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週プレで処女の見分け方について書いた

今週は俺の連載が掲載されている。

今週号の表紙は控えめで手に取りやすいなと思ったら、Amazonレビューは水着が少ないと否定的なコメントが並んでいて面白い。確かに継続的に買っている人は水着グラビアが好きだろうから、このような感想を持つのも分かる。

グラビアの方は控えめだが、俺の記事の方はやや過激。今回のテーマは「処女」であり、『処女の文化史』を2冊使って書いた。

切り口は「処女の見分け方」について。時代や地域によって処女の価値は異なるけれども、権力や財産が絡むと重要になりやすい。さらにキリスト教は宗教的に処女を重要視したのだから、ヨーロッパにおいて長らく処女が求められたのは当然だろう。もちろん、ヨーロッパにおいて処女を有害と捉える考え方もあったのは、以前noteに書いたとおりである。

ともあれそんな重要な処女というステータスであるが、一つ大きな問題がある。それは処女と非処女を見分けられる、身体的な証拠が無いということだ。相手が処女かどうか知りたいのに、見分ける方法が無い。ゆえに人類は想像力豊かに、様々な手段を用いて処女判定をしようとしてきた。今回の記事はそれを紹介するものである。

処女の見分け方については記事を読んでもらうとして、俺がこのnoteで書きたいのは別の話である。処女を見分ける必要性が無くなっても、人は処女を重要視するのだろうか。

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