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【紀の善】愛すべし、名店のあんこ(神楽坂)

数多ある東京の甘味処と和菓子店。地域に根付く名店の〝看板あんこ菓子〟を味わうべく、フードジャーナリストの向笠(むかさ)千恵子さんが名店を訪ねました――。(ひととき2020年10月号特集「東京のあんこ」より)

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 神楽坂通りは左右に路地がのび、石畳の道もあり、料亭や旅館、小料理屋が並ぶ。空気が艶っぽいのは、芸者さんがいる町だからだ。彼女たちもお参りする毘沙門天こと善國寺が地域のランドマークである。

 そんな神楽坂通りのとば口に芸者衆にもお馴染みの甘味処「紀の善」がある。おかみさんの冨田惠子さんは「あんこ〝いのち〟」が口ぐせ。紀州から江戸へ出て料理屋を開いた善兵衛が初代で、戦災にもめげず甘味処として再開し、一人娘の彼女がご主人とともに店を率いている。

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シンプルゆえにあんのおいしさが際立つ紀の善の餅ぜんざい(1016円)

 ちなみに、あんことは「餡」の俗語で、東北人が「娘っこ」などと親しみを込めるときの接尾語「こ」が付いたのではないかしらん。このあんこが、彼女の話にはぽんぽん出てくる。

「原料は生産者を大事にする材料屋から仕入れます。次世代農家を応援する姿勢に共感しているからなの。おいしいあんこは、いい小豆からしかつくれないですものね」

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粒あんには大納言小豆を使用。大粒で色つやのよいものを各地より厳選し、豊かな風味を生かして炊き上げる

 小豆畑の風景や生産者まで想像しながら、惠子さんはあんこ像を確立している。甘くても甘ったるくなく、すっきりしゃん。ふくよかで、幸福感が広がる。人柄とダブるのは「あんこは人なり」だからなのだ。

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冨田惠子(左)さんと向笠さん(右)

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勤続23年の製餡主任・中村貴一さんは、歌舞伎役者のような凛々しい顔立ち

 あんこは、早朝、浄水器に通した水をぬるま湯程度に温め、十勝産の大粒小豆をじっくり浸してから煮始める。一般に豆類は表皮から吸水するが、小豆は種瘤(白い部分)からしか水を吸わないので、初めの3、4時間は水が入りにくく、その後急速に吸水する。あらかじめ水質、水温に十二分に気を配り、浸漬時間を計算しなければならないのだ。なお、紀の善では砂糖は上白糖を用い、水飴は使わない。

 お品書きには、あんみつを筆頭にあんこ物がずらり。ぜんざいの餅はねっとりしなやかで、白玉ぜんざいの白玉団子は腰が強くてつるりとした食感があんこと絶妙の相性。――あんこ自慢の甘味処は地元の宝であり憩いの場でもあるから、神楽坂の住人がうらやましい。

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上等な抹茶を惜しみなく使った紀の善の抹茶ババロア(961円)は35年間愛される看板メニュー。あんこもたっぷり

旅人・文=向笠千恵子 写真=荒井孝治

向笠千恵子(むかさ ちえこ):フードジャーナリスト、食文化研究家。東京・日本橋出身。グルマン世界料理本大賞の『食の街道を行く』(平凡社新書)はじめ著書多数。近著に弊誌の連載「おいしい風土記」をまとめた『ニッポンお宝食材』(小学館)や『おいしい俳句』(本阿弥書店)がある。
◉紀の善
☎03-3269-2920 東京都新宿神楽坂1-12 紀の善ビル
[時]火~土曜:11時~19時
   日祭日 :11時半~17時 
[休]月曜
http://www.kinozen.co.jp/

出典:ひととき2020年10月号
※この記事の内容は雑誌発売時のもので、現在とは異なる場合があります。詳細はお出かけの際、現地にお確かめください。



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