ないナイ
7月2日の朝日新聞の天声人語は、井上陽水の『傘がない』から始まっている。我々のあり方、平和や優しさを失っていないか?という疑問を示している。
井上陽水と言うと個人的には『少年時代』が好きだった。
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に井上陽水の[ワカンナイ]が作られていく過程が書かれている。シンガソングライターの力に驚くが…。
一方でワカンナイにあるのは、所在のなさだろう。
ないは仏教でも明かりすなわち智慧がない「無明」が問題となっている。
私達には根本的に欲望があり、そのことを自覚し制御するということが難しいということを意味している。
人生における不安や生きる中の苦しみは、生きている限りついて回る。そこで見えてくるのは、頭で分析してわかるだけでなく、身でわかることも必要性であろう。
そのためにブッダは出家を選び、教団がつくられた。日常的な生きるための生業ではなく、僧院の中でただただ修行する生活が必要なのであろう。僧院で修行し、世俗の欲望から離れるには、よき習慣が必要となるし、在家の方々からの支援すなわち布施が必要となる。
出家者(僧侶)が自らを厳しく律することは、自らの修行のためにも、出家教団(修行しつづける環境)を維持するにも必要となる。その意味でも戒律が必要になったのであろう。
こんなことを書く、考えるはできるが、行動できているか?と言われると…やはり所在がない。
ワカンナイと言って煙に巻こう。
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