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自分の書いた文章が愛おしくってしょうがない

自分の書いた文章が好きだ。
文章を書き始めた、子供のときからずっとそうだ。 

べつに「わたしすごいうまい!」とか思っているわけではない。
読み返したときの心のコンディションによっては、死にたくなるほど恥ずかしいときもある。むしろ否定的に思うことのほうが断然多い。

ごくたまに調子に乗って(多分お酒を飲んでいるとき)なんて素晴らしい文章だ!とニンマリしていることもある。

そんな色々な感情全て含めて、「愛おしい」という大きな気持ちだ。

それは、文章が自分の存在を肯定するからだ。

これは私に限った話ではないし、文章を書くこと以外にも言える。

仕事で営業をしている人なら成績や自分が契約したクライアントの存在。培われた人間関係。

総務が主な仕事なら、試行錯誤しながら効率良く捌いた書類や伝票、その先にある社員の嬉しそうな顔。

そうして積み上げられたスキルが、別の仕事や環境で生かされると、きっと嬉しいはずだ。

その気持ちはわたしの文章への愛情と似ている。

書けば書くほど正解がないと思い知る。この構成でベターなのか?この表現で伝わるのか?

そんな風に自問自答しながら、修正と校正をひとり何度も繰り返して文章は完成していく。

自分の遺伝子を持って生まれてくる、子供のような存在に近いかもしれない。

実際には子供は親の作品ではない。作品もその人のすべてを表しているわけではなく、一側面の投影に過ぎない。そうだとしても紛れもなく作者自身を反映している。

だからわたしは自分の文章が好きだ。

もちろん、たくさんの人に読んでもらいたいし、感想も聞きたい。

でも、誰にも読んでもらえなくても、生み出されて、この世に存在しているだけで十分幸せだ。

この気持ちはずっと大切にしていたい。

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