらは説明省きます
『脚本』を何度も読んで、
自分の力として活かす
〝努力〟と〝姿勢〟
それが『原点』
演者はもっと台本読まなきゃあかん😑
そう思って努力してます😐
だからこそ😑
役者ひとり一人がその〝原点〟を
見失わない様にしないとね🥸
それが〝活かす芝居〟へ繋がると思うのです😑
目指すはー
『伝わる世界』を作る?🤔
もしくはー
『魅せる世界』
自分は〝後者〟がシックリきます😑
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⚪︎〝心〟からの嘘で舞台を満たす
〝演技〟は『伝わる』ものと考え、
稽古から本番までを行っていると〝ある事〟に気付かされます。
『芝居』の色々な要素に対して〝嘘〟と〝真実〟の境界線を引いてみるのも良いかも知れません😑
自分の〝解釈〟を人に押し付けたくないので、
このLINE日記📔は独り言としてますがー。
曖昧ですが参考迄にー。
⚪︎台本は〝嘘〟に入ります🤔
⚪︎台詞は?これも〝嘘〟に分類でしょうか😐
⚪︎役者はどうでしょう?思うに〝嘘〟に分類です🤥
⚪︎音響や照明は?舞台上に置かれるセットは?
⚪︎役者が身にまとう衣装や小道具は?
⚪︎〝消えモノ〟も本物を使っていたとしてもー
おそらく、その全てが『嘘』です。
舞台に『設定』が存在する限り、
『嘘』という〝概念〟から抜け出せません。
多分ネ😑
では今度は『真実』を探してみます🥸
お芝居をする上で〝真実〟はあるのか?
先程、舞台に『設定』が存在する限り、
『嘘』から抜け出せないと述べました。
どんなに探しても〝真実〟は見つからないのでは?
と思うかも知れませんがー。
あります。…残念ながら🫤
それはー
『事故』です😑
⚪︎演技中にセリフを忘れた💦
⚪︎小道具持ち忘れて舞台に出ちゃった💦
⚪︎音響照明トラブっちゃった💦
⚪︎暗転中に舞台から堕ちて怪我した💦
⚪︎震度7強の地震が発生!上演中止‼️💦
⚪︎吊るし落ちて大事故。あ、役者死んじゃった…😟
これらが『芝居』に於ける、ひいては本番の『舞台』に〝絶対〟あってはならない〝真実〟です😐
だって、芝居が続けられません😑
まあ、大袈裟かもしれません🫤〝大なり小なり〟を
まとめて、悩んで『事故』と〝表現〟しました。
⚪︎俺が言いたいのはココから
↓ココが大事🥸
『事故』(真実)それに『付随』するものに〝演者〟は気を付けなければと俺個人は考えています。
『付随』するもの
『素の自分に戻る』です😐
『素に戻る』『自分に戻る』『野心を懐く』表現は色々です。
同義として『羞恥心』もあるかもしれない😯
『素に戻る』と『羞恥心』は芝居において〝真実〟に分類します😑
役者の本性、恥じらい、素顔。本来なら舞台上に持ち込んではいけない要素。
◇これが俺が考えた舞台に於ける
『嘘と真実の定義』です🤥
お芝居をする上で
〝嘘〟で構成された舞台では〝真〟は『異物』😑
客席に届いてはいけない〝真実〟(リアル)😐
多分だよ😟
前置き長いけどー、
演者は〝本気の嘘〟を身につけ、舞台に立たないとダメだと思ってます🥸
〝演技〟は『伝わる』ものと述べました。
では、客に『伝わる』ものは〝何〟であるべきか?
◇芝居の方程式
『生き方』
舞台(演技×役者)=心❤️
【偽物】【嘘】×【嘘】【本物】
数式の(−)マイナスどうしを(×)乗算すれば(+)プラスになる様なイメージ?😑舞台上の嘘が掛け合わされば、それは〝本物の嘘〟となって客席に伝わってくれるんだと思うのです。
俺の本粋の嘘は誰にも見抜けない🤥
多分😑
…ここまで書いてあれだけど、+とか−とか、
そんな単純で簡単な話ではないと思うのね😑
舞台はニセモノでも、お客さんのもとへ届く物語は、いつだって演者が経験してきた〝心からの想いであれ〟と願ってやみません🥸
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⚪︎嘘と真実
例えばー。
公演期間中の芝居の稽古😑
幾度かの立ち稽古を終えて、それなりに立ち回り、台詞などを覚えてきた頃。
客席にもう1人の『自分』を置くー。
自分を〝俯瞰〟して〝観る〟
…。
とか書くと、〝ややこしい〟ので🤔
もっと簡単な例えをばー。
…。
A.『1,000円払ってくれたお客さん』
B.『お芝居に全く興味ない高校生』(思春期😨)
この両名に、自分の立ち稽古を見てもらったとして、その『反応』を〝想像〟してみた時に🙄💭
『このAとBを〝ギャフン〟と言わしめるくらいの
〝演技〟出来てるかな?』
ーと、考える。
◯詳細を書くと
Aは芝居(嘘)を肯定する目🙂(嘘下手でも許す)
Bは芝居(嘘)を否定する目😒(嘘にドン引く)
さて、自分の〝成長〟に必要な相手はどちらか?
この意識を〝常に持ち歩くか否か〟で自分の成長は段違いに〝変わる😐〟と思う。
ややこしい例を、もう一つ😑
ある『芝居』の〝役〟を演じます。
その『芝居』の、流れ〝始まり〟から〝終わり〟迄を①〜⑩とした時にー、
近しい人間。例えば親類家族、友人、恋人は、①〜⑩どのあたりで〝嘘〟を〝本物〟として捉えてくれるだろうか?😐
どんなお客さんも、客席にいる時は〝嘘〟と理解した上で観劇してる訳だけど、演者の『仕事』は、そんな人達の目を〝本物〟として舞台を写させるのが『仕事』だと思うのです。
近しい人間が、自分が演じる役を〝始まり①〟から
〝本物〟として魅せられたなら…
想像したら〝ゾクゾク〟しますね😟
それを目標に常頑張ってます😯
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⚪︎台詞は身体で覚える
弄っとするから言葉(台詞)が出る。
助けたいと思うから身体が動く。
好きになるから目が離せなくなる。
『感情があるから〝思考と行動〟がある』
その感情の発生原因は?
他者との接触、或いは衝突。
ずっと日記で書いてる事で
『台詞は身体で覚える』ことが
やっとスタートラインです。
感情の反応に応えられるよう、
台詞は頭じゃなく身体で覚える必要があります。
そこから〝稽古〟を経て〝本番の舞台〟です😐
コレが出来てない状態では何やっても無駄です。
それを目指す〝努力〟と〝姿勢〟が
心を動かす😑ハズ
多分😑
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⚪︎役者歴20年😑
こんな事を繰り返してきて、
気付けばお芝居歴20年です。
お芝居が楽しくて
続けてこられました。
何事も一番大切なことは
〝楽しい〟と感じる事だと
今なら分かります。
笑いあえる環境、
切磋琢磨出来る間柄、
素直に認められる強さ、
それを忘れずに、いつ迄も励んでいきたいです😑
…。
……。
………。
…絵本描きたいです😟
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