Wikipediaを、信ずる事が出来ぬ、というのです

最近『走れメロス』を読み返したことは既に書いた。

読んでいて「シラクスの市はシラクサのことだな。アルキメデスがいたところ」と思ったわけだが、それ以上のことを調べようとはしなかった。

数日経過してふと思う。アルキメデスが死んだところでシラクサはローマに支配されたわけで、そうなると当分の間シラクサには王はいない。では邪智暴虐の王がいたのはいつなのか、と。気になるので簡単に調べてみた。

『走れメロス』は古代ギリシャのピタゴラス派の団結力を示す逸話として伝えられている『ダモンとピュティアス』が元ネタである。邪智暴虐の王こと暴君ディオニスにも実在するモデルがいる。Wikipediaによれば、これはシラクサの僭主ディオニュシオス2世であるらしい。

新プラトン主義者であるカルキスのイアンブリコス(240年頃 - 325年頃)が著した『ピュタゴラス伝』(De vita pythagorica) では、ディオニュシオス2世が治めるシケリア島(現・シチリア島)のシュラクサイ(現・シラクサ)が舞台となっており、のちにコリントスに追放されたディオニュシオス2世が体験談として哲学者で音楽理論家のアリストクセノス(紀元前4世紀頃)に語ったものであるとされている。

走れメロス - Wikipedia

『ピュタゴラス伝』に収録された内容は次のとおりである。ピュタゴラス派に反感を持つ者たちの口から発せられた事実無根の告発または冗談によって、ディオニュシオス2世からピュティオスに対して、王に向けて陰謀を企てた罪による死刑が申し渡される。

走れメロス - Wikipedia

このディオニュシオス2世は、プルタルコスやネポスの『英雄伝』に悪役として登場している。そこでプルタルコスの「ディオン」を読み返す。ディオンはシラクサをディオニュシオス2世とその父ディオニュシオス1世との関わりが深い。彼の生涯を読めば、メロスの時代のシラクサの状況が分かるというわけだ。

 読んでみて思う。「父親である1世の方が人を信じていないな」と。ディオニュシオス1世は「思慮ある者なら僭主に従うよりもみずから僭主になろうとするものだと知っているからだ」と述べ、常に味方への警戒を怠らなかったとある。そんな1世の逸話を紹介しよう。

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