カナの獄中日記

住所は、けいむしょ

冬の刑務所は寒い。暖房はないし。薄い靴下を3重に履いて布団にくるまって、震えで自分が眠っているのかどうかもわかんなくなって。何度消えてしまいたいって思っただろう。

私の名前は、カナ。本名は違うけど、そう名乗ってきた。女子刑務所は実は3回目。いつかこうなること、わかってた気がする。
万引き。捕まった時は(ああ、キタ)って。クレプトマニアって言われてて、窃盗がやめられなかった。周りは病気のせいにするなって言うけど、どうしてこうなっちゃったんだろう。

少女時代

子供のころ、母はとても厳しかった。学校の先生してて、テストの点も毎回怒鳴られていた。「こんな恥ずかしい点とって!」たぶん母の中では、成績よりも自分の体面だったと思う。宿題の字が汚いって頬叩かれて、絵も下手だったから母が自分で描いちゃって、金賞になっても複雑な気持ちだったな。
小さいころはね、ドッジボールが好きで、毎日遅くまで外で遊んでた。でも5年生の頃からいじめにあってたのね。何でかな、わかんない。辛かったなー 給食のおかずにイモムシ入れられてたり、クツ隠されたりとか。クラスの3分の2くらいの子がグルだったと思う。弟に気づかれて「お姉、いじめられてるの?」って時は焦ったわ。結局、女子の1人が担任の先生に訴えてくれて、みんなを厳しく叱って下さったの。後に校長先生になられたって聞いたけど、その先生のおかげね。
中学生になっても、お小遣いってもらえなかった。ある時、駄菓子屋さんで見つけたアイドルの生写真、どうしても欲しくて、母の財布からこっそり500円くすねて買いに行った。もうルンルン。でも、すぐに見つかっちゃって、「盗んできたんでしょ!」って。違うって言っても信じてはくれないから、母に引っ張って行かれた店のコンクリートの床に正座させられて「ごめんなさい、もう2度としません」何回言わされただろ。

私がつらい時に励ましてくれたのは、おじいちゃんとおばあちゃん。怒られてばっかでストレス?給食のパンも入んなくてお持ち帰りさせられるんだけど、母にひどく怒られるもんだから、近くにいるおばあちゃんのとこへ寄って「カナちゃんのパンは、おばあちゃん大好きよ」って食べてくれてたの。涙でるわ。

青春もどき

高校も頑張って?受かった。母が望む高校ではなかったけどね。バスケ部に入って、負けず嫌いってのもあるけど、練習も休みの試合も楽しくて、病気するまでは1度も練習休まなかったのよ。なんて言っても、男子バスケのK君の存在は大きかった。今もキュン♡となる。片思いだったけど、彼が頑張ってる姿が私の元気のモトだったな。バス停まで一緒に帰った時に夢の話をしてくれてね、声も昨日のように思い出すの。、自分の心臓の音が聞こえてたもんね。
食べ物が何にも口に入らなくなったのは2年生の時、普通にダイエットだった。母が始めたのを私も冗談半分で始めたんだけど、私は何だっていつも本気になってしまう。すぐにやめちゃった母をよそに、私はいつまでも続けてしまってて、もう何を口に入れても違和感で吐き出してしまってた。どこかで母を見返したいって思いもあったんじゃないかな。その頃も10キロ以上痩せてて。
そんな私に気づいてくれたのは、バスケの顧問の先生。先生は母に、「どんどん痩せて、プレイも弱々しくなってて」って。だけど「そんなことないでしょう!変わりませんから!」って電話口答えてた。きっと体面が大事だったの。「ゴハンちゃんと食べなさい‼」母から掛けられる言葉は、そう変わってった。母には小さい時から学校の出来事、話したことなかったね。イジメのこと、友達と初めて街に出かけたこと、初めて生理になった時だって、母に言えなかったから。みんなクラブの帰りに駄菓子屋によるのも、私だけ買えなかったの。「あなたに100円のおこずかいだって多いわ! 100円稼ぐのにお母さんがどれだけ大変かわかる?」って。ウチって貧乏なのかな?って思ってた。母が買ってた洋服、デパートで値段見ずに選んでるって知ったのは、もっと後のこと。

摂食障害という「病」

摂食障害って病気らしくて。高校に行けなくなって、祖父母との生活が始まったの。おばあちゃんは食堂で働いてて夜7時ごろ帰ってくる。余って貰ってかえった揚げ物や魚の煮つけを提げて、「カナちゃんただいま~」って。いつも私にって出してくれるのに、食べることができない。いつしか、自分が食べたい気持ちをおばあちゃんに食べさせることで誤魔化してた。何て言ったらいいか分かんないんだけど、母への怒りや憎しみをおばあちゃんに向けてた。「カナちゃん、おばあちゃんもう入らないよ」って言うまで食べさせて。「苦しいよ、もう食べれないよ。」って言うまで。40キロしかなかったおばあちゃんがどんどん太って60キロになった。「胸が苦しいよ」って訴えるのにそれでも食べさせた。本当に苦しかったと思う。「カナちゃんのために食べてあげたいけど、もう喉まで出てきそうなの。」とか「おばあちゃん柿が好きだから食べたいけど、ご飯でおなか一杯になっちゃって食べれないのよ。」言ってたのを思い出した。
私は本当にひどいことをしてきたの。人間じゃないって思う。「おばあちゃん本当に、ごめんなさい、ごめんなさい。」

3年生の2学期、ほとんど学校へ行けなくなっちゃって、単位が足りなくて留年?の選択を迫られたのね。私の辞めるって気持ちは父とクラブ顧問の先生の説得でなだめられ、残ることになった。留年って言っても学校へは行けはしないから家庭学習でね。先生が毎日課題の出来上がりを取りに来てくれたの。それまでは、学校に行けてたときね、一応国公立大向けのクラスだったのに、食べれなくなってからはもう、先生が話すことがお坊さんのお話みたく、もうお経だわ、あれは。脳に栄養が回らないから眠たくなって。授業の間はただ座って過ごすだけ、体力と時間の戦いだったわ。
昼間は祖父母と一緒に生活してて、ドライブ・買い物・外食、いろんなとこ連れてってもらってた。おばあちゃんと一緒に少しづつ食べ物が口にできるようにはなってた。一進一退かな。26キロ!になってた体重も少し増えていったの。
父はいつも心配して、私が食べれそうなものを届けに来てくれてて、ヨーグルトやデザートのようなもの。それでも私、「食べれないって言ってるじゃん、持って帰って!」って言い返してた。自分が思うように食べれなくて周りに迷惑かけてることもわかっていながら、どうしていいか分からずイライラ、感謝の気持ちも無かったな。母を恨み、「こんな苦しい病気になったのは全部あの人のせい」そう思ってた。

支えられた命

そんな私もどうにか今度は卒業できた。みんなは3月1日なんだけど、私の卒業は何日かあとだった、1人だけの卒業式ね。校長先生に顧問の先生、クラブの友達と家族たち、音楽室での卒業式で、一番涙を流してくれてたおばあちゃん。そんな卒業でもみんなの笑顔に包まれて幸せな想い出だな。受験勉強なんかできなかったから、予備校を勧められたのね。通ってはみたけど全然講義についてけなくって、行ったふりして友達と街でぶらぶらしたりしてたな。
その頃も自分のお金ってほとんどなかったから、おじいちゃんがスーパーでたくさんの食べ物だとかを買ってきてくれるんだけど申し訳なくって、私のためにたくさんお金使って破産したらどうしよう?なんて思ったりしてた。なんで母は何もしてくれないの! 娘を預かってもらってるのに食費や洋服代くらい渡してあげてくれないの! そっか、もう娘だと思ってないのかー、そんなこと感じてたりしていて。
でも実際私は祖父母に毎日わがままばっかり言ってた。食べたいものを強引にねだってファミレスやファーストフードへ連れて行かせたりしてた。

その時分の私は過食になってて、食べては吐いてを繰り返す状態、食べ物に支配されたような毎日だったの。おばあちゃんに背中をさすられながら夜中まで吐き続けて、汚い話だけど部屋のバケツがいっぱいになってしまって、それをおばあちゃんが自分の畑に捨てに行ってくれてた。毎日まいにち、おばあちゃんもう80近かったはずなのに、夜中にバケツを持って、長靴を履いて。 頭の中は食べ物のことばかりで、正常に考えられなかった。母への憎しみも食欲に向かわせていたのかな。「もう死にたい!おばあちゃん、一緒に死のう!」って言ったことがあって、その時もおばあちゃんは「だめよ、あの、体重が26キロだった苦しかった時を乗り越えてきたのよ、この苦しい時も必ず乗り越えていけるから頑張ろうね。」って。わんわん泣いて抱きついてた。
必死だったのはたぶん私じゃなかった。 目の前の愛、それが私にとって唯一の信じられる存在だったの。

あやまちのはじまり

万引きの始まりは19の時。ある日、おじいちゃんと行った近くの大きなスーパーでの出来事だった。食べたい衝動が手を動かしてたの。持ってたバッグに、菓子パン・唐揚げ・巻きずし・チョコレート、歩く売り場の中でどんどん入れちゃってた。周りなんて見てなかったから、結局警備員さんに連れてかれちゃってね。おじいちゃんも一緒。怖かった。警察の人に写真撮られて、指紋もね。ずっと泣いていた。お父さんも来てくれて、バックヤード出る時に店長さんが、強く優しい声で、「頑張るんだよ。」って言ってくれたの覚えてる。体重も30キロ台で食べ物ばっか盗ってるって、なんかそんなだからだと思った。
最初は怖くて冷たい母に気に入られたくて、始めたダイエット。それがいつしか続けて見返してやる!ってなってったでしょ。今思うと、ちょっとそっちの障害なのかな?夢中になったら周り見えなくてね。みずがめ座って負けず嫌いなんだって、最近知った。それからの私は、万引きの中に生きてた?感じよ。常に飢餓状態で、食べ物を見ればやってたわ。何回捕まったか覚えてないのね。でも母はね、一度も迎えには来てくれなかったの。

冷静になった時には進路のこと考えたりしてたわ。人の役に立てる仕事って何だろう?とか、漠然とだけどね。顧問の先生から、「福祉の仕事が向いてるんじゃない?」と言ってもらったことあったのよ。私、お年寄り好きだし優しいからって。ま、自分で言っちゃってるけど。家から少し離れた医療系の専門学校に通い始めて、初めての1人暮らしが始まったわ。夏休みもないのよ、実習とテストの繰り返しみたいな生活。でも、お年寄りの入所者さんたちは可愛い人が多くて、大変もあったけど新鮮、ハードな毎日も潤ったりしてた。
そして何よりの楽しみは、おじいちゃんとおばあちゃんが私の好物を持って、わざわざ車で1時間走って届けてくれる日があったこと。3人で天ぷらパーティーwよ。過食と拒食の繰り返し生活の中だったけど、一緒に食べるご飯は、確かに美味しかった。本物だった。予備校の実習は遠方の施設の時もあって、その時にも2人が雪の中を車で、カイロや靴下、おやつや暖かいマフラーを届けてくれて、それはとっても大事な幸せの記憶なの。

オトナにはなったけど

専門時代はバイトも経験、ジェラート屋さん。イケメンのお客さんには大盛りになっちゃう~みんなと楽しかったな。初めての合コンも経験したけど、お酒もあんまり慣れてなくてさ、気づいたらラブホの入り口で、どうにか走って帰ったりとか、いろんな経験したな、ちょっぴり青春?
そして晴れて専門学校の卒業!今度はちゃんとの卒業だから。祖父母も見守ってくれた卒業式、2人はたくさん泣いていた、こんな私のために。
おじいちゃん、おばあちゃん、2人がいなかったら、私は18で死んでた。生きてしまった代わりに、2人を苦しませて、家族はバラバラになってしまって。私のせいで、全部わたし。なんで私は生きてるんだろう。神様がいて、願いが本当に1つ叶うなら、大好きな2人と1日でいいから一緒に過ごせるチケットください!でもそんな2人は、もうこの世にいない。私のために飛び回って、いつも笑顔で優しい態度で包んでくれた大事な人。大切な2人。悲しい。悔しい。情けない。
全部、私。

専門卒業後は医療施設に就職したの。化粧の仕方も全然知らなくて、師長さんからいつも注意されてた。まあ、いまだに下手だけどね。摂食障害もまだ治らなくって、万引きをやめれないままオトナになっちゃった。
職場で憧れた一回り年上の人との恋もあったのよ、でも手も繋がないですぐに別れちゃって。その次にまた恋の神様が訪れたのは、私のひと目惚れ。OK!くれて、同棲が始まってった。

夢の中へ

ワタシは男の人との生活なんて想像もしたことないし、なにより恋愛経験ないんだから、もう、物理的な距離感からわからない。男の人の気持ちもね。初めてのエッチはもちろん彼。ソファーに押し倒されて下着脱がされて、何もわからないまま、あっという間に終わった。それからは毎日求められて、生理の時もお風呂で。苦痛だって思うことあったけど好きだったから、彼が求めることは何でも受け入れてしまってたの。
彼の束縛はキツかったよ。他の男の人と話しちゃダメ、胸元の開いたニットはもちろん、スカートも不可!髪はショートカットっていうか、もうオカッパじゃん。化粧もピアスももちろんダメ! 当時の写真見たらビビるもん。でもその時はわかんないから、そんなもんだって思ってた。もうお腹に赤ちゃんいたから、お母さんになるのってこんなもんなんだって。だけど産婦人科も女の先生『限定』だもんで、バスで長距離はキツかったなー、汗だくになってたりしたわ。
いつしか、万引きへの欲求なんて忘れてた。そんな時間をあの人がくれたの。(この人と一緒のお墓に入るんだわ)って思ってたな。
そしていよいよ結婚式は、手作りの式ね、夢みたいな想い出よ。お腹も目立ってきてて、着たかったドレスは入んなくなってたけどね。やせ細って死ぬんじゃないかって思ってた親戚たちも、涙流してくれてたの。おじいちゃんとおばあちゃんへの手紙は泣いて読めなくてね。でもその手紙読んでる時、おじいちゃんは、おばあちゃんに付き添われてトイレに行ってたの、ショックよ! 式場のひと、ちゃんとしてって。まあいいけどね。
ダンナさんには、万引きの事は言ってなかった。一緒に暮らす前、私は簡易裁判で執行猶予の判決を受けてた。父は言った方がいいんじゃないかって、だけど無理だったの。今から幸せになれるんだ、壊したくない、って、そう思ってた。

pressure

子供も生まれたの。わたし似の男の子。大忙しの毎日なんだけど夢と幸福に包まれて走ってたな。彼には男の兄弟2人いてね。お義母さんに事あるごとにヨメ比べされてたよ。負けたくなかったから演じて頑張って、1番いい嫁って褒められたことあるの。私が働くこと嫌がってた彼に、出産前に仕事を辞めさせられてたから、専業主婦よ。だけど常に兄弟のとこの2人と比べられてて、もう必死だったわ。お義母さんの前ではいつもニコニコ、上げ膳据え膳っていうの?彼のためならなんだってやってたの。
エッチが大変よ、何があっても毎日受け入れなくちゃいけなくて、私がどんなに疲れててもお構いなし、必ず求めてきたの。臨月だって拒ませてもらえなかったから、ちょっと普通じゃなくない?でも前戯なんて無し、3分も持たなくって、彼だけヨければ良かったのね。やまれずに父に相談したの、男の人のそういうのってワタシ、経験値もないし。そしたらね、「お前のダンナはタイガー・ウッズか!」だって。でもね、それでも幸せ感じてたし。

結婚して生活もしんどくって、働きたいって言ったら、転職してくれたのね。お給料も増えて、彼は家を建てるって。2人で一生懸命節約生活だったわ。頑張って我慢して、千円カットすらもったいないから、自分で散髪してた。でもそんなにしてても、いつもお義母さんのチェックが入るの。比べられるスキルで他の嫁にトップの座を明け渡すのが怖くて、出来ない嫁の烙印を押されるのが恐怖で、より一層、主婦力を上げようって無我夢中になってった。
そんなときに又、わるい癖が出でしまって。私はお義母さんからのプレッシャーでつぶれていたと思う。イライラした私はまた、食べ物を盗ってしまったの。執行猶予中では異例の、再度4年の猶予判決。家族がいること、3才の子供のことを汲んでもらえたの。親族全員の見守る中で、閉廷が告げられた。
この時は自分が窃盗症って病気だなんて、まだ思ってもいなかった。

わるい知らせ

それからの私は、マイホームの夢に向かって真面目に頑張ろうって思ったわ。私を守ってくれる彼のため、息子のため。万引きしないように、カメラがたくさんあるお店で買い物したりね。新居の準備も実現が間近だった。頭金の1千万円も払うことできたの。夢は実現に近づいて、そんな頃だった。ママ友の一言が始まりだったわ。
「ご主人、服装が変わったね、最近香水つけてるしどうしたの?浮気でもしてんじゃない?」えっ!いやいや、そんなことない!って思いながら、でもまた、家に帰ってその言葉が頭に浮かんできたの。(そんなわけないじゃん)(え、でもたしかに・・・)言われてみれば、不自然なことは思い当たってきたの。携帯をトイレに、お風呂にも持って行ってた。警察官の旦那さんがいる友達が『メールの転送』を教えてくれたの。今みたくLINE全盛じゃなかったころね。彼が息子をお風呂に入れてるときに設定しようとするんだけど、パスワード解除が上手くいかないの、「どーしよー!」焦っちゃってドキドキしながらも何とか設定は完了。でもね、それからホントの地獄が始まったの。

オンナからのメールは、彼と私に同時に着信するの。「今日は楽しかった♡でも、ホテルに美容液忘れちゃったー」送られた写真は2人がイルミネーションをバックに寄り添う自撮り。どっから見ても微笑ましいカッップルじゃん!そしてその写真の相手は、何と、私の友達だったわけ。もう何も信じれない、怒りで卒倒しそうになった。なんだかんだと理由をつけて新居に移ろうとしてくれない彼を急かしての引っ越し前、彼にメールが。「ワタシ、奥さんと住んでた家に住めるかしらー」「ワタシがいなかったら幸せに暮らせたのに、ゴメン」はぁ?「屋根も外構も希望の色にしてくれてうれしい!」ぃや、待てよ!(私と住んだ家にあのオンナと住みたくなかったんだ、アイツのための新居なんだ)画面を握りしめて煮えたぎったあの日。いつか時も経って冷静になった頭で、彼への愛情はもはや灰色の砂漠のように見えていること、知ったわ。

逃げた先は

それからの生活、何も知らない平穏を装うのは大変だった。毎日シャツにアイロンかけて、お弁当を作り、晩ごはんを用意してね。地獄よ。そしてさらに追い打ちが告げられたの。バイブにしてる私の携帯が着信を告げると、そこにはエコー写真が。彼とあのオンナの新しい命が宿っていることを知った。泣いた、泣いた。子供の前でずっと泣いてた。彼は毎日私を抱いたわ、あのオンナを抱いた後に。動物みたいな恰好をさせられて、私のカラダをおもちゃのように反応させて遊んでた。汚らわしい行為だった。

生きていても死んでたの。死んだまま生きていた。
逃げ出したかった。そこが刑務所だろうと、もうどうでもよかった。次々やった、狂ったように盗ってってたの。見つかってもいい、見つかればいい、そう思ってた。息子のことを考えたらできる筈はない。もうおかしくなってた。そしてその結末の日が来たの。
100円ショップで手当たり次第。視界には、息子も、お店の人もなく、流れ作業のようにバッグに次から次へと吸い込まれてく商品。呼び止められた私は、何を思っていたかも覚えてないわ。パトカーには、息子と一緒に乗せられた。後部座席で私の手をギュっと握って、「ママ、ママ」って。思い出したら死にたくなっちゃう。取り調べ中は婦人警官さんが一緒にお絵かきをしてくれてた。
はじめての留置所は孤独で、まさに牢屋よ。鉄格子に囲まれて、コンクリートみたいに固い畳。部屋の中には毛布1枚だけで素足、丸見え。プライバシーなんてないから。トイレはノックで知らせて流してもらうのね。紐や金具は禁止だからブラも外されて。声も出せないのよ、女の人の声で男の留置の人が興奮するからって。で、部屋から出るたびに身体検査と金探をかけられるのよ、金属探知機ね。これは後で知ったんだけど、カメラで監視されてたこと。なにも知らずに裸になってた。

私は受刑者

2週間くらいで拘置書に移されたの、裁判所の施設ね。保釈が認められて、拘置所からいったん自宅に帰ることができた。猶予は1週間、そのあとは裁判で、今度は実刑が待ってる。
彼は、もうオンナとは別れたって、俺が支えるからって言ってくれた。息子は小学校へ入る直前の時期だったから、袋作りや雑巾縫ったり、毎日「ごめんね」って謝って、何度も抱きしめた。
3人でUSJにも行ったのよ。スパイダーマンに乗った時「パパ、ママ、ボクを守ってよ!」って。涙が止まらなかった。1週間。毎晩寝顔を撫でながら指折り数えてた、束の間だけど最高の日々が終わった。
その日、息子は大好きな幼稚園に行きたくないって、駄々をこねてたのね。旅立つ私を送ってくれた車の窓、あの子はずっとずっと、手を振ってくれてた。
手錠をされての入廷は、みんなショックだったそう。私は哀れに見えてたのかな。裁判では彼も、「自分の浮気が原因です。」って言ってくれたの。ダブルで執行猶予中の犯行だから、減刑はあんまり期待してはいなかった。
そして初めての刑務所行きが宣告。「被告を懲役2年3月に処する」その声を被告席で聞いた私は直後、両脇を抱えられるようにして収監になったの。

初めて刑務所に行く私に、刑務官は「受刑者もみんな人間だから、鬼はいないよ。女の人ばっかりだから美容の話とか、役に立つこともあるしね。」「待ってる人がいることを忘れずに、『見ざる・言わざる・聞かざる』で、素直に正直にね。」って言葉を贈ってくださった。
観察工場に2週間配属になったの。観察ってね、私を観察するのね。その後の配属は、洗濯工場。炊場でなくてよかったって思ったの、食べたくなったら危険だからねw 大変だった!みんな怖くて。刺青全身に入ってる人もいてね、
(なんてとこに来てしまったの!)って。数百人の洗濯物を間違えずに、って、覚えの悪い私には大変だったわ。毎日部屋に帰って復習よ。
半年たった頃には役も持たせてもらえたの。職業訓練の対象にも選ばれたんだけど、車の運転も新免同様の私が挑戦するのは、フォークリフトの免許!出所後にはホームセンターとかで働くこともできるからってね。ハンドル切ったら反対に曲がってくし(当り前よね)何回轢きそうになったかわからんわ。免許もらったけど、一生乗ることないわね。
1年が経ったころ、気が緩んでだのね、隣の部屋のコと本の貸し借りが見つかっちゃったの。懲罰7日間になってしまって、正座で1週間。辛いよー、ホントに。旦那さんと子供も、そして先生(刑務官をそう呼ぶのね)にも申し訳ないって。甘かった、油断したって、後悔と反省ばっかしてた。戻された先は車の部品つくる工場で、雑役で3か月頑張ってた。ある日、靴を履こうとしたとき、肩をたたかれて振り向いたのね。それが見つかり、「話をした」って、また『戒告』。1週間独房で作業しながら、(ふつう振り向くよなー)って。理不尽にモヤモヤ。

生き地獄

そんな中でもいよいよ出所間近になり、開放的な寮での2週間を経て、晴れて自由の身に。と言っても、8か月の保護観察付きの仮釈だけどね。迎えに来てくれた旦那さんと家に帰ったら、すき焼が用意してあったの。少し大きくなった息子に「ただいま!」って言ったら、照れながら私の手を引いて膝の上に乗ってきたの。本を読んであげてたら、ボロボロ涙が流れてしまって。思いっきり抱きしめてた。(今度こそ、私はこの子を守っていく!)そう誓ったの。

私は早速、お詫び行脚へ行かされることになった。彼の親族の家を回って頭を下げてくの。彼からは「俺のおかげで早く出れたんだからな」って事あるごとに言われてね。部屋に置いてた買った商品をチラ見して、私を見る。お義母さんは「カナちゃんは大丈夫なの?」って彼に聞いたわ。万引きのことよね。悪いのはもちろん私なんだけど。あの時は、息子と過ごす時間が唯一の癒しだったかな。
ダメ押しは彼の様子がおかしいことに気づいてしまって。(まだあのオンナと切れてない・・)そう思えることがいくつも重なり、喧嘩が絶えなくなってた。 

それからの私は、もう正常でなくなってたわ。タオルで自分の首を絞めたり、段ボールに真っ赤なスプレーを吹きかけてカッターで切り刻んだり。薬も処方してもらってた。
結果、私が逃げ出す場所は、『万引き』だった。
2度目の留置所は地獄だった。捕まってすぐに、彼から離婚を言い渡されたの。「子供は犯罪者には渡せない」って。

2回目の刑務所もまた悲惨だったな。累犯工場って、個性派ぞろいの囚人たちが待ってた。累犯ってのは、再犯の囚人たちね。1日1回『申し出』っていって、先生に要望や相談なんかができる時間があるんだけど、作業終わって部屋に戻ったら「なにをチクったの!」ってなるのよ。誰かを懲罰に落とすのも口裏合わせればできちゃうからね。仲良かったコも助けることできなかったわ。同部屋の年配受刑者は『入れ歯』をトイレに流されてたからね。食事の配膳も大変、皿の豆の数まで数えて文句言ってくる。
私は洗濯工場で縫物してた、毎日。だけど、浮かんでくる自責と後悔。離婚も成立してしまい、もう息子には一生会えないかもしれない。この右手を切り落とせたならいいのに、もう死んでしまいたい。
そんな私に、医務の先生が話してくださった言葉があったの。
「花は必ず人間の方を向く。辛い日もある、誰にも見てもらえない日もある。それでも花は、上を向いて咲くのよ。」
私も誰かのために生きていけるのかなって、少しだけど希望を感じた瞬間だったな。それからも大好きな父からたくさん手紙が届いた。支えてくれようと一生懸命書いてくれていた。
死んじゃいけない、まだ死んじゃダメなんだって、そう言い聞かせながらミシン踏んでたわ。

そのころ中で仲良くなった同い年のコ、すんごく可愛くって、目と鼻を整形してるって言ってた。「何の仕事してるの」聞いたら、「今はお店のママしてるけど、お金はデリで稼いだの」って。「エッ!ピザ屋さんって、そんなに儲かるの!」言ったら笑ってた。「カナちゃん、ホントにまじめだねー」「デリっていうのはね、デリヘル」「男の人がホテルで待ってて、そこに連れてってもらって接客するの」それで、何するの?って聞いたら、「スマタとか、カラダ洗ってあげてすっきりさせてあげるだけよ」ワタシは男の人、ダンナさんしか知らないし、ムリだよ、って言ったけど、「大丈夫よ、素人専門ってお店もたくさんあるの。エッチもしなくていいからね、カナちゃん初々しいから絶対に人気でるよ!」そう言って何も知らない私に、ファンデは○○、マスカラは△△とか、メイクや整形のことも詳しく教えてくれたのね。「出所したら連絡しておいで、店も教えたげるから」って言ってくれたけど、書き残せないから結局、連絡せずじまいだったの。
でもね、そのコがデリヘルのことを話してくれてた時、目がとってもキラキラしてたのね。20代で2人の子供さんに4千万も貯金して、自力でお店もオープンさせて、って、話す彼女はカッコよかったわ。大事な家族を失い、もう生きる希望も失った私に、「カナちゃんだってオンナとして生きられるし、活躍できるのよ♡」そう言ってもらったことが、シンプルに嬉しかったの。

矯正施設で得たこと

そして出所へ。その日は、父と母が出迎えてくれていた。前回はダンナさんが迎えてくれて抱き合って喜んでくれたけど、そこにはもう愛に包まれた家庭は無くて。「おかえり」と父、母は、不機嫌そうに目も合わせてくれなかったわ。中では食べれなかったアイスやお菓子が恋しくって、コンビニに寄って欲しい、ってお願いして店内へ。父は「好きなものを買っていいよ」って言ってくれたのに、母は「そんなに買ったら、お昼ご飯食べられなくなっちゃうでしょ!」って怒ってて。もうね、生理的に忘れらんない、あの時の顔。そのきっかけで過去が連なって甦ってきちゃってね。この人はずっと私を虐げ、シカトしてきた。まるで関係ないヨソの子どものように。むしろヨソの子よりも無関係だった。面会の時に言われたの、「あなたの帰る場所なんて、ないから。」「行く先は決めてるからね、病院よ。」保護司さんも体裁を守るために遠方の、病院の近くの人に担当してもらうようにって父に頼んでた。彼女にとって自分の産んだ子供ってどんな存在なんだろ?少なくとも摂食障害になってからは、あの人は、私にとってヨソの子の『先生』でしかなかった。
おにぎり1個とアイスを手にして、私はコンビニで車に乗りこんだ。

出所後、一旦実家に戻った私は、すぐに父に連れられて遠くの病院へ送られることになったの。そこは窃盗癖のある人達と、アルコール依存の患者さんが入所する施設だった。6人部屋で集団生活をしてくの。窃盗の人は私みたいに矯正をしていきたい人と、裁判対策?「矯正してます!」って為の、減刑を目的に来てる裁判継続中の人たち、その目的は分かれてた。
グループごとにセッションがあるんだけど、ホンネで話してるぽい人ってあんまりいなかったかな。とは言っても、まあまあみんな同じ苦しみ持ち寄ってるわけで、話してる内容はすごく同感、辛さが手に取るようにわかったり。一旦正常な生活を送ってる人が『スリップ』して、とたん窃盗マシーンに変貌してく。(盗らなくちゃ、やらなくちゃ)何かが乗り移ったようにカバンに詰め込んで、戦利品?を前に後悔。なんでこんなモン盗っちゃったんだろう、って。
クレプトマニアのコは、不思議とかわいい子が多くて(私はカウント外w)どうしてこんな良いコが?って人が多かったね。アルコール依存のほうは男の人多かったな。夜は双方入り混じってラウンジ状態になってる時もあったよ。そのまま抜け出してイチャイチャして帰ってくるのもいたわね。お金のやり取りもきいた。中には一緒に旅行に行っちゃったりね、もうカップルじゃん。そこだけ見たらまるで、テレビ番組の企画みたいよ。そんな中で私にも仲良くなった女のコがいて、いつも一緒に行動してた。普通の人にはわからない苦しみを持つモノ同士だから、分かり合えるとこあるのよ。
アルコールの人のセッションに参加させてもらった日があって、私は窃盗症の辛さはわかるんだけど、そっちの気持ちは見当つかなくって。だけど真剣に吐露してる彼らの胸のうち、とっても響いてきたの。家庭も仕事も地位も友人も、そして信用も失って、藁をもすがる思いでここにいる人たちの姿を見て、悩みの原因は違っても弱さを絶ちたいって気持ち、一緒なんだって知った。

どん底

施設での生活を終えて、努力を決意していた私は、働くことを始めなきゃいけないって、面接受ける準備してた。医療関係だった。前科あると資格の剥奪もあるからもったいないわね。
履歴書の写真をプリントするためコンビニに向かってる途中、小さな交差点で事故は起きた。横から突っ込んでくる車が見えて、直後の意識は無いの。私の身体には割れたガラスが刺さってた、大きな事故の原因は、私の一時停止違反だったの。救急車に乗せられて1か月の入院が必要です、って。だけど、こんな私に貰えた面接の機会を、って、そればっかり毎日気になっててね、病院に無理言って早く退院させてもらったわけ。もう、強制退院?「あとは責任持てませんから。」って感じの。何につけ、自分で決めたら言うこと聞かないのね、ワタシ。自分の人生は自分の責任だから、上手くいかなくても、それは諦めることにしてるの。ま、今は、ガンコはいけないな、って考えを改めつつあるけど。
でも結局、リハビリ通院はさせて下さったわ。お金も大変よね、車も廃車になっちゃったから次のも買わないとだし、治療も続くし、何より高額な裁判の弁護士費用も。全部お父さんに助けてもらう感じだったの。
ある時、母が父に放った言葉が耳に入った。「あの子は私たちにまたお金使わせて、もういったい、どれだけ迷惑を掛ければ気が済むの?もうお金なんて無いのに、いい加減にしてほしいわ!」(お父さんに言わなくてもいいじゃない!)いろんな感情が渦巻いたけど、とにかく、悔しかった。

飛び込め

もう親にこれ以上の負担をかけていくことはできない、その思いは私に決断を促したわ。正直、人生に絶望もしてて、もう私なんかどうにでもなれ、ってのもあったけど、刑務所であのコに聞いた『デリヘル』の世界に飛び込んでみようかって。話しだけ聞いてみよう、それで無理ならまた考えればいいやって思ってた。
近くの街で検索して、最初に出てきたお店に電話したの。全く初めてなことも話したわ、声ふるえてるの自分でもわかったし。面接の日、ファミレスの駐車場で待ってたら、大きな外車から降りてきたスーツの男の人。その姿は私のドキドキを更に大きくしたの。実はまだ迷っていること、恐る恐る伝えたら、「大丈夫ですよ。わからないことはキチンとお教えしますから。」「業務の流れを説明したり、写真を撮ったりとありますから、次回は事務所の方へ来てもらえますか。」そんな感じでお店を出た。(そんな怖い人じゃなかった)

事務所へ出向いた日は、腹くくって?たな。ビルのワンフロアー全部が事務所で、ドア開けたらデスクに何人ものスーツの男の人が座ってて、ホワイトボード見ながらパソコン打ってた。私を見つけた1人が「お待ちしていました!」って、にこやかに近づいてきたのね、もうね、イケメン!椅子に促されて説明が始まった。何枚ものペーパーに注意や守ることが書いてあったけど、(なんかあったらお店がちゃんと守ってくれるんだ)ってのは感じたな。プレイの内容なんかも書いてあったりして、専門用語的な。わかんなくて口頭で説明してもらうんだけど実感ないから、「あ、はぁ、はぃ。」みたいな。もう実践あるのみだわ。スタジオでカメラマンさんが写真を撮ってくれて、出来上がりも見せてもらったのね。エッ!これはもう、刑法でいう詐欺罪じゃないの、って。「色白で透明感があって、あー、こりゃもう間違いないよ!」店長は、『美月』にしようって言った、名前。お給料の説明のあと、帰りの交通費をもらって事務所のビルを出たわ。

ドキドキ初出勤

本業の合間を縫って入れた出勤予定。パネル写真アップした10分後には予約の電話があったらしいの、新人だしね。第1号のお客さんの元へ、指定のラブホに送迎車は向かう。入り口で降ろされたけど、そもそもラブホのシステム?が判んなくてね、ドライバーさんが部屋の前まで付いてきてくれたのよw「初めまして、ミツキと言います、記念すべき第1号のお客様です。よろしくお願いします」(ちゃんと言えた!)穏やかな紳士のお客さんは40代の社長さんとのことだった。なんせ段取りも分からないじゃない、ぎこちなくお風呂に誘ってカラダを洗ってあげたあとは、ベッドでお話を聞かせてくださったの。奥さんのこと、飼ってるプードルのこと、そしてお客さんに手とり足とり教わりながら、初めての60分が終わった。もっとたくさんエッチなことを求められるんだと思ってて、少し拍子抜け知っちゃった。私の魅力ってな~~って、だってあの写真サギなんだもんな~とか、ちょっとガッカリもした1日目、お給料は8千円也。ちーん。

私、ダンナさんが初めてエッチを教えてくれて、それからも、ただ一筋。彼が求めることに一生懸命応えてきただけだから、イカない時も多くて。デリ始めて、私の中で色んなことが変わっていくのかなってのも感じてた。もともとエッチがそんなに好きじゃないの。だけどもちろん性欲あるし、気持ちいいの大好き。自分じゃわかんないけど、反応してしまうみたいだし。こんなワタシもカイハツされて、少しエッチが好きになるのかなって、思ったりしたデビュー初日だった。

「プロ」ということ

2日目、なんと初日の紳士さんがまた呼んでくれたの!それもロング120分で。それだけじゃなくって、こんな私を高級和食のお店に連れ出して下さったのよ。新しい事業を展開するために外国に行くって言ってた。最後にもらった「キレイな心と、キレイな身体でいてな。」ってセリフ、シブかったなー。
2人目のお客さんは、30歳くらいの無口な人で、私もテクは無いし、ずっとため息をつかれてたの。申し訳なかったな。色んなお客さんがいるね。ま、半分以上は私のせいだからね。
そして3人目のお客さん、ロングで呼んでくださったのは良かったんだけど、入るなりベッドで裸のまま『大の字』になってんの。自己紹介しようとしたら、「いいから、早くヌイてくれ!」って。どうしていいか分からず、まだ入ったばかりでよくわからなくて・・って言ったら、「店がオマエがおススメだっつうから呼んだんだぜ、言われたとおりに高い金、払ってんだぞ!」怒鳴られちゃ
ったの。もうやるしかないって思いながら、どこが気持ちいいですか?って訊いたらまた怒っちゃって、「なんでオレが教えてやらなくちゃいけないんだよ!」「そんなフェラで誰がイクんだよ!もうオメエの店、使わねえからな!」「じゃあもうヤラせろよ!」って。すみません、ホンバンは禁止なんですって答えたら、そこから座らされて、お説教が始まったの。裸で泣きながら、お金お返ししますので他のコを呼んでもらいませんか、って言ったら、「来イ!」ってお風呂へ。私を膝の上に座らせたまま、その人シコりだしちゃてさ、自分でイッちゃったの。そしてそのままの状態、話が始まった。地方のデリの店長さんらしかった。「オマエの根性は認めてやるよ、だけどな、プロだったらテクニックを身につけろ」「客に寄り添うんだよ、客を恋人だと思って接してみろ、ガンバレ」そう言った。帰りに「勉強しろよ!」ってアダルトのDVDをもらったの。
この日の経験は、私に職業としての『デリ嬢』を考えさせてくれた、ホロ苦くも貴重な時間でもあったな。

承認される喜び

それからの私は、慣れないながらも徐々に自信をつけてったな。リピーターさんもだんだん増えていって、プレゼントをもらったり、デザートを毎回用意してくれてたりってお客さんが沢山。私の出勤表を毎回チェックしてくれるお客さんもいて、そういうの聞くとうれしくなっちゃたな。もちろんハードに攻められることも多いんだけど、縛られたりね。傷つけられたリとか病気とかって、この世界じゃ珍しくないみたいで、病院通いは必須だったな。それより私がベッドを汚しちゃうのが申し訳なかったり、おしゃべり楽しくって時間を気にせず過ごしてて、えっ、もうアウトの時間じゃん!とか、お金をもらい忘れて戻ったりとか、ホント天然もいいとこよね。酔ってるお客さんも多いから、結構ムチャな要求もあったわ。一応ピル飲んでたけど、無理やりとか、ダマしてとかで、強引にエッチしようとしてくるお客はアタマにきてね。ワタシ実は小学校の時、父の影響受けて空手習ってたからね、思いっきり蹴っ飛ばしたこともあったわw
でもホントにリピータ―さんには可愛がってもらってた。私なんかよりゼンゼンかわいいコ沢山いるのに、わざわざ空きを待ってロングで指名くれてね。私のほうも限られた時間の中で自分の恋人みたいに感じれてて、わがまま言えるようなリピさんもできたの。だっこしてキスされて優しい言葉で褒めてもらって、人間としても大事に扱ってもらえてさ、何かね、涙でる。今までの苦しみばっかだったことが、全部フッとんでしまったみたいになって。そんでお金も貰えて、お小遣いまでくれた日には、もうワタシ、何でもしちゃう!って。白馬の『おじさま』が急に沢山でてきたねー、ワハッ

迷って、異世界みたいに感じてたデリの仕事がね、私に少しづつ自信をくれたの。医療施設の仕事は殺伐としててね、ドジだから失敗もするしね。だけどここでは初めて、私が居ることを喜んでくれたり、大金払って会いに来てくれる、そんな人たちに巡り合えた。相談したりされたり、笑いあったり、泣きながら熱く抱き合ったり、人間だったの。人間になれたの。

2か月が経ち、ようやくデリの仕事にも慣れてきた。他のキャストのことや、こんなお客は注意が必要だとかね。店のナンバーワンのコはやっぱりすごかった。そのコはいつも、出勤上げると同時に完売よ!ありえる?でもね、パネル写真はすごくキレイな感じだけど、送迎車の中で実際に会ったらそうでもないのよ。何でなんだろう、って。大好きな店長に、「どうして?」聞いてみたことがあるんだけど、「ミツキちゃんも写メ日記上げてみなよ、あのコの見てごらん、すんごいよ。」って。しばらくして私もマネして始めてみたりしたのよ。「でもミツキちゃんもお客さんの評判、すごくいいよ。フリーのお客さんから随分リピさんになってるじゃん。」♡ありがたい。

出会い

そのころだったか、離れた場所のビジネスにパネル指名で呼ばれていったの。パネル指名ってのは、ネットとかでイメージ写真を見たりして指名してくれることで、本指名っていうのはリピーターさんね。本指じゃないと指名料が入ってこないお店だった。初めてのホテルでキャストが入れるか分かんなかったから、ドライバーさんの電話で1階まで迎えに出てもらったの。浅黒くてガッシリした、ちょっとそちらの方なのかな?って感じだった。2階だったから、デリバッグ持って階段を付いて上がったんだけど、私がつまずいたのね。そしたらコワモテさんが、「大丈夫かい」って。あ、優しいんじゃん、よかったー入った部屋はウィークリー?みたいな自宅っぽい感じで。ちなキホン、自宅は盗撮、ビジホはゴムがないから嫌うコが多いのよ。稼いでるコは、ほぼヤッてたし。出稼ぎのコは直前交渉って結構いたみたいね。で、その時は『ブラックこわもて』に、また会うことになるとは思ってはいなかった。
コワモテさんとお風呂に入って、ベッドに。彼は私の眼を見ながら、髪を優しくゆっくりと撫でてくれたの。そして、抱いてくれた。汗かいた顔で彼が、「ミツキちゃん、よ、ヨダレ出るんだね」って、めちゃハズくてね、「ワタシ、病気なの!」って言っちゃった。でも何か、思ってたような怖い人じゃなくって、ウデ枕の中で、自分のこと沢山しゃべっちゃってた。事故して、お父さんにこれ以上の負担をかけるのが辛くてこの世界に入ったこと、離れた町の医療関係に就いてることも。もちろん窃盗グセがあることなんかは、ナイショ。本名は、カナって伝えた。本名じゃないんだけど、クレプトの施設に行ってた時に互いに呼び合ってた名前なの、実はね。とっても気にいってて、施設を出た後も、まわりにはそう呼んでほしかった、私のナマエ。「本当はいくつなの?」訊いてくるから、4歳だけ割引しといたwそのくらいには、いつも見られてたしね。そろそろ10分前、電話が鳴るころ。そのときね、彼がボソッと、「一緒に来ないか?」って言ったのね。はっ?なに?ワタシ外国に売られるの?って、一瞬巡ってたのね、そしたら、「一緒に居よう、俺と。」エッ!どゆこと?って思うでしょ。でもワタシ、「うん、行く!」って答えてたのよ、ふつうに。どうしてか自分でもわかんないけど、たぶん過去の自分から逃げ出したかったのかな。もしかしてこの人が、私の人生を変えてくれるのかも、って。結局ハナシは時間が来て途絶えてしまって、連絡先を交換して私は送迎車に向かった。

この仕事をしてたら、ヨメに来いとか、オレのオンナにならないか、なんて話はよくあることね。店外を誘われるのも結構あるし。だけど、それは私にとって面倒くさいお誘いだったかな。信用もできないじゃない、みんな「また呼ぶね!」つって呼ばないしさ。エッチしたいだけよね。私が欲しいのは『お金』、オトコじゃないんだもん。限られた時間のなかでお互い楽しめて、恋人気分を感じてもらえば、それでいいって思ってて。だからこの日の私は、どうにかしちゃってた。なんかね。

恋人気分

本業と副業の忙しい生活をしてた私に夕方、メールが着信、コワモテさんからだった。「来月そっちに行くんだけど、出勤はスレ違いみたいだね、ザンネン!」私は昼職の予定を変えてもらって、彼に予約できるようにシフトを入れてもらった。2度目の出会いは最初からニコニコしてて、全然コワモテさんじゃなくなってたね。少し長い時間で呼んでくれたから、一緒にたくさん写真撮ったの。彼は出張が多いフリーの仕事してるらしかった。奥さんも子供もいて、連れ子さん同士で一緒になったけど、ウマくいかずに別居してるって。(私へのてまえ、うまいこと言ってるのかな?)「カナを探してた!」って、いろんな人に言ってるよね、多分。それでも私のこと、よくわかってるなーって感じてた。イジメられてたことや、おじいちゃんおばあちゃん子ってことも見抜かれてたし。「純粋な人」って何度も言ってくれて、そんなワタシじゃないよ、そんな純粋ないいコじゃないからって、笑顔の下で少しとまどってた。

それからも彼は、バンバン来てくれたのね。近くにもデリはたくさんあるだろうに、仕事がない時も、わざわざ私の出勤に合わせて車で4時間もかけて。多い時は週に3回も呼んでくれてたの。それも最後の時間になるように呼んでくれることが多くて、最後に私をねぎらいたかったんだって。送迎車の中で次は彼のホテルだってわかると、気が抜ける?っていうか、なんだろ、気を使わなくていいからって安心して向かえたな。フリーや新規のお客さんって、ホント気を使うのね。探りながら話さないといけないってのもあるし、気難しかったり、怒ってきたりね。めったに来ないけどイケメンンは、『♡』ってなっても、なんか緊張しちゃうし。彼が最後だと、何も考えなくていいから楽だったの。夜勤明けで入ってる日には3時間、ずっとそのままベッドで寝かせてくれて、10分前にキスしまくって起こしてくれたり、ハマってたセブンの親子丼を着く時間に合わせて温めて待っててくれてたり、彼はそんな(ちょっと変わった)人だったの。
 泊りでのシフトの時は宿舎になるホテルを抜け出して、彼が泊まってるホテルへ移動、朝まで過ごしてたわ。変装?して夜中の街に繰り出すのよ。クリスマスイブにも呼んでくれて、サプライズ、レストランで食事よ!ワタシ遊んでない人だから、そんなデートは刺激的だったの。身体を心配してくれて、ちゃんと食べさせてくれて、マッサージもしてくれたり、いろんなことを心配してくれる人だった。もちろんお店からも呼んでくれるから、来てくれた日は結果たくさんお話ししたよ。子供や家族のこと、仕事のこと、大好きなおばあちゃんの話も。おばあちゃんはもう90歳過ぎてて、体調も不安定だったから心配だった。彼のことはまあ信用してたね。いつか色んなことバレちゃう日が来るのかもしれないけど、彼にだって奥さんとのこともあるし。だけど、今が楽しければ満たされてたし、なにより私は癒しを求めてたの。

ここは安息の地?

もちろん他のお客さんにも、いい人いたわ。美味しい食事で喜ばせてくれたり、買い物したりお土産いっぱいくれる人もいたし、オンナのカラダよくわかってて気持ちよくしてくれる人もね。他のコから羨ましがられるようなお客さんも結構いたのかな。ご飯だけとかお話だけで終わるお客さんってのが、みんな一番いいからね。一緒に寝てるだけでいいってお客さんは『神』だったよ。まあ、そんなお客さんは稀だからね。
そんでね、私デリ初めてからぐんぐん成長しちゃってた、標準体形になってた。40キロそこそこだったんだけど、写真見て驚いたの、健康体じゃんってw多分、みんな呼んでくれたら、おごってくれたり心配してくれてたからね。仲いいリピさん達、私が食べてる時は異口同音に、「すごく幸せそうな顔してる」って言ってたもん。思い出すわ。
昼職の方はね、おじいちゃんおばあちゃんのお世話が中心で、夜勤もあるけど、みんな可愛くてね。職能的に私が責任取らないといけない事もあったりするんだけど、苦じゃなかったな。私からじゃないと食事を摂ってくれないおばあちゃんもいたわ。手をさすってくれながら「あなたは肌のキメが細かくて、これはお金払っても手に入らないのよ」なんて褒めてもらったら嬉しくなるね。忙しくても元気があったの、10歳くらい若く見られることもあったのは、充実してたからじゃないかな。
デリは夜勤明けも当たり前って出てたね。終わって朝、電車で1時間、そのまま出勤で25時間~28時間連続勤務?ね。そして3~4時間寝たら朝のお客さんの送迎が来てって。お客さんにベッドでよく寝かされてたもんね☠そんなワタシをどうして呼んでくれるのかな、って思うよね。お客さん言ってたのは、「ミツキちゃんみたいなコがデリにいるのが信じられない」とか、「嫁さんよりも俺のことを思ってくれるのが嬉しい」とかね。私は私で、こんなオンナを何時間も呼んでくれて、エッチなことよりも、ベッドで撫でて添い寝してくれて、美味しいもの食べさせてくれたり、かわいい可愛いってイイい気持にしてくれたり、信じらんないリピさんの気持ちの方が不思議だったのよね。ワタシね、小さい時の写真見たらね、顔を右に傾けて、ホッペに両方の人差し指当てて「ニコっ」って顔してんのよ、全部。きっと生まれつきサービス精神旺盛だったのかもね。愛嬌だけは結構あったのよ、そこは親に感謝だね!

デリ嬢の恋愛は

ある日、彼が、コワモテさんwね、「カナ、デリやめないか?」って言ってきたの。「借金、全部俺が払うから。」って。200万円くらいだったんだけど、それは出来ないって、ためらいながら答えたの。私の力で稼いで返したかったってのが1番の理由、だけどそれだけじゃなかったの。この人に出してもらったら私、また誰かの言いなりになって生きないといけなくなっちゃう、って。それとね、この仕事の中で、ワタシ、元気になれてたのね。ヤなことも多かったし、しんどいな~ってこともあったけど、人間らしくなってた自分を感じてたの。「あなたの言いなりになるのがツラい」って答えたら、彼は少しだんまりになっちゃってね、あの日は気まずいデートになっちゃったな。彼はずっと言わずに苦しんでたみたいで、私がシフトに入ってて自分が来れない時って、終わる朝5時まで眠れなかったらしいの。「爆サイにひどいこと書かれちゃって」ってグチったときには、そのあと彼も観たらしいのね。サイト見ながら吐いたって聞いて、その時は、悪かったなーってかわいそうに思った。
幾度か、「辞める気ないか」ってやり取りは断続的に続いていて、彼も強制はしたくないらしくて、私が否定すると、「そっか、わかった。」そう言ってくれるんだけど、寂しそうな顔に気づいてはいたわ。その間もお金の支援は度々してくれてて、「1日でも、1人分でもいい、カナがこの金で少しでも入らなくて済むなら、オレ安心なんだ」って。けっこうな頻度で呼んでくれるのも、怖い目に合う時間があると嫌だから、ちょっとでも助けがしたいって気持ちだと言ったの。
彼の力もあって、皮肉なことだけど私のお店での評価は上がっていってた。

その後も彼からは、「辞めて一緒にやっていかないか。」ってお願いをされていて、ついに、「じゃ、目標まで稼ぐから待って。」って返事したの。3カ月あればそれだけ出来そうだったから、それを期限に約束したのね。とても喜んでた。心のモヤが全部晴れる様た、って言ってたね。そして最後の日、彼は宿泊してるホテルで私の最後のお客さんになった。「ご苦労様でした」とか、そんなことを言ってくれたと思う。帰りは、早朝出勤に間に合うように私の地元までクルマで送ってくれたけど、助手席でうたた寝しながら、疲労半分・不安半分のドライブだったの覚えてるな。

私の居場所

私がデリを辞めるって前に、一緒に韓国旅行にいったの。楽しみのひとつはもちろんグルメよね。チーズダッカルビにサムギョプサル、ホットックやキンパにおでん、路上のお店で山盛りのイチゴ。買い物もたくさん。洋服を値切るのが得意なのワタシ、釜山の駅地下で素敵な春物のコート見つけたのね。どんどん値切ってって、最後にお店のオバサン、怒り笑いで電卓を床に投げ出してたの。もう、彼と笑いが止まんなかったなー化粧の仕方もよく分かんなかったワタシは、彼に連れられてデパートの施術?してくれるお店にも行かされたわ。それだとか、目をいじりたくってね、一重だから美容外科にも連れてってもらったの。でもデキバエはちょっと不満、も少し高いのにしてくれたらよかったな。洋服に靴にカバン、いろんなもの買ってもらったのは嬉しかったな。今まで自分のものにお金かけらんなかった人生でさ、お姫様じゃん!ってね。ある日、ご飯食べてた時ね、私が「アレも!コレも!」って頼んじゃうからかな、彼が「カナは俺と知り合ってからお金1回も出してないよね」って言ったのよ、笑いながらだけどね。だもんで、その次だったかのデートの時、会計の際に財布持って立ってたの、買ってもらったコーチの。私に払うつもりがなかったからだろうね、彼がバカウケしてて「テレビショッピングじゃないだから、なんだよ、それw」だって。私は両手で財布を胸に掲げてお見せしてるだけだったのね、アハッ
そんな感じ、お互いの仕事を縫って行ったり来たりのデートは、しばらく続いてった。
だけど、なんか気持ちがしっくりこないのよね、よくケンカもしてたな。

彼はもともと家庭を持ってた街から単身、実家の近くに帰ってて、そこへも新幹線で1時間かけて行ってたな。往復の電車賃は出してもらってたから大丈夫なんだけど、もう稼げなくなっちゃったからね。会うからには、行きたいお店での食事や買い物、マッサージなんかに連れてってもらわないと何か損した気持ちになっちゃてさ。ワタシ、万引きもそうだったんだと思うの。食べ物を盗ってたじゃん、アレってね、どうせ食べたらなくなっちゃうものにお金を払うのがバカバカしく思ってた。まして、食べては吐いてたんだもん。彼と会う時も同じような感覚を感じたことがあったかな。特にデートでケンカになったり険悪になったりすると、「もういいわ!」ってね。(この時間、お店に入ってたら何万円にもなってるのに!)っていつもそう考えて比べてしまってて。お金目当てで彼といるわけじゃないんだけど、してもらって当然って思ってて、○○欲しいって言えば買ってくれる、それは当たり前のことだった。もちろん感謝はしてたよ。普通のカップルなら、一緒にいれば幸せ感じるのよね。私、恋愛経験ないからあんまりわかんないんだけど、前のダンナにはその感情があった気がするな。
彼と会う時エッチも求められるでしょ、それもね、結構拒否ってたの。デリで会ってるときは『お仕事』って感覚あったけど、もともとしたい方じゃないし。「早く終わってよ!」って最中に何度も言ってたくらいよ。彼は「カナとエッチするのは、オンナを抱きたいからじゃないんだよ」って言うけど、意味わかんなくない?オトコはヤリたいだけでしょ、って反論してたし。アソコ触られるのもイヤで手で払いのけたりしてて、もちろん彼のモノも咥えたことなんかなかったよ。求められても、「とにかくイヤなの!」ってあのころ毎回言ってた。「デリの客には良くて、俺には応えてくれないんだね、ふつう逆じゃないのかい?」って言ってたけど、そう?そんな雰囲気だから、またケンカよね。
3、4カ月そんなのが続いて、もうね、我慢できなくなっちゃてね。また戻ろうって決めたの、そう、デリにね。

強迫観念

彼に相談もしたデリ復帰。反対する彼の気持ちも大事にしてあげたかったし、お金も一大事ってわけじゃなかったから、しばらくは昼職で頑張ってみようかって思いとどまったのね。弁護士費用も何十万か出してくれたり、毎月3万円だけど振り込んでくれて、彼も助けてくれようとしてたと思うよ。だけど一度覚えた美容のことやお化粧、コルギにエステ、今までオンナとしての輝きと無縁だったかからかな、もう手放せなくなっちゃってて。たまたまその時にお父さんの知り合いのスナックを手伝わないかって話があって、彼に相談もしたの。いい顔はしてなかったけど、興味もあったし半分内緒で通うことにしたのね。私がいるからって来てくれるお客さんがいるのは嬉しいものね、まあデリみたいに稼げはしないけど。でも、出待ちを襲われたり、詐欺商法に騙されたり、ワタシやっぱりどんくさいのかな、いろんな経験しちゃったわ。

職場でも仲いいコたちができて、遊びに行くのは楽しかったな~午前様で飲んでカラオケ、旅行や、恋バナ咲かせたりね。私にはそんな時間が新鮮で、キツい仕事の合間だったけど自由を満喫してたわ。彼には「私は放し飼いにしてね」って言ってて、何か月も会わずに、たまのLINEに返事する程度になってたな。気持ちがなくなったわけじゃないんだけど、ジムにも熱心に通ってて、イケメントレーナにキュン×2してる時間や、みんなとワイワイやってる方が楽しくってね。今度は整形もしちゃおうって思ったの。キレイになりたい!今までのワタシ、どうしてこんなに何も知らずに我慢ばっかしてきたんだろう、そう思ってたよ。
辞めたデリの店長からは毎月連絡が来てた。「美月ちゃん、戻っておいでよ、リピさんからの問い合わせ、ずっと来てるんだよ!」有り難いことね、もう何か月も経つのに、まだ私を持ってくれている人がいる。ダメもとで彼に戻りたい気持ちがあることを相談したけど、やっぱりハナシは煮詰まってしまうの。悶々とした私の中で、でも、もう答えはひとつだった。今度は借金じゃないの、自分を輝かせたい、私を磨くお金が欲しい!って思ったから。決めたらね、ワタシ戻ることができないタイプだからさ。稼ぐならデリしかない!って、いま考えたら、強迫観念ってやつね。

ゴメン、もう限界

幾度か会いたいって連絡してくる彼との約束の日、面接を兼ねたデリの初日と被っちゃって、そうとは言わずに彼に予定を替えてもらったの。久々に会うことになったけど、その日は彼に打ち明けれるかも、って考えてた。だけど切り出そうとすると、彼は黙りこくっちゃっててね。泊まったホテルで、私は彼を拒んで朝を迎えたわ。車に乗り込んだ私は、彼の目を見ずに手を振って発進した、そんな半年ぶりの再会だったの。

そしてお店に本格復帰の日、電車を降りて送迎車に乗り込んだ。今度のナマエは『未希』、おんなじ名前じゃ、彼にバレちゃうからね。もうロングが入ってるって知って、こないだのお客さんだってピンときたわ。着いたホテルは大きなビジネスで、お店では初めての場所だったから、電話でホールまで呼んでもらったの。自動ドアの向こうに立ってる男の人だろうなって思って、歩いて近寄って行った先は、なんと、彼だったのよ。「エッ、まさか!」ワタシは彼に肩を抱かれてエレベーターに乗った。もう、何が何だかわからない、どう言えばいいのか、怒られるのか、別れを切り出されるのか、ワタシの笑顔はきっと、引きつってたんだろうな。でも、彼は私を責めなかった。いつもの恋人同士に戻ったのは一瞬でのことだった。その日は彼の貸し切りで、あくる日のシフトも全部彼が押さえていたの。ランチに出かけて、もういつもの2人に戻っておしゃべりしてて、迎えが来ること以外は普通のデートだったよ。「カナのことでわからないこと、ないし」、「だけど、もう辞めてくれないか。」彼は言った。2日で20万も払ってくれたけど、私が誰かに抱かれたり、乱暴なことをされたりって想像したら、お金なんか、もうどうでもいいんだって、そう言ったの。でも私、「そんなお金があったら、何回ディズニーランド行けるのよ!お店から半分しかもらえないのに!」って、そう思ったりしてたね。
そのあとも結局、戻りたい気持ちは抑えられなくって、彼とそんな方向の話になるけど平行線よね。「カナ、それじゃ俺が毎回会う時にお金払うからさ、俺んとこにデリみたいな気持ちで来てよ」って言うの。私は渋々それを受け入れることにしたわ。月に1、2回、彼のもとに通って過ごす時間も、もう昔みたいな楽しさなんてなかった。帰り際にお金を受け取って、電車賃と駐車場代をもらって電車に乗る。「今日はお金いいからさ、代わりに私、欲しいヘアアイロンがあるの。」って時があってね、5万円くらいのそれをアマゾンでポチってくれてる彼は、何か悲しそうな目をしてた。(ワタシにしてくれることが、もう、喜びじゃなくなったんだな)(じゃあ、会わなきゃいいのに)って。もう、ほかのお店探して、内緒で戻ろう、そう決めた私は、違う街でデリヘル嬢としてデビューすることにしたの。

うつろい

そこのお店は、割と客層が良くって、とにかく稼げるのが良かったの。自走で向かわないといけないシステムで、近くなら彼に買ってもらった中古の軽に乗って、100キロ以上離れた街にも新幹線で行ってたよ。ファンになってくれるお客さんも沢山増えてってさ、私も嬉しくて、夢中になっちゃってた。もうさ、アクセサリーは誰に買ってもらったのがどれか分かんなくなっちゃってね。食べたことない美味しい食事や、何でも買っていいよって言ってもらって、帯の付いた札束を積まれてね、「オレのとこへ来てくれ!」なんてこともあったよ。デリは他の客商売と違って、身体を合わせるじゃない、親密になる度合いがハンパないから、「キミみたいに思ってくれる人初めて」とか、「真っ白で、カラダ全体で吸いつかれてるみたいだよ」なんて思ってくれたら、そこからの延長で、すぐ恋愛感情持たれるのね。やってることは普通、親密なパートナーとしかしないことだし。

そんな中で、私が1番信頼できて、好きになったお客さんがいたの。大きな会社の会長さんで、紳士で優しくて、私のことを誰よりも心配してくれててね。奥さん亡くされて、息子さんたちに会社を任せているって言ってた。何でも知ってて優しく教えてくれる会長さんは、いつしか私の一番大事なオトコの人になってたな。身も心もトリコだった。彼は怪盗ルパン?ねwワタシのココロ持ってかれたの。会いない日は毎日電話でお話ししてくれて、私が泣きそうになってた日には、電話で3時間も励まして慰めてくれて、心のなかで日々、大きな存在になっていってたな。そして、お互いの気持ちは強く結ばれているって、沢山の愛を注いで、それを教えてくれたの。

彼への気持ちも当然変わっていったわ。もう、彼氏なんだかどうかもわかんなかったよ。会えば、拒んだってカラダ求めてくるでしょ、あんまし感じないし、「したいの?ハイどうぞ」って、ワタシもそんな感じになっちゃうよね。「カナ、たぶん風俗してるよね。」言われても、答えれるわけないっしょ。彼には掛け持ちの新しい施設が忙しくって、なんて言ってた。ま、ウソじゃないけど、1度っきりしか行ってないわ。一緒に買い物に行ったって、「コッチにしたらいいんじゃない?」って、安い美容液をススめてきたり、どんどんセコくなってきててさ。私にお金使うのが惜しいんだな、って感じてたから、「デリのお客さんは、いつも私に欲しいもの、何でもいいよ、って買ってくれてたわ。」って言っちゃてたよ。「カナと会ってから600万以上使ったなー」とか言ってくるけど、それ、あなたも楽しんできたんでしょ、私のせいじゃないよ、って、思っちゃうよね。会うたび毎回、魅力がなくなった彼と『あの人』を比べてる自分がいたの。会うたび別れたいって思ったね。

堕ちてく予感

デリは、お金がどんどん増えてくし、やりがいも使命感もバリバリよ。だけど睡眠時間は2~3時間しか取れなくって、ウチに帰ったらお金の束をポイってして、倒れるようにしてつかの間の眠りについてたわ。お客さんはリピートさん以外は怖くって、もう新規なんかは全部NGにしてた。お金盗られたり、免許証を盗み見たり、レイプみたいにされたり、死ぬんじゃないかってプレイされたりとか、そんな人、山ほどいたわ。あと、たまんなかったのは、『爆サイ』、私、何十人かのキャストでナンバーワンになってたのよ、スゴくない?でね、あることないこと書かれててさ、たぶん店のコも書いてんのよね。見なきゃいいんだけど、どうしても気になっちゃってね。店長や会長さんにいつも慰めてもらってた。それでも寝て起きたらまた、「よし、やるぞ!」ってね、お金のパワーってスゴすぎない?待ってる人がいるってのは幸せだわって、思ってた。
とても忙しい生活は続いてて、ある日、私は駅の階段で転んでさ、ゴロゴロ転げ落ちちゃってね、足からは流血してるし、(あ、もうこれダメかも)って。そんでね、裂けたバッグからバイブ出ちゃってて、おまけに振動してるのが見えたのね。助けようとしてくれたお兄さん、多分ひいてたよね、多分じゃないわね。赤面する。会長さんの所へ行って優しく手当てしてもらって、傷は治んないけど、心は治った♡
そんな毎日バタバタしてるある日、彼から着信、「今どこ?」っていうから「今日は朝から健康診断もあって、行ったり来たりなのよ」って答えたのね。「そう?今日は博多に行ってなかった?」って。(エッ、どうして?何でわかったの??)「どうしてそんなこと言うの?」アタマ真っ白で聞き返した。「実はね、悪気なかったんだけど、『アイフォンを探す』ってアプリ、なにげに開いたらね、出てきてさ」ワタシ、「ギャーッ」って叫んだらしい。そう、この電話は彼が、お金が苦しいだろうからって契約してくれたものなのね。「友達と新幹線でバーゲンに行ってたのよ、今度着ていくわ!」って慌てて取り繕ってはみたけど、ショック!彼に不信感しかなかった。クレジットカードも持たせてもらってたから、デリでの電車移動とかで考えずにチャージして使ってたけど、これも激ヤバくない?って不安になったわ。GPSアプリ?もソッコー消去したよ。

爆サイは相変わらずワタシを苦しめてるしね、泣いて泣いて、慰めてもらったって、また見たらまた泣いて。「ブス」だの「ババア」だの、ワタシは「肉便器」じゃないわ!もう死にたいって何度も思ってた。
極めつけは、彼がコロナになったみたいで連絡してきたこと。1週間後に行くって約束してしまってたから、「じゃあやめとくね」とかって返事したのね。そしたら後から「みんな心配してくれるのにカナは冷たいんだね」とか、「1週間あれば他人には感染しないってことらしいよ」とか、グジグジ言ってきてね、もうブチギレしそうになってね、ワタシ。内心、「アンタのことなんか知るかい!」って、完全に心が離れてしまったね。LINEにメチャ書いて送ったわ。もうムリよね。

指定席

それは夜勤明けの朝、車でジムに向かってたら、彼から久々に電話、「何っ?」って出ると、彼がやってる副業?内職ね、それでわかんないことがあるからってことだった。仕事の合間で私の代わりにやってくれてて、お給料は全部私に振り込んでくれてるのね。段取りを説明して愛想なく電話を切った私は、ジムには少し時間が早いこともあって、近くの大型スーパーへ向かった。ジムは個人レッスン受けてたの。夜勤明けの疲れた身体なら休めばいいって思うでしょ、でもね、時間って有限じゃない?もったいないことに耐えられない性格なのよ。
お店の2階に上がった私が向かったのは、衣料品売り場。そこで私はまた、悪の招きで手を染めてしまう。衝動的?って言えばウソになるのかな。でもね、彼氏が病気の時に言った言葉も、爆サイの悪口も、いろんなイライラで、そのころ私はノイローゼかウツ病かってとこまでは来てたんだと思う。もう、死んだっていい、って、毎日思っていたもの。そしてね、自分が次にとる行動もわかっていた気がするの。 

その日の私は、お客さんそれぞれの身体のサイズを名前の横に書いたメモ、持って行ってた。誰もいないのを確認して、ジムで使えるスポーツ用品をカバンに入れ込んで、次はボクサーブリーフを何枚も突っ込んだ。ドキドキするって思うでしょ、もうね、ヤッてるときは、しないのよ。そんなだったら今までに、もうとっくにアシ洗えてるかな。視界の端っこに何だか人の気配はしたけど、キョロキョロしたらだめなのね、よけいにダメ。
店を出てクルマに向かってた私に「ちょっといいですか」って。「あ、きた!」そう、その時は来た。守衛室に連れられて、何も言わない私に警察官、「ダメだ、もう暑で聞くから」って、手錠をはめられ私はまたパトカーで、いつもの席に乗せられた。
いろんなこと考えたね。仕事や同僚、お父さんや息子のこと、刑務所の生活へ逆戻りするんだな、とか。なんでこんな人生になっちゃってるんだろうね。

アイ

留置場に入れられてすぐ、お父さんは来てくれた。父はいつだって、どんな時だって私の味方だった。カレシから電話来てたから、はぐらかしておいたぞって。母も、ほかの家族へも、お父さん全部に内緒にしてくれていたの。寒くて狭い留置場で、私はこれからのことも何も考えられなかったの。
留置4日目、この日も朝、お父さんが来てくれて、「元気出すんだぞ!」って励ましてくれていたわ。その日、留置担当の警察官から、差し入れだと聞かされて受け取った私は、愕然とした。『愕然』って言うのがいいのかな、わかんないけど。彼からだった。どうしてかわからない、でも、そこには、2人で撮った沖縄旅行の写真、間違いなく、写っているのは私と彼だった。現金の差し入れもあったそう。動揺して、何と表現したらいいんだろう?(バレてる)(なんで知ってるの)(知られたら困ることしかない)グルグルと巡ってる『!??』は、私の恐れや不安よりも、もっと大きな渦を巻いてたの。
あくる日に手紙が届いてね、走り書きのような字の手紙だった。来るときの新幹線で書いてるってあったの。面会は1人につき1日1回で、手紙も郵送以外は預けれないから、昨日来てくれた帰りに警察署に1番近い地域から投函するって追記してあった。「この手紙読んでるってことは、オレが想像した通りになってしまってたってことだね」って。私が犯した罪もおおよそ分かっているようだった。でもどうして、ピンポイントでこの警察まで一直線に来たんだろうね。父は、事件が報道はされてなかったって言ってたし。手紙には、どんなことになっても支えるから、一緒に頑張ろうって内容が書いてあった。お金は、大好きなアイスを食べさせてやりたいからって。今こうしてあなたに書いてても泣いてしまう。父から、「昨日カレシから電話あったよ、どうして知ってるのかわからないけど、カナを支えるって、本当のカナを知ってるって。必ずもう2度と繰り返さないように一緒にやっていきたい。そう言っていたんだよ。」

そうよね、あの人は何でも知ってた、私のこと。出会ったときからそうだった。それからの手紙で、私が隠れてやってることも、いいなって思ってる人がいることも全部正解していたわ。理由を聞けば、「なるほど、そうやって答え合わせしてたのか」って感じで、『心のGPS』って彼は書いてた。本気で24時間思っている人のことは、離れていても見えてくるって。以前彼に私の同僚の恋の悩み相談したとき、よく言ってくれたこと、「彼氏さんがね、自分(同僚のコね)のために『お金』『労力』『時間』を全部使おうとしてたら、その人、ホンキだよ。」って。確かに彼は『本気』で思ってくれていた。申し訳ない気持ち、慰めてもらいたい気持ち、暗い檻の中で、無責任に死んだらダメなんじゃないかなって思ってた。

太陽

いま、私は毎日、食事の担当でてんやわんやよ。そのことはたくさん手紙に書いてきたから、あなたも辟易してるでしょwこの手紙のコトなんかはサイトに上げるってことよね、読んでる人いるのかな?とにかく中での人間関係は大変だわ、こりゃ尋常じゃないね。捕まる前は、「もう、刑務所に戻って楽になりたい!」とか思ったりもしてたけど、今度はホントに耐えらんないくらいよ。死んでもココには戻らないわ。父は面会可能な月2回、必ず来てくれてるの。もうトシだから、高速道路での行き帰りはホント心配だけど。一番辛かったことは、おばあちゃんが他界してしまったことね。お葬式に行けないかもしれないってことは頭では分かっていたんだけど、情けなかったよ。こうして振り返ると、刑務所生活も半年が来るのね。私、少しは変われたんだろうか。保釈中に彼ともいろいろ話したな。今も毎週何通かの手紙くれてて、希望の本やマンガももう100冊以上は入れてもらったかな。彼のお給料日にはお小遣い?もお願いしてるからね、有り難いことだね。でもさ、まだ妻帯者じゃない、裁判でも証人に立ったお父さんに検事が言ったのね、「お父さんは、交際中の彼に妻がいることを知っていますか!」って。お父さんにあらかじめ言っておこう、って言った彼に感謝したよ。「はい、知っています。」って答えてくれたから、検事さん、チョイ「ぐぬぬっ」ってなってたし。まあそれでも刑務所の面会は奥さん居るからって理由で許されてないから、彼とは今は手紙だけね。裁判ではお父さんの存在と、彼の嘆願書も汲んだ判決だって判事さん言ってくれてたし、皆さんのお蔭をしっかり受け止めて生きるよ。
万引きはもうしないよ、意地でもしない。デリはね、まだ引っ張られる気持ち30%かな。保釈中も携帯見たら、めいっぱい連絡来ててね、「あーワタシがいてあげないと、この人たち悲しむんだろうな」それは思っちゃうね。あと1年以上いる中で、いろんなハナシ聞くことになるだろうね、儲け話やデリの話も。彼にはもう会わないって言ってるけど、デリのお客さんね、今はまだわかんないの。でも信じ合えて、そしてなんにも隠し事しない関係でいたいな。彼の手紙と、たまにお父さんもラブレター♡書いてくれるよ。本当に私、父の目の黒いうちは絶対に繰り返さないから。でもそれを面会の時に言ったらね、「オレが死んでもぜったいダメだぞ!」って。そんな日のこと想像するだけで悲しくて泣いちゃうよ。彼のほうは手紙で、「太陽になれ」って書いてくる。受刑者も苦しみや不安、絶望抱えてきてるから、投げやりでズルくて乱暴もいる、だけどカナは、その中で太陽になれって。必ず理解者も協力者も現れるからって。自分の中心にあるものだけは、強く外に向けなくていいから、決してその光を失うなって。なれるかね?こんな朝寝坊の太陽いないっしょw   

※「カナからの手紙の編集者より、読者の皆様へ」 
ご覧いただいた皆様、御礼を申し上げます。カナは今日も闘っております。この掲載を決めた目的は、いろんな苦しみを抱え、社会で理解を得難いと思われている方への同苦とエールのためですが、同時に希望として、カナに自身を俯瞰してもらい、歩む方向を定めていってほしいという願いがありました。まだまだ道半ばではありますが、彼女が更生する姿で、多くの人に光を与えていく人生を送ることを信じております。一旦ブログはお休みいたしますが、スピンオフ?で、動画サイトや様々な発信を計画しています。動向がありましたらこちらでご紹介をさせて下さい。興味がある方がおられましたら、たまに覗いてみてくださいね。また、最終章につきましては、出所後、本人による筆致をもって締めくくろうかな、とも思ったりしています。いずれにしましても、構成・内容・文章と稚拙極まりなく、その点はお詫びをいたします。
最後までお読みくださった皆様に感謝を申し上げ、再会を切望しつつ。

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