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【骨先生の#自己紹介】ダンス業界から運動指導者業界へ、そして骨先生として全国へ行き商業出版を叶えるまで


はじめまして。骨先生こと柴田郁恵といいます。

まずは自己紹介とnoteで発信していきたいことを書いていきますね。

1983年 5月2日 埼玉県所沢市生まれです。現在は東京都三鷹市で年中さんの女の子を育てながら、全国各地への出張とオンライン(ZOOM使用)にて骨を意識するだけで痩せるセミナーを自主開催しています。過去を振り返っていくので、長いと思ったら適当に読み飛ばしてくださいね!

私は幼い頃から身体が弱く、小児喘息のため入退院を繰り返す日々を送っていました。喘息にいいと言われ、水泳を始めてみましたが、風邪や中耳炎に度々かかり体調悪化で本末転倒のために断念をしました。

幼稚園の年長の時に、たまたまバレエ教室の広告を見た母親がバレエを習わせたことをきっかけに踊ることに目覚め、喘息でレッスンを休みがちではありましたが、それ以降大学卒業までレッスンを続けました。

中学校時代はモダンダンスにも興味があり、全国大会優勝レベルのモダンダンス部とバレエの両立で超多忙な日々を過ごしました。

高校時代になると創作活動にも目覚めはじめ、体育祭で応援合戦のダンスを振り付け指導したことをきっかけに、ダンスの振付けや演出を学びたいという思いが強くなり、日本女子体育大学(ニチジョ)の舞踊学専攻に4期生として入学しました。

ニチジョでは、様々なジャンルのダンスの実技、理論を学ぶだけでなく舞台作品や公演全体の演出なども学び、創作活動に精力的に取り組み、いくつもの作品を発表してきました。

けれど、当時の私はどこか自分を諦めていて、プロとしてお金をもらって振り付けをしたり、舞台人として第一線でやっていくことは無理だと思っていました。

そもそも、私にはプロにとって最も大切な「好き」という情熱が足りなかったんです。

人を押しのけてでも前に出て踊っていくアグレッシブさもなかったし、自分より上手なダンサーもたくさんいたので、自分の本当の「好き」や「人よりうまくできること」はどこにあるんだろうと思っていました。


けれど、それは幸運にも在学中に見つけることができました。同級生の紹介で大学4年時から墨田区の生涯学習センターでキッズダンスの講師を担当することになりました。

自分が踊るよりも、 「人に教えるほうが好きだ」と気がついてからはニチジョと両立しながら、日本では数少ないバレエの教師の課程を修了しました。

さらに、「子ども好き」を生かしたいと幼児体育指導者、チャイルドマインダー、チャイルドコーチング資格取得も取得していざ就職・・・はしなかったんです。

就活の際に、当時ほぼ金髪だった髪を真っ黒に染めたら(脱色していたのでそれはキレイに染まりましたが)すっかりやる気がなくなりまして。

そもそも、1限に出るための満員電車も嫌気がさしていましたし、就職してこれに毎日乗ると思うと耐えられないと思いました。

さらに、たとえ先生や目上の人であっても、納得できない、自分が嫌なことは従わない頑固な性格で、度々あちこちで騒動を起こしていましたから、運良く会社員になれても何かしらやらかすだろうと自覚していました。

ですから、潔く!就活はやめ!(本当は単純に就活が面倒だったのもあります)フリーランスで働くことに決めた私は、クラスメイトが就活に励む中黙々とフィットネスクラブやカルチャースクールの講師募集を探し出し(今のようにネットも便利ではなかったので大変でした)にあちこちに応募しました。

卒業の頃には、週に数件のレッスンの業務委託契約を結び、現場指導を開始しました。当時ブームが始まっていたピラティスや、すでに人気になっていたヨガのインストラクター資格、個人指導の資格等も、社会人1、2年目に取得して週の担当レッスンやパーソナルトレーニング数は20件ほどになりました。


一見順風満帆にフリーランスの運動指導者としての道を歩み始めたように思えましたが、25歳のときにギックリ腰を経験し、それをきっかけに徐々に自分の内側にあるモヤモヤに気づき始めます。自分が本当は身体的にタフではなく、かなり無理をして心身をすり減らしながら、歯を食いしばって日々のレッスンをこなしていることに。

その後は、自分をごまかしながらレッスンをしていました。30歳までに結婚して子どもが欲しかったので婚活をして(ここでは婚活についてはサラッと流す)28歳で結婚し、仕事量も扶養の範囲内に減らしました。ですが、カラダは楽になったのに何か埋まらない心にモヤモヤしていました。

その後30歳で妊娠出産(これは壮絶だったのでまた改めて)を経験しました。当時、妊娠がわかった時点でほとんどのレッスンは契約上辞めなくてはならず、翌月からレッスン料が振り込まれないにも関わらず、昨年度分の税金や社会保険料を支払いながら、高い妊婦健診料にヒーヒーいうという苦しい時期でした。自分の金銭感覚の危うさにゾッとじた時期です。

そんな苦い経験があったので、産後半年ほどでようやく今後のキャリアプランについて(そんな大したものでなありませんが)考えたとき、どうしても以前のような業務委託契約でフィットネスクラブやカルチャースクールの現場に戻るということが考えられませんでした。

あれはあれで楽しかったけれど、何か言い表せないけれど本当の「好き」ではなかったし、自分を偽って頑張っていたという自覚はありました。

だって、本当の私は、実は運動がキライだし、苦手なんです。在学中含めて約10年ほど運動指導者をしてきましたが、そのことは封じ込めて業界の雰囲気に、空気に、周囲に合わせていたのです。上司であっても言うことが聞けないだろうから就職しなかったのに、これではフリーなのに全然自由ではないですよね。

本当の私ときたら、大の運動嫌いでして、汗をかいたり、日射しを浴びての屋外スポーツなんかも全くやりたくないです。(そんなこと非常識だと言われると思ってかつては言えなかった)

さらには、走れない・泳げない・球技出来ないという具合に、まさに運動音痴の3重苦です。何の自慢にもなりませんが、自転車も苦手で、子どもを産んでから必要に迫られ一生懸命に乗り始めました。あ、しかも電動。

出産後、そんな自分の本当の姿に気づくのと同時に、自分の10キロ増、ウエアのサイズがXS→XLまで膨れたカラダをどうにか戻さないと、そもそも指導の現場には戻れないという問題もありました。またレッスンをしたい、現場に戻りたいという一心で、カラダの基本に立ち返り「骨を意識する」という方法で、育児中の姿勢など日常の動作を徹底的に見直しました。当時の私には、初めての育児に必死でトレーニングをしに行く時間もそしてお金もなかったんです。

それでも、骨を意識した生活を地道に継続すること1年半、なんとビックリLLからXSに戻ることができました!しかも、運動キライの私ですから、汗をかくような運動は全くせずにです。しんどい筋トレも、有酸素運動もなく、痩せられた(体型が変わった)ことに自分自身も驚きました。

それから、試行錯誤した後、この経験を元に考案したオリジナルコンテンツ「骨を意識するだけで痩せるセミナー(骨セミナー)」をリリースし、骨先生と名乗り(商標登録済)北は北海道、南は九州まで全国各地へ行くことができました。そしてオンライン受講も合わせると、すでに400名以上の方が骨セミナーにご参加くださっています。本当にありがたいです。

そして、いよいよ来月末にはあの、サンマーク出版さんからこのメソッドをまとめたダイエット本の刊行が決まっています。

さて、ここまで私の自己紹介や職歴などをお読みいただいてお気づきかと思うのですが、私は並外れた身体能力の持ち主なわけでも、後ろに大物プロデューサー(響きが怪しい)がついているわけでもありません。

自分の得意や好きを見つめ
オリジナルコンテンツを作り
自分の手で売る

そんな一般的なフリーの運動指導者がやっていない3つの要素をすべて自分でやったことなんです。もちろん、1つずつの要素を見てみればやっている人はたくさんいます。ですが、この3要素すべてを1人でやっている人は(特に女性でママならなおさら)ほとんどお会いしたことがありません。

自分の得意や好きを見つめ
オリジナルコンテンツを作り
自分の手で売る

これらは、そう簡単なことではありませんが、2016年からのわずか2年半ほどで、全国展開、そして商業出版を叶えることができるからには、とても重要なことだとお分かりいただけるでしょう。

今後このnoteでは、私がこれまでどのようにして上記の3要素を満たしながらフリーの運動指導者として活動してきたかを書いていきたいと思います。

これから運動指導者を目指す方や、出産などで一旦現場を離れた方の再出発、また転勤などで住む場所が変わってしまった方など、いつからでも、どこででも、輝いて自分らしいレッスンができる人の役に立てるように書いていきます。

どうぞ今後の活動を応援していただけましたら嬉しいです。

もくじと大事にしている内容のことをちょこっと書いたのでこちらの記事もどうぞ。


骨先生こと柴田郁恵


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