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モロッコの不思議な思い出 小川さやか(文化人類学者)

小説家、エッセイスト、画家、音楽家、研究者、俳優、伝統文化の担い手など、各界でご活躍中の多彩な方々を筆者に迎え、「思い出の旅」や「旅の楽しさ・すばらしさ」についてご寄稿いただきます。笑いあり、共感あり、旅好き必読のエッセイ連載です。(ひととき2020年12月号「そして旅へ」より)

 大学時代、ワンダーフォーゲル部だった私は、休暇の半分は北アルプスや南アルプスを縦走し、残りの半分は海外でバックパッカーをしていた。

 ある年の春に友人と二人でモロッコに出かけた。といっても私たちは主要な観光地だけ一緒にまわり、あとは別々に旅をした。カサブランカの街もマラケシュの迷路のような市場も砂漠で眺めた星空も素晴らしかった。そのなかで、不思議な思い出が残っている。

 発端は古都フェズで知りあった姉弟に結婚式に誘われたことだった。煌(きら)びやかな結婚式で、私はアラブ風のドレスを着て、明け方までたくさんの人びとと踊った。彼らの親戚は私を気に入り、モワヤンアトラス山脈の麓の家に招待してくれた。そこで今度はモロッコ在住のフランス人たちと意気投合し、モワヤンアトラス山脈を一緒にトレッキングすることになった。

 ところが、彼らと山中でけんか別れしてしまった。彼らのモロッコ人に対する物言いに抗議をしたためか、彼らは私を置いて先に行ってしまったのだ。地図もない。いくつもの分岐があったので、来た道を戻れるかも心もとない。そのうえ、全身に蕁麻疹(じんましん)まで出てきた。呆然としていると、ラバに乗ったベルベル人の一団が通りかかった。私は、アラビア語の会話帳を指さし、街に戻りたいと必死に言った。ベルベル人たちはうなずいて、私をラバの背に乗せた。ああ助かったと思ったのだが、着いた先はなだらかな斜面にぽつんと建つ土壁の家だった。

 彼らは私を降ろすと、その家の奥さんに何かを言い、そのまま立ち去っていった。奥さんの招きに応じて私は家に入った。落ち着く様子も見せずに街に戻りたいと繰り返す私に、奥さんは困った顔をするばかりだった。その家には、三つ編みの少女がいた。少女は私の手を引き、嬉々として外へと誘った。雄大な山脈を眺め、少女と一緒にきらきら輝く緑の丘陵を散歩していると、どうにでもなれという気分になってきた。帰宅すると、家の主人が待っていた。彼は私の会話帳をめくって「大丈夫」「待て」を指差した。

 それから何日滞在したのかは覚えていない。旦那さんに鳥の撃ちかたを習ったり、奥さんとパンを焼いたり、少女とハーブを摘んだり、ヤギを追ったりした日々は、夢のなかにいるようで、ふわふわと過ぎていった。ある日、私を拾ったベルベル人たちが家にやってきて、今度はラバに乗せ、街まで連れていってくれた。山奥だと思い込んでいたが、少し下ると大きな村があり、拍子抜けするほどすぐに幹線道路に出た。今思えば、彼らは交易か何かの途中で、一時的に私をあの家に預けたのかもしれない。

 人類学者になってタンザニアで調査をしていると、この時のことをふと思う。調査し始めの頃、タンザニア人は「大丈夫、さやか」と、私を不思議な商世界に案内した。不安な私に、彼らはいつもとっておきの言葉と体験をくれた。それらは民族誌として結晶した。もう一度迷い込めたら、あの家でみた景色は変わるだろうか。

文=小川さやか イラストレーション=林田秀一

小川さやか(おがわ・さやか)
文化人類学者。立命館大学大学院教授。専門はアフリカ研究・文化人類学。2020年、『チョンキンマンションのボスは知っている—アングラ経済の人類学』(春秋社)で河合隼雄学芸賞と大宅壮一ノンフィクション賞をダブル受賞。

出典:ひととき2020年12月号


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