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便利家電が普及しても女性から家事がなくならない理由

この疑問について考えたことはないでしょうか。もっとわかりやすく言うと、「これだけ便利家電が増えたのに、どうしてママだけが(家庭の中で)忙しいままなのか」という謎。

■「お母さんは忙しくなるばかり」という論文を読んで

一見、ふざけたタイトルのように思えるこちらの本ですが、れっきとした論文です。1900年代のアメリカを例にとって、家事労働とテクノロジーがどのように相関し変容していったのかを詳細に調べてくれている本です。
実際に読んでいただけるのが一番いいのですが(苦笑)、その中ではこのように述べられています。

(1)1900年以前は社会全体に仕事らしい仕事はなく、男女(夫婦)共同で「家事」をするのが当たり前だった。
男女のどちらが欠けてもダメで、それゆえ仕事に優劣はなかった。けれど完全に仕事内容には性差があった。例えば、薪を割るのは男の仕事、その薪を使って料理をするのは女の仕事で、それはお互い代わり得るものではなかった。
※なぜかというと、テクノロジーが未発達だった時代には、薪を割るのも手作業、パンを焼くのも手作業で、お互いあまりにも忙しかったから。

この時代の特徴は「仕事には性差がある」こと、「お互い忙しすぎて仕事(家事)をシェアするという感覚は全くない」ということ。
テクノロジーが未発達だったので、全力でその仕事に取り組む必要があり、「片手間に手伝える」ような内容ではなかったのです。夫婦のどちらか一方が欠けたら家が成り立たない時代でした。
ではこの時代、もし片方が病気にでもなったらどうするか? それは「安価な労働力を雇う」、つまり奉公人を雇って洗濯や掃除、薪割などをさせていたようです。

(2)テクノロジーの発達により、男は工場で働くようになった。つまり、「家の仕事」から「男だけ」が抜けたのである。
このため、女は、男が家庭で担っていた役割までも肩代わりすることになった。
この場合、「薪を割る」という仕事を実際に行ったわけではない。薪はテクノロジーの発達により安価なものが売られ、それを買えばいいだけとなった。
しかし「薪を買いに行く」「買った薪を家の中に運ぶ」「薪を使って火を熾す」など、「薪割り」に付随して男が行っていた仕事を、女がすべて担うようになったのである。

この時代の特徴は、テクノロジーの発達とともに、男性が「家事」から抜けたこと。それに伴い、「料理だけしていた」女性は、男の代わりに「薪をくべて火をおこし炭を処理する」ことまで背負った。
けれど周囲は
「安くで薪が買えるようになったんだから楽」
「男が薪を割ってた頃は大変だったのに女は楽でいいなぁ」と認識した。


(3)女の側だけを見てみよう。ミシンが発達したおかげで、女は面倒な「手縫いの針仕事」から解放されたかに思えた。しかし、ミシンが発達したおかげで、昔は1着しか持っていなかった洋服を、せめて10着は持っていないと「ダメな女」だと思われるようになった。
このため、1着を縫うための労力は減ったけれど、10着もの洋服を縫わねばならなくなった上、10着分の洗濯が増え、10着分の管理という仕事が増えた。しかも、それが家族の人数分だけ倍増するのである。

テクノロジーの発達により、女性はそれまでになかった「管理」という仕事を負うようになった。この時代はまだ家族の人数も多く、それだけ家庭内における女性の仕事の比重は大きくなっていった。


別の例を見てみよう。その昔、子供が病気になれば、つきっきりで「看病」するという仕事が女にはあった。しかし、道路や車というインフラや医療技術といったテクノロジーが発達したため、「つきっきりの看病」からは解放されたものの、「子供を連れて病院へ行き、診察に並ぶ」という別の労力を負うことになった。

「看病」という仕事からは解放されたが、「診察に連れて行く」という別の労力ができた。この仕事を負ったのは女だけである。

(4)これらの仕事を軽減する唯一の方法は、「便利家電を買う」ことではなく、「元気で若い人を安価で雇うこと」だった。しかし、テクノロジーの発達とともに女性の認識も変わってきたため、安価でこき使われる「小間使い」という仕事を女性も忌避するようになっていた。

結果として、家の仕事のすべてを「母」一人が背負い込むことになった

結論:テクノロジーが発達しても、女には別の新たな家事が生れる。


■「現代の母」の労力とは

1900年以前、女性の仕事の多くは「生きていくための最低限を維持すること」でした。が、テクノロジーが発達するにつれ、その「最低限」のレベルがどんどんと上がっていったのです。これは、衛生面ではとてもよいことですが、母たちの労力としては大変なことでした。

一番良く分かるのは前述の洋服の例でしょう。
昔はひとりにつき1着くらいしか洋服がありませんでした。なぜなら布地さえも手作りしないといけない時代だったから。そのため人々はいつも同じ服装でした。でも、周囲もみな同じような暮らしだったから、それで大丈夫だったのです。
それが、ミシンが発達したせいで、楽に洋服が縫えるようになりました。
ところが、「楽に縫える」のに「1着しか持っていない」となると世間体が悪い。だから必死に次々と洋服を縫わねばならなくなったのです。
1着当たりの労力は減ったけれど、10着作らねばならなくなり、結果としてそれまで以上に忙しくなった、というわけ。

■テクノロジーの発達とともに女性が新たに背負った仕事は、「管理」と「清潔」、そして…


1着の洋服なら洗うのも楽でしたが、10着の洋服を洗う労力は単純に10倍です。1着しかない時代ならいざしらず、汚い服を着ることは現代では「あり得ないこと」になってしまいました。
一度上がってしまった生活水準を下げることは許されません。

昔はこういうケースで「洗濯だけをしてくれる女中を(安価で)雇う」のが多かったようです。しかし、洗濯など「誰でもできる仕事」というのは時代の発達とともに下位の仕事とみなされました。
そんな仕事に就きたいと思う女性はいなくなってしまい、結果として家の中にいる「お母さん」が一手に引き受けることになったのです。

もちろん、現代では「洗濯機」が活躍し、お母さんの手助けをしてくれていますよね。が、その分「色落ちするものは別々に洗う」とか「おしゃれ着洗いは洗濯コースを変更する」など、管理に余計な時間を使う羽目になっているのはご存知の通りです。さらには「洗濯機の掃除」なんてものもありますね。

ただ、ここで特筆すべきは、「女性が不必要に見栄を張ろうとする気持ち」が出てきたのもこのころのようです。周囲が10着の洋服を持っているのなら、私はもっと多くを持たねばならない、そうしなければ「いい母親」になれない――そういう気持ちの変化も、筆者が指摘するところでした。

■日本での変化(明治~平成くらいの100年)

「この本はアメリカでのケースであり、日本には当てはまらないかもしれない」、とは本の冒頭にも書かれています。

しかし、先祖代々の一張羅の着物を使い続けたり、質素倹約に励んでいた昭和初期までの人々が、1960年代の高度経済成長を機に「モノ余り」の時代を迎え、「ゴミ屋敷」が社会現象となり、「片づけ」がいまブームになっていることは、わざわざ言及するまでもないことです。

そしてようやく、「モノはそんなに要らない」、むしろ「管理に手を取られるくらいなら質素に生きよう」「他人の目に振り回されずに生きよう」という逆の流れが起きてきたのが、昭和末期から平成にかけての現象です。
その究極が「ミニマリスト」に代表される「モノに支配されない生き方」ですね。

また、1900年初頭のアメリカでは普通の光景だったようですが、「家事専門にやってくれる女中を雇う」ことが、今の日本の一般家庭にも普及してきているように感じます(まだ数は少ないですが!)(しかし右肩上がりの業界です)
昔と違う点は、「女中」が低い地位ではなく、「高いプロ意識」をもって仕事に臨んでいるということでしょうか。


■「最近の主婦は便利家電のおかげで楽してるわね」

よく夫婦喧嘩や嫁姑問題で取りざたされるこの一言。
「イマドキの主婦は、便利家電が何でもしてくれるから楽ね~」

最近ではAIに話しかければ全部やってくれるアレコレも出現して、いよいよ「主婦は楽すぎて何もすることがないんでしょ、外に出て仕事でもしたら?」なんて言われております。
これに腹を立てていても、うまく言い返せずに悶々としている主婦の皆様がいらっしゃるのではないでしょうか。

これを「名もない家事」なんて呼ぶことがありますが、そのほとんどは「家事に付随して起きる管理の仕事」です。
例えば、洗濯は洗濯機がやってくれるんだから楽ですよ、確かに。でも色柄物とそうでないものを仕分けるのは人間です。乾燥機に掛けられるかどうかの判断もこちらがやらねばなりません。乾燥機を回し終わった後に毎回フィルターの清掃をして、洗濯槽の裏側の汚れチェックまでしないといけないのは人間です。

また、話しかけたらなんでもやってくれるAIに「何を命じるか」を「考える」のは主婦なんですよねぇ。そしてなにより「考える」のが面倒だということを、ご理解ください。

例えば、晩御飯。
よく言われることですが、料理を作るだけなら(面倒だけど)意外と簡単。しかし、それより先に立ちはだかる「献立を考える」という行動が一番難しく厄介だということを、あまり男性はご理解でないそうです。

さらにその「献立を考える」の前には、「冷蔵庫の中身をチェックして足りないものを買いに行く」とか、「我が家の財力でその材料が買えるかどうかの判断」「自分にその料理を作る腕があるかどうかの判断」「子供たちが食べられるメニューかどうかの判断」「子供の成長のための栄養バランスを再評価」「給食メニューとのダブリがないか」そして何より「自分が作りたいor食べたい気分になるメニューかどうか」という大量の判断工程があります。

「アレ○サ、今日の献立考えて~」では済まないのです。


■これからの「家事」は…

「家事をシェアする」という考えはもちろん今後も広まるでしょうし、根付いていかねばならないでしょう。
ですが、これは男女ともに言えることですが、どれだけシェアしあっても「管理」という仕事から逃れられないのが「現代の家事」なのです。
であれば、せめて管理する数だけでも減らしませんか?
不要な粗品であっても、もらえば貰った数だけ「管理」という仕事が生まれます。それに付随してゴミが増えます。ゴミ出しの手間が増えます。

「貰わない」「家の中にモノを持ち込まない」「必要最低限しか持たない」という癖をつけるようにするのが、家事を減らす唯一の方法、かもしれません。


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