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独立を考えたきっかけ その1

基本は「家事代行業」だけれど、「お片付け」になるべくシフトしていきたい考えができたのは、大手でサービスをしていた時のこと。

とある市営団地(階段がない5階の家)から片付けの依頼があり、私と上司2名で伺いました。

中からはどことなくおどおどとした感じの中年女性が出てきて応対をしてくださいました。
「息子が、家の中を片付けろというので……」
自分で片付けられない奥様が業者に頼る例は多数見てきたけれど、「息子さんに」指示されたというのは珍しいなぁと思いつつ、とりあえず作業を開始。

判断に迷うと奥様に伺うことになるのだけれど、どうしても奥様はご判断できない様子。そしておもむろに、ふすまの向こうに声をかけます。
「○○ちゃん、これ、捨ててもいいかしら……?」
なんと、片づけを命じた息子さん(おそらく高校生くらい)は、ふすまの向こうにいて挨拶もせずに居座っていたのです。
いわゆる「引きこもり」と言う状態のようでした。

家の中は、確かに荒れていました。
洋服をはじめ、不要なものがベランダにまでうず高く積み上げられています。私はこの現場で初めて「雨ざらしにされた洋服って、腐って溶けるんだ」と言うことを知りました。

こちらでは奥様と我々含めて女性3人が必死に作業しているけれど、ついぞ息子さんは姿を現しませんでした。それどころか奥様が確認のためにふすまを少し開けるだけでなにやら不機嫌そうな声が聞こえます。ぼそぼそとした会話だったから具体的に何を話していたのか聞き取れなかったんですが、息子さんの、「お前が片付けられないからだろうが!」という怒鳴り声を1度だけ聞きました。

中でも印象深かったことがあるんです。
捨てるかどうかの判断がなかなかできない奥様だったけれど、
唯一ご自身の結婚写真が出てきたときだけはハッキリと「あ、それは捨てていいです」と。
深く立ち入れるものではないため、言われた通りに作業しましたが…。

所定の時間はあっという間に過ぎました。
1度の作業でそこそこきれいにはなったけれど、とはいえベランダのゴミを撤収できたのと、リビングが多少きれいになった程度。まだ台所やそのほかの部屋は手付かずだったし、ふすまの向こうがどうなっているのかは見ることさえ叶いませんでした。

けれど、家事代行業や整理収納業と言うのはどちらかというと「富裕層向けサービス」のため、シルバー人材センターなどを雇うより格段にお高いんです。
もちろん高いのにはきちんとした理由があり、専門の勉強をしているからであって、安易に「安い」業者はやめた方がいいとさえ思うけれど。
こういう、「本当にのっぴきならないご家庭」には、継続的に伺うことができないのです。
ましてやこういうご家庭は、家の中に介入するのが難しいもの。片づけをきっかけに、定期的に訪問できるようになればいい方向に向かうのではないかと思うのですけど…。

「片づけ」をすることで、外側(目の前の空間)が整う。
「目の前が整うと、心が整う」
という効果があります。
やらなきゃいけない試験勉強の前にどうしても掃除がしたくなるのは、おそらく自分の頭の中が「何をしていいか分からない状態でイライラしている」ことの表れ。そんな時、「掃除をして目の前の空間を整えたい(ひいては心を鎮めたい)」というのは、人間に備わった自己防衛機能なんじゃないかと思っています。

ゴミ屋敷などと呼ばれる空間で生きている人たちは、常にイライラし続けて、それに疲弊しきっている状態。
それを片付けるだけで、結構前向きになれるんです。
それを知っている私たちは、どうにかしてそのお手伝いが出来ないものか、と思うのです。

しかし、そういう方々が自分から清掃業者に連絡をしてくることはまずありません。これには、地元の福祉事業者や行政と連携するしか方法がないのでは、と考えます。
でも、一般企業にいる限りは利益追求型の仕事をしないといけません。
片付けにかかわる諸費用は相当な金額となり、ゴミ屋敷にいる人が支払えるものではなく。利益度外視で作業するしかないとすると、私が独立してそのルートを作るしかないのかな…なんて思ったり。

これが、独立のきっかけのひとつ。

整理収納アドバイザーという民間資格が脚光を浴び、「断捨離」や「こんまり」ブームでキラキラした部分が取りざたされるようになった昨今ですが、自分のやりたい仕事はこんな地道で泥くさい、かなり難しい現場なんだよなぁ。
どう考えても利益どころか交通費も出ない、事業的にはマイナスにしかならない仕事なんだけれど、恐らく今後絶対に必要になると、思っています。

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