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想像力

7月11日付けの読売新聞朝刊の人生案内は、妹の配偶者がなくなり、話を聞いて、自分も一人になることが怖くなった女性の話が出ている

ある種の想像力であり、予期悲嘆とも言えるかもしれません。残される人間としての想像ができ、自分ごとと捉えられるのは立派ですが…想像力がありすぎるのも大変だと思います。本来、相手の立場に立つ、視界を変えるというのは、なかなか難しいことだと思います。相手に憑依する、その立場でものが見えるというのは、ホスピタリティとしては立派だと思います。一方で、そこから自分の将来を考えることができるのも素晴らしい先見性ともいえるように個人的には感じます。

しかし、そのことに固執して今を生きられなくなるというのは、本末転倒とも言えましょう。

精神科医の野村総一郎先生は、相談者の最後の言葉「心の持ちよう」に触れ、以下のように答えています。

これは一種の老いの準備と考えてはどうでしょうか?あなたの恐怖は、老いの先にあるものを意識した、自然の流れだと考えるしかないのでは。

と述べています。見方を変えるという考え方は、人生の岐路に立つときに役に立つのかもしれません。

為末大『諦める力』では

今いるところが最高で、そこから下がればマイナスと考えると、現状にしがみつくことになる。それは結果的に行動や思考を委縮させることにつながる。今を守ろうとしても守れないという状況だ。成功という執着や今という執着から離れることで、人生が軽やかになるーこれが僕の言いたいことである。(243頁)

「今を守ろうとしても守れないという状況だ」は先ほどの人生案内も同じだと思う。人は生まれればなくなる。順番もわからない。いつ自分の身になるか・・

一方でそれに固執するのは、結局無駄でもある。悩んでも回避できないから・・だとすば諦めるしかないのであろう。

ただ、諦めるのは自分でしか行えない。誰かが指摘はできるが、生きるのは自分だからだ。

ブッダの『真理のことば』(ダンマパダ)には以下のようにある。

心は、捉え難く、軽々とざわめき、欲するがままにおもむく。その心をおさめることは善いことである。心をおさめたならば、安楽をもたらす。心は、極めて見難く、極めて微妙であり、欲するがままにおもむく。英知ある人は心を守れかし。心を守ったならば、安楽をもたらす。(15頁)

人間はそもそも自己中です。自分の視界でしかものが見えない。そのことを認識したうえで、メタ認知するということが必要なのでしょう。

捉われない心か・・・

お盆時期でお経回りもあり、パーリ語の学習もあり、読書が進まず。積読が増えていく・・・。

実は時間が足りないと思っている私・・これも捉われているとも言えそうです・・・反省

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