れいたへ

本当は れいたさん と呼ぶべきだけど、呼び捨てが体に染みついてしまっているので、本稿でも呼び捨てにすることを許してほしい。

ガゼットに出会ったのは高一の春だった。
同じ寮の友人が自室でガンジスに紅い薔薇を流していて、イントロのベースラインにすぐさま虜になった。
友人から借りたSTACKED RUBBISHをiPod miniに移して、通学時どころか休み時間にも聴いた。ブレザーの左内ポケットにiPodを入れて、そこからイヤフォンを左袖の中に通し、頬杖をつくフリをして授業中にまで聴いていた。

ヴィジュアル系というジャンルは全く知らなかったけど、友人に教わったV系専門のCDショップに通い、NILもDISORDERも、絶頂絶景音源集も別れ道も、その他シングルも全部手に取った。坂道を転げ落ちるようにという言葉がピッタリなくらい、どんどんどんどんハマっていった。

秋には初めて、ライブにも行った。

ヘドバンのやり方が分からないなりに首を振ったり、近くにいた上げ師さんのお言葉に甘えてコロダイをしたり、見よう見まね(聞きよう聞きまね?)でデスボイスで叫んだりした。生意気にも、メンバーに向かって「ががっでごい"や"〜〜!!!」と叫んだ。
棒立ち新規は安ピン隊に狙われる という噂に怯えながら、前列のお姉様方を見て赤いワンピースの振りを覚えた。前にいた髪の長いお姉様が、ヘドバンの後にこちらを振り向き「髪当たりませんでしたか?ごめんなさい!言ってくださいね」と声をかけてくださり、なんてあたたかいファン層なんだろうと思った。

そんなライブの思い出は数多かれど、何より、私はこの日を境にすっかりれいたが大好きになってしまった。
足を大きく開いて腰を落として、体全体でリズムを取りながらベースを弾く姿は本当に格好良かった。指ではなくピック弾きなのもこの時初めて知った(ライブから数日後、れいたのピックを買いにESPに行った)。

自分語りをするのは控えたいが、幼い頃から「箱入りのお嬢さん」だった私(「お姉様ごきげんよう」の小学校で育ち、高学年までampmやマクドナルドを知らなかった)の世界は、ガゼットと出会って急激に広がっていった。

ライブで見たお姉様たちに憧れてパンクな服を着てみたり(KERAショップに着いてきた母は卒倒していた)、れいたモデルのベースを買ってもらってスクールに通ったり。
ガゼットを通じて知り合ったバンギャ友達の中には、16歳にしてすでに働いていた子や家に居場所がない子、自分とは正反対の環境で育ちながら私の何十倍も人間のできた子もいて、自分がいかに限られた範囲でしか「世間」を知らなかったか、身をもって感じた。

一方で同じ趣味の先輩後輩とも仲が深まり、その延長で組んだバンドは高校生活一番の思い出になった。この時のメンバーとは、互いに妻や夫、親になった今も連絡を取り合っているし、多分この先も変わらないと思う。そういう意味で、ガゼットのおかげで大切な友人を得た。

考えれば考えるほど私はガゼットやれいたにいろいろなものを貰っていたのに、何も返せなかった。
歳を重ねてライブから足は遠のいたし、必ず買い揃えていたシングルもサブスクで聴く程度になったし、ライブ告知を見ても「久しぶりに行きたいなぁ」と思うだけになっていた。
大人だからあの頃よりお金があったし、ライブもCDもDVDも、学生の頃より思うままにできた。でも大人だから「またそのうちね」と後回しにしてしまっていた。

そうしたら、ずいぶん遠くに行ってしまった。

もうあの姿をライブで見られないこと、あの声をラジオで聞けないこと、何よりもこの世界でれいたが息をしていないということが信じられない。
どうして とか 何で? とかいろいろな思いが湧き上がっては沈んでゆく。沈んだ疑問に悲しみが覆い被さって、涙が出てくる。

ライブに足繁く通い続けていた頃からは随分時間が経ってしまったけど、ガゼットの曲をランダムに流している今この瞬間も、まるで昨日ライブに行ったばかりのようにれいたの姿を鮮明に思い出せる。

いつもベースだけでなく身体中で音楽を表現して、アンコ前のRide with the rockersではファンとのコミュニケーションを楽しんで、MCやラジオでは時々噛んで揶揄われて、照れくさそうにしていた。
れいたが弾く重たいベースラインが好きだった。
未成年はベースソロ聴きたさに何度もリピートしたし、十四歳のナイフのイントロは冒頭から本当にしびれた。
ルキのようにパフォーマンス性の高さは無くとも、とりあえず力で押し切りにくるような煽りが懐かしい。
Hyena冒頭のシャウトも、ライブで聴くと「ウオーーーーー!!」って感じで少し笑ったけど、それもれいたらしくて可愛かった。

本当に、何から何まで本当に好きだった。ポスターもSHOXXもコンビニプリントのブロマイドも、いい大人になった今も捨てられずに残っている。

書きながら、「本当に死んじゃったの?」という思いが止まない。そして、親交のあった方々のツイートを読んだり、思い入れ深い曲が流れたり(訃報を聞いてからガゼットの曲をずっと聴いている)するたびに、また涙が出てくる。


本当に悲しくて喪失感も言い表せられないくらい大きいけど、悲しむだけ悲しんだら、またガゼットを聴きながら日々を過ごしていきたい。
曲を聴き続ければ、曲に込められたれいたの魂は生き続けると思うし、れいたが願った「ガゼットが永遠であること」にもつながると思う。

でも今日はもう少し、悼んで、泣いて、思い出す日にしたい。もっとライブに行けばよかった。いつか、いつか、なんて思うんじゃなかった。ごめんなさい。

そして、旅立ってしまった理由は分からないけど、メンバーの誰一人として自分を責めることがありませんように。

れいた、ありがとう。
れいたとガゼットはずっとずっとずーーーっと、それこそ永遠に、私の青春であり、憧れであり、思い出であり、人生の糧であり、世界を広げてくれた存在です。
ありがとう。
来世があったら、またベースを弾いているれいたに会いたい。

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