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もしも・・・

自坊の本休寺では、何気に非公開な集まりも行っている。本日は、月一の子育てサークルで関わられた方々(リピーター)との茶話会。
毎月、茶話会前に写経や写仏などを30分ほど行っている。
今回は「もしバナゲーム」を行った。余命半年ほどの状況で自分が何を望むのかを考えるカードゲームです。

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参加者は珍しく少なくて2名(うち1名は妻)で、自分も含め三名で行った。選んだカードとその理由をシェアするのだが、自分も他者も以外なカードを選んだりしている。妻の死生観や自分の死生観を感じるひと時であった。
さて、仏教は四苦すなわち「生老病死」を問題とし、特に死苦は大きな問題としている。苦しみの原因は欲望、渇愛であるが、それを超えることは難しい。有限な命故に起こる問題であり、無限に生きられたらまた違う悩みに苛まれるのであろう。私のような凡人は、無限な命を得れば、今以上にいい加減に生きることになり、充実した生活を営めるだろうか?とも考える。

日蓮聖人の『妙法尼御前御返事』に下記のような文章がある

夫れおもんみれば日蓮幼少の時より仏法を学し候ひしが、念願すらく、人の寿命は無常なり。出づる気は入る気を待つ事なし。風の前の露、尚譬にあらず。賢きも、はかなきも、老いたるも、若きも定め無き習ひなり。されば先づ臨終の事を習ふて後に他事を習ふべし。


死と向き合うことで、見えてくる生、そこに横たわる問いと向き合うことは辛い作業になる場合もある。必ずしもしなければならないとは言わないが、寺院・僧侶として促し続けていきたいとは思う。個人的に話し合いでこれ家族でやってみると違うものが見えるのかもしれないとも感じた。

人間以外の動植物がどのように感じているかは不明だが、死を認知するが故の恐怖とも言えよう。そう考えてみると、認知症になるのも一つだなんて思ったりもする。周りには迷惑なんだろうが・・・


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