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姉から弟に捧ぐ『王さまのアイスクリーム』論

親愛なる我が弟よ

20代も半ばに差し掛かり、
社会の荒波に揉まれているであろう君に捧げる。

『王さまのアイスクリーム』という絵本を知っているか?

知らない?そうだろう、おまえはねぇちゃんと違ってまったく本を読まなかったからな。

アメリカの女流作家、フランセス・ステリットが書いたこの物語は結構有名だから、大抵の図書館においてあるはずだ。
ねぇちゃんも小学生のころ学校の図書室で読んだ。

簡単にあらすじを説明すると、
むかしむかしあるところに、自分が毎日楽しみにしている3時のおやつのクリームに、注文をつけまくる気むずかしい王がいて、その注文に振り回されるコックたちの話だ。

コックはその娘たちも巻き込み、ひらめきや偶然を味方につけながら、最後には王のお気に召した『アイスクリーム』が出来上がる。

話にでてくる王は、権力をカサに最初から最後までわがままを押し通して、最終的には美味しいアイスクリームまで手に入れる、ちょっといけ好かないやつだ。

コックたちが一生懸命、美味しいクリームを作ろうとするのを横目に、「こんなに美味しいの作れるんだから、もっとおいしいやつ作ってよ!でなきゃおまえの大事なガンプラ壊すから!」という意味不明な言動を終始一貫して押し通している。

どこかで聞いたセリフだって?
そうだな、ねぇちゃんもどこかで言ったような気がしないでもない。

それはともかく、わがままな王と虐げられるコックの関係に、別の見方もできると思わないか?

例えば、このわがままな王が自らの欲望を最大限に出さなければ、クリームは永遠にクリームのまま、アイスクリームになることはなかっただろう。

材料や器具もなく、自由にならない身分でありながらも知恵をしぼったコックとその娘たちは、わがままな王に虐げられる立場であったからこそ、火事場のバカ力を出せたのかもしれない。

つまり、
一見ただの傍若無人な振る舞いが、周りの人の力を引き出す助けになることもある。

そして、制限された環境下においても、できる限りのことをやり続けることで想像を越える成果を出すときもある。

ねぇちゃんはこの絵本にはそんな、隠された偉大なるメッセージが隠されていると思うわけだ。

どこかで聞いた話だな。聡いおまえならもう気がついているだろう。
そうだ、王はねぇちゃんで、コックがおまえだ。

ガンプラを壊されまいと、半泣きでスイカバーをコンビニに買いに行っていたおまえの姿を、今も昨日のことのように思い出すよ。

しかし、この『王さまのアイスクリーム』論に当てはめて考えてみてくれ。
傍若無人な王こと姉の世話を焼き続けた、コックこと弟が、その経験から優しいジェントルマンに変貌を遂げ、大人になってからモテモテになる…。

将来モテモテになるなら、わがままな姉貴の面倒も見れるというものじゃないか。なぁ弟よ。
え?一度もモテてた記憶がないだと?

おかしいな。きっとお前が気がついていないだけだよ。

それはさておき、当時はそんなモテへの長期戦略的考えは思いもしていなかっただろう。

でも、もしおまえがこの先、傍若無人なカノジョ(カレシかもしれないが)や上司に出会ってしまっても、この絵本とともに、ねぇちゃんと過ごした日々を思い出せば、冷静になれるはずだ。

決してねぇちゃんの過去を正当化したくてこんなことをを言っているのではない。

心からかわいい弟の幸せを願ってのエールだ。

何はともあれ、ねぇちゃんはおまえを応援している!

今度『王さまのアイスクリーム』の絵本を家に持っていくから、それを肴に酒でも飲もうか。

編集:アカ ヨシロウ

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