にもかかわらず

過日、友人たちと話あった。今後の仏教や寺院のあり方を話あった。
個人的には、あまりこれからの寺院に関してポジティブには捉えていない。社会の変化に、自坊も含め多くの寺院が対応出来ているとは思えない。
社会が人口減少、少子高齢化し、国が社会保障を減らす方向であり、生活者が葬儀、供養に回せる経済力を失っていく。それを寺院の都合でなんとか出来ないか?というのは難しい。
おそらく、自坊も経済的に行き詰まることになるだろうと思うと話した。
一方で、寺が諸行無常でなくなっていく、だから何もしなくて良いとは考えてはいない。宗教法人は無税であり、社会へ何某かの貢献ができるならするべきと考えている。(住職ノ年齢や属性があるから、一概にこれとは言わないし、出来ない環境の場合もある。)個人的には、経済的に行き詰まるまでは、寺をもちいた文化活動への支援(自坊であれば、ヨガ教室やリトミック教室、フラダンス教室への場の提供、ビブリオバトルや写経会など)や社会貢献(応援消費や介護者カフェなど)を行いたいと考えている。しかし、これで檀家が増えるとかはないし、寺院がこれで利益を生み出すはない。むしろエアコン代などでお金を使っている。
金銭的利益だけを考えるならば、馬鹿にしかみえない。うちが左団扇な寺院なわけでもないから…住職の道楽とも見えないわけではない。
しかし、墓じまいならぬ経済的寺じまいになりそうだから、何もしないで消えるのを待つのか、それとも経済的になりたたなくとも、存在に値すると認められてコミュニティから存続を期待される寺院になれるか?に関してはやりようがあると考えていて、行動している。
事実を事実として認めた上で、それでもあがいてみるの領域にいるのだと思う

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