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喜六庵の「あくびの稽古」にお付き合い下さい  その二十一 私家版「上方落語小品集」


 1978年10月20日、私が24歳の頃ですが、私家版として当時ラジオ放送から録音したり、落語速記本の古書、そして自作の小噺などをまとめていた冊子を保管してありました。まだ、市販のワープロもPCも存在していない時代でした。手書きで作成しました。今となってみれば、お恥ずかしい内容ですが、復刻版として投稿させていただきます。

1978年当時の草稿 表面
1978年当時の草稿 裏面


「寒がり」

 12月になると、どういうもんか、火事が多いんですな。一年中で一番火事が多いんですってね。そらまぁ、12月になるとどこの家も火の車が回るから、それでまぁ、火事が多いんじゃろうちゅうて、昔は言うてた。今は、12月の方が景気がええぐらいのもんですが‥。消防でも、江戸時代は破壊消防いうて、燃えてる奴を消すんやない。燃えてる奴は燃えててもらうんです、これは。で、この火が隣近所へ燃え移らんように、隣近所を壊して、こう空地をこしらえるんですな。今から考えたらエゲツない消防があったもんですが、それでも火消しというものが、ないよりはあった方が宜しいわけで、こしらえたのがテレビでお馴染み‥大岡越前守やといいます。
 あれ、「いろは四十八組」というから、「いろはにほへとちりぬくをわかよたれそつねならむういのおくやまけふこえてあさきゆめみすえひもせすん」と、ここまで四十八文字、全部揃てたかというと、そうやない。中にない組がある。どういう組がないかというと、「へ組」に「ま組」に「ら組」「ん組」ちゅうのがない。なるほど、こら考えてみると、こういう組は勢いが悪いですな。
「おぅ、お前ちは、どこの若い者だい」
「俺ら、め組よ」
 こら、恰好よろしいけどね。
「お前、どこの若い者やねん」
「おら、へ組や」
「お前、へー組か、その隣は」
「おら、ん組」
 何か、臭いが漂いそうでね。こういうのは具合が悪いです。又、この纏に印がついてますからね。火事には、野次馬という奴がつきもん。「ダタタタゝゝ」大屋根へポーンと、纏が上がって、下の方で野次馬連中が「おい、どどどどこ、一番の纏、どこ」「一番の纏、め組、あそこへシューッと立ったるわい。景気がええで‥」「おう、そそその次は‥」「その次はね、えーと、は組。め、は、と立ってら‥」てなことを言うてますが。「め組」や「は組」やさかいよろしいで‥。
「一番の纏、どこ」「一番はね、あっ、ま組が立ってるで‥」「その次」「その後はね、ら組‥ら組」、立ってるね。これは。具合悪いんです。これはね。ですから、「ま組」に「ら組」「へ組」「ん組」てなんはないんです。そういうのがないかわりに、一とか十とか百という数字が入ったんやそうです。
 防火設備ということになると、昔は火の番のおやっさんが唯一の防火設備みたいなもんでっさかい、こいつだけは欠かすことが出来ん。ていうて、一年三百六十五日休みがないというのも可哀そうやというて、一年中で一番火事が多い12月に休ませてやろうということになりました。その代わりに、町内の者が後退に番小屋に詰めて火の番をする。さて、そうなると馴れんことをするもんでっさかい、間違いがあってはいかんというので、「番小屋へ酒を持ち込むこと、まかりならん」というお達しが出ました。物事は何でもそうですが、いかんと言われると、しいたいもんでね。
「こんばんわ」
「おぅ、喜ィ公か。まぁ、あがり‥」
「へぇ、あがらせてもらいまっさ。寒いでんなぁ」
「寒いなぁ。おまはん、確か、火の番やってんのと違うか」
「へぇ、やってまんね。それで夕べ、えらいことがあって‥」
「聞いたがな。熊がえらい酔うて、お役人に無礼をはたらいた、そうやな」
「へぇ、へぇ。あの熊はんが、わたいらの持ってた酒、一人でみな、いてまいやがって。うわー、てな大きな声だして騒いでたん。それをお役人が聞きつけて、戸を叩いて「番、番」と言うたのを、犬が吠えてんのと間違えて、「この、ど畜生、ほかへ行きさらせ」と、大きな声で怒鳴ったんだ。お役人には、どやされるわ。酒と肴、取られていまうわ。さっぱり、わやや」
「そら、おまえらがいかん。番小屋へ酒を持ち込んではならん、というお達しが出てんのやさかい」
「いゃあ、そない言いまっけど、酒でも飲まなんだら、この寒いのにやれまっかいな」
「火の番のおやっさん、辛抱して休みなしでやってんのやさかい、一月ぐらい辛抱しぃ」
「そやけど、わたい、人一倍寒がりでんね。夕べかてね、見廻りに出かける時、めいめい道具持ちや、言うさかい、少しぐらいは温いやろ思うて、提灯を持ったんだ。ほたら、提灯の人は一番前歩いておくんなはれ、言われて、もう寒うて、寒うて‥」
「よう、そんなことしてるわ。まぁ、まぁ、辛抱しぃ。この炬燵にあたって、一杯やって、温まって行ったら、ええがな」
「へぇ、そやけど、この炬燵ちゅぅやつ、足は温もりますけど、顔が冷えて、どんならん」
「ほたら、顔の方を炬燵へ、突っ込まんかいな」
「そんなら、今度は足の方が寒いがな」
「そら、しょうがないわ。この世の中、こたつえぇことはない」
「そんなしょうもないこと言うてんと、飲ましとくんなはれ」
「おお、こら、すまなんだな。ほれ‥」
「へぇ、すんまへんなぁ。‥おっとっとっと、もう、ちょっと‥」
「何や、いるのんかい」
「へぇ、おおきに。‥‥そやけど、ここで飲んでも、町内一回りしたら、かえって冷えて、どんなりまへんわ。何ぞ、体の芯から温める方法は、おまへんやろかな」
「そうやなぁ‥‥‥こうしたら、どないや‥‥。綿菓子ぎょうさん買うてきて、それをあてにして酒、それも焼酎を飲むのやな。この喉のところまで詰まったら、火ぃ点けるのや。これやったら、体の芯からホカホカと温まるし、提灯の替りにもなるがな」
「はぁー、そういう手がありますか。そら、おもろそうですな。ほたら、わい、これから家帰って、さっそくやってみますわ。さいなら、ごめん。」
「これこれ、今のは、嘘や、嘘、ホンマにしなや」
 右の男、これを本気にしよって、綿菓子ぎょうさん買うてきて、さぁ飲みよった、飲みよった‥」
 町内見廻りの時間、番小屋に来よって、
「あの、今日、わたい一番前いきまっさ。いえ、提灯はいりまへん」
「ちょっと、喜ぃさん、えらい喉がつかえてるようやけど、大丈夫か」
「へぇ、大丈夫で。どなたか、火打石持ってませんか。わたいの口から綿が出てまっしゃろ。ここへ、火ぃつけておくんなはれ」
「そんなことして、大丈夫かいな。‥ほな、つけるで‥ひぃふぅみぃ、それ」
 体中、アルコールのしみ込んだ綿でいっぱいやさかい、たまりませんな。
「うわーっ、火事やー、火事やー」
「おいっ、火事はどこや」
「胸がやけた」

「二つのチャンス」

 人間は、おぎゃーと生まれますというと二つのチャンスがあるというんですが。考えてみりゅ、男に生まれるか、女に生まれるか二つのチャンスがある。まぁ、女の人に生まれますと何のことはないんですが、男に生まれますというと、さらに二つのチャンスがありますな。
 まぁ、大人になりまして、お酒をどんどんどんどん、召し上がるか、それとも、お酒が一滴も飲めん。まぁ、飲めなんだら何のことはないんですが、飲めるとなりますと、さらに二つのチャンスがあります。まぁ、酒がもとで早うころッと死んでしまうか、それとも長生きするか。長生きしますというと、何のことはないんですが、ころッと死んでしまいますとというと、さらに二つのチャンスがあります。死んでから天国へ行きますか、とそれとも地獄へ落ち込むか。天国へ行きますというと、何のことはなすんですが、地獄へ行きます、というとさらに二つのチャンスがあります。先で、人間に生まれ変わるか、又はチリ紙や何かに生まれ変わる。人間に生まれ変われば何のことはないんですが、チリ紙に生まれ変わりますと、さらに二つのチャンスがある。男の人に使われるか、女の人に使われるか。男の人に使われますと何のことはないんですが、女の方に使われますともさらに二つのチャンスがある。鼻かまれるか、トイレの方へ持っていかれるかです。鼻かまれると何のことはないんですが、トイレの方へ持っていかれると、さらに二つのチャンスがある、というんですが、これから先は、私にもえろうわかりません。

「大黒」

 大黒さんというのは、日本人に馴染みの深い神さんですが、あの、お寺の奥さんのことを「大黒さん」というのやそうです。この頃は、こんな言葉は使わないようになりましたが、もっとも、お寺に奥さんのいてはるのが当たり前の時代なんですな。昔は、妻帯を禁じるというんで、坊さんは独身でおらんならん。近頃は、ずぼらなお寺なんかに行くっちゅうと、裏のお墓の間に物干し竿かなんか掛けてあって、おしめなんか干してあったりするさかい、そらもう大倦怠ですが‥。
 昔は、これを内緒でもってた時に、これを「大黒さん」‥台所の守をするというので‥。あの、大黒天という神さんは台所の神さんやともいうんですが、それでまぁ「大黒さん」というらしいんです。
「和尚さん、おみつさんのことを、裏の酒屋で噂してましたで‥」
「どない云うてた」
「あの大黒は、まるで弁天さんのようやな、ちゅうて‥」
「そうか、そのうち布袋腹になる」
 こんな話が残されてますが。で、まぁ、あの大黒さんというのは俵の上に乗って袋を持って、頭に頭巾、で手には打出の小槌。これが、まぁおきまりなんですが、ある人が絵描きさんに、大黒さんの頭がどないなってんのか、いっぺん困らしたろちゅうんで、大黒さんが風呂へ入っている絵かいてくれ。絵描きさん、「へぇ、えらいおもろい注文でんなぁ」ちゅうて、描きかけたが、困りましたな。風呂に入る時に、頭巾のせるわけにいかんさかい、あの頭はどない頭なんやろ。総髪なのか、坊さんなのか、髪結うてんのか。わからんので、風呂に入っている絵をかくときに手拭いをたたんで、ここへこうのせて、ごまかした。そら、わかりませんわなぁ。ここへこうてふ拭いをのせて、こう風呂に入っている。頼んだ方もしてやられたちゅあわけで、今度は正味やってやろうちゅうんで、大黒さんが頭巾脱いで、おじぎしてるとこ描いてくれ。もう、これが逃げようがおまへん。困って、あるお寺の庭に大黒さんがおまつりしてあるのんを思い出して、さこ行ったらわかるかもしれんちゅうて、和尚さんとこに聞きにいった。
「さぁ、私も大黒天の髷は、わかりまへんなぁ」
「わたいも、いろいろ調べたが、わからん」
「いや、ああやって、おまつりとてあるもんの。そこまで、調べたないので、大黒の髷はなぁ」
 ちゅうてると、横手から小坊主が‥
「わたい、知ってま‥」
「あんた、知ってなはるか‥」
「ええ、わたい、知ってま‥」
「あんた、知ってなはるか‥」
「ええ、わたい、知ってま」
「これこれこれ、子供は、そっち、行ってなはれ」
「いや、かえってこういう子供が知ってるてなもんで‥」
「いえ、かえってこういう子供が知ってるてなもんです。きいて無駄にならん。あんた、知ってたら教えておくれ」
「へぇ、よそは知りまへんげど、うちの大黒さんは、丸髷で‥」

「岩おこし」

 二見ヶ浦の夫婦岩が台風で倒れてしもたてな噺があります。
 なんとか、起こす方法はないもんかと、大騒ぎをしているところへ、一人の老人がひょこ現れて、持ってる杖の先でチョイと岩をたたくと、岩が起き上がった。えらい人やなぁ、いったい、どこの誰やろぅと、老人に尋ねると、「大阪二つ井戸の岩おこし屋で‥」

「試し斬り」

 江戸時代、お侍というものは乱暴なもんですな。
 日本刀を持ちましてね、「切り捨て ごめん」というやつで、気にいらんことがあったら、ズバーッとやっといて、「ごめん」ちゅうたら、そいですんだんやそうですね、江戸時代は。
 ‥ここにごづいましたのが、新身の一刀を手に入れましたお侍。一度、試し斬りをしてみたい。
 夜が更けましてから、橋のたもとへ行きますというと、乞食が菰をかぶって寝ている。よし、こいつに決めよう。決められた方が災難ですが‥。
 エイッ!「なかなかの斬れ味」と納得して帰りました。あくる晩も同じ時刻になりますというと、腕がむずむず‥「よし、あの橋のたもとへ」とやってまいりますというと、一人、菰をかぶって寝ている。昨晩と同じように、
エイッ!と、やる。途端に、乞食が菰をはねのけて、「おのれか、毎晩来て、どつくんわ」

「放し亀」

 放生(ほうじょう)という言葉があって、生きているものを逃がしてやる、というんですな。従前、大阪の方のお葬式には、「放し鳥」というのがあって、野辺の送りの時に、鳥かごに入れていって、パーッと逃がしてやる。
 あぁ、ええ功徳をした、とこういうてたんですが、今はもう「放し鳥」やなんか見ませんが、天王寺さんへ行くと「放し亀」ちゅうの売ってまっしゃろ。亀の池へ放してやるんですな。商売人がぎょうさん捕まえてきて、あそこで売ってる。
 天王寺さんへお詣りして、
「一つ、亀、放してやりましょうかなぁ」
「あゝ、功徳になるしな」
「う~ん、いろいろいてるが‥これ、この亀、なんぼ」
「これ、500円です」
「500円、もったいないね‥こっちの小さいのは」
「これ、350円」
「これ、これにしとくわ。350円の一つ、おくれ」
 で、これ池へ放してやって、えぇ功徳をしたわい、と思てんのは人間の神経でして、亀の方はそうは思てまへん。
「なァや、しょうもない。350円やさかい放してくれよったんや。もう50円高かったら放しよらへんのや」
 ふわーっと、むこ泳いで行ってしまう。放されなんだ500円の恨みだけが、あとへ残りますわな。

「龍神」

 ある村で長いこと雨が降らないんで、干ばつで困る。そこで龍神さんをお祭りをして、「どうぞ、雨を降らして下さい」と、村人が頼みますと、三日三晩、大雨が降って、干ばつが助かりました。
 そこで、お宮ほ建てて、龍神さんをお祭りをして‥。ところが、その年の冬はえらい寒い冬がきましたな。
 もう寒うて、寒うて‥寒波襲来で、どうしようもない。そこで、もう一遍、龍神さんにお願いしようというので、村人がお宮へ行って、
「どうぞ、龍神さん、この寒さをどうにかして下さい」と言うと、龍神さん「夏の雨降りの方は、わしがやるが、どうもこの、あったこうしてくれというのは、わしでは困る。倅のこたつに頼め」

「龍の雲」

 龍というのは威厳があって、上品な顔をしてますが、雲が必ずつきもんで、雲に乗って、こう移動するわけですが、これがちょいちょい落ちてきまんのやなぁ。
 江戸の吉原に龍が落ちた、てに話があって‥。吉原の大きな店に、こう絢爛豪華な龍が落ちてきて、花魁が見物に行こうというので、内掛けを着て、煙草を、長いキセルで、すうーっと煙を吐いたら、龍の前へ、ふぁーつ。
 ありがたや、これに乗って帰ろうと、乗りかけて「ゴホン、ゴホン」

「土左衛門」

 物事には、何でも陰と陽があるといいますが、一応、男が陽、おなごはんが陰とされてます。
 ところが、水で亡くなった方が流れてきます時に、おなごはんは上を向き、男は下を向いて流れる。これも、一応、理屈がありまして、おなごはんが上を向くのは、お尻の重みやそうです。男は下を向くのは、分銅の重み‥。
 ある川で、水死人が浮かんだ。ところが、おかしなことに横向きに流れていく。みなが「おかしいなぁ、土左衛門というのは、上向きか下向きなんやけど‥」
 よう調べてみたら、オカマやった。

※1970年代は、上方落語のレコード、カセットテープ、速記本など、発売情報も不明、地方では入手困難でした。夜間、関西のラジオ放送を聴いて録音しておりました。当時は、オープンリール使用だった為、現在、保管状況は不明、番組名もわかりません。
 ただ、私の記憶では、二代目露の五郎兵衛、桂米朝、六代目笑福亭松鶴、三代目桂文我、小米時代の桂枝雀、の放送だったと思います。







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