映画『ドヴラートフ』を俯瞰する #4

(この記事は #3 の続きです)

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ありのままの表現者を貫く

 第3のポイントとして、ドヴラートフの創作への姿勢について述べたい。

 ドヴラートフの作品が活字にならなかった理由として考えられるのが、「ありのままを表現する」という彼のスタイルにある。
 彼の創作の拠り所は、社会主義の体制下で暮らす自分や市井の人々のそのままの姿を表現することにあるからだ。それはつまり、社会主義の「理想」とはかけ離れた不条理な現実を描くということである。リオタールはポストモダンを説明する中で「大きな物語」という考えを提示したが、ソ連という国を継続させるための理想こそが、その物語を支えるものだったと言ってもあながち間違いではないだろう。

 本作では、彼の文章スタイルを「真剣でない」「暗い」などと批評するシーンが複数ある。勤務先の工場新聞の責任者からは労働者の英雄性の強調を、投稿したいと考えている文学雑誌の編集者からは(社会風刺的な)暗喩よりも明るい文章を、文壇に顔が利く医師セミョーンからは古代ギリシャの叙事詩のような壮大な物語を書くべきだと促される。執筆者本人の視点や意志の発露がジャーナリズムや文学になるのではなく、国家や体制が求める物語を継続させる「道具」となる創作こそが望まれる世界である。政治文化的な作風への忠誠をいわば体制側から突きつけられるのだ。
 ドヴラートフはこうした逼塞(ひっぱく)した状況の中で、社会への忠誠と自らの意志との狭間で苦悩する。彼にとって書くということは存在証明であり、これまで築き上げてきた彼自身の文学に対する背信的な行動を取るわけにはいかなかったからである。

 そして、社会の意向に反してありのままの表現を志向して苦しむ姿は、ブロツキーやシャローム、美術アカデミーから追放され闇屋として糊口を凌ぎつつ亡命のチャンスを伺うダヴィッドにも投影されている。
 それは、たとえどんなに才能があっても、その才能が仇となって出版や展覧会への道が遠のく彼ら芸術家たちの悲哀を表しているのと同時に、この「停滞の時代」に意思を貫くことがいかにリスクを伴うのかをまざまざと見せつけるのである。体制への従順か、亡命か、もしくは、死か。出版への道程が遠かった彼らの世代は、サミズダート(地下出版活動)で作品を残すことによって辛うじて自由な創作という命脈を保ってきたのだ。

 凍てつきと呼ばれるこの時代を生きていた人々であれば、彼らと同じような閉塞感を少なからず感じていたはずである。だからこそ、冷戦の崩壊という大きな物語の終焉に伴い、ひとつの時代を見つめたドヴラートフの作品は母なるロシアの地で歴代の文人たちのように評価されたのであろう[†1] 。
 創作への執念や、時代や社会体制との折り合いがつけられない人間の在り方を、自分の作品の中の「僕」という主人公を通して投影したドヴラートフ。彼はロシアの現代文学ではポストリアリズムと呼ばれる世代にカテゴライズされるという[‡1]。彼の過ごした時代や環境、そして、不遇な書き手として見てきた現実をジャーナリスティックな視点で描写する彼の文章に、自分たちの生きた時代をなぞる人々の姿が眼に浮かぶようだ。

(#5 へ続く)

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脚注:
†1:批評家のA・ゲニスはとあるインタヴューで、『彼はロシア文学を変えようとは決して思わなかった。彼が望んだのは、その中に自分の跡を残すことだけでした。(中略)彼にとって一番大事だと思われたのは、ロシアの古典に溶け込むことだった[‡2]』と語った。ドヴラートフは鬼籍に入って30年ほどしか経っていないが、現代ロシアの文芸界では、彼の表現スタイルを「古典」と見なす考え方があるのだという。

文献:
・ロシア文学の最前線 / 村田真一 / ロシア・東欧研究 2009(38) / p.47-59 / 2009年 / ロシア・東欧学会
— p.51[‡1]
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jarees/2009/38/2009_38_47/_pdf/-char/ja

・『かばん』/ S・ドヴラートフ(著) / ペトロフ=守屋愛(訳)/ 成文社 / 2000
— 「解説 十年後のドヴラートフ ——ロシア文学で一番まともな人間はすでに歴史になった(沼野充義)」p.210[‡2]

参考(閲覧 2020.07.10):
・やっぱりドヴラートフが一番!(成文社ホームページ, リレーエッセイ第36回, 2001.01.04)
http://www.seibunsha.net/essay/essay36.html

(備考:補筆の上、再投稿しました2020.07.19 0:30)