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地史的に興味深い島・対馬の思い出 今泉忠明(動物学者)

小説家、エッセイスト、画家、音楽家、研究者、俳優、伝統文化の担い手など、各界でご活躍中の多彩な方々を筆者に迎え、「思い出の旅」や「旅の楽しさ・すばらしさ」についてご寄稿いただきます。笑いあり、共感あり、旅好き必読のエッセイ連載です。(ひととき2021年1月号「そして旅へ」より)

 列車が止まって目が覚めた。外をのぞくとホームがぼやっと白っぽく見えた。雨が激しく降っていた。車内放送で広島駅に到着したことを知った。時計を見るとまだ夜半を回ったところだ。前日の昼前に東京駅を出るとき、西日本は大雨で列車に遅れが出るかもしれないと言っていたなと思い出した。次に目覚めたのは6時ちょっと過ぎ、列車は遅れることもなく博多に着いた。そのまま港へ向かい、長崎県の対馬・厳原(いづはら)へと向かった。

 私は国立科学博物館による日本列島総合調査第1回の「対馬」に手伝いとして参加していた。対馬は朝鮮半島と九州の間にあって、そこに棲んでいる動物も、大陸系のツシマヤマネコやクロアカコウモリ、カヤネズミなどと、本土系のツシマテン、ヒミズモグラ、ヒメネズミなどが混棲しているから、地史的に興味深い島なのである。対馬では北から南へと点々と調査を続け、ほぼ真ん中の仁位(にい)という町でしばらく小動物の採集をすることになった。

 私は珍しいコウモリを捕まえてやろうと出かけて行った。町のはずれで遊んでいた子どもたちに尋ねた。「どこか、コウモリがいる洞窟を知らないかな」と。そしたら「知ってるよ!」と、みんなで入り口まで案内をしてくれたのだ。

 ほとんど水が流れていない沢を登り詰めたところにあった洞窟は自然の穴で、防空壕とか廃坑などのような人間が掘ったものではない。これはいいかも、と懐中電灯をつけてみたが何も飛んでいなかった。天井からもぶら下がっていない。ふつう、天井でコウモリが逆さまになってぶら下がって休んでいたり、人の気配で起き出し飛び回ったりするものだ。

「ダメか」とちょっとがっかりしたが、念のために壁面の岩の割れ目をのぞいていたときに見つけた。ぶら下がらずに、狭い岩の間で眠っている。そういうコウモリは初めてだったが、ともかく細い棒を使って掻き出すようにして捕まえた。大陸系ではなく、モモジロコウモリという日本列島の固有種だった。また一つ知見が増えたな、とニンマリした。

 洞窟の入り口で待っていた子どもたちに見せた。「ふーん」とほとんど反応がなかった。「ありがとう!」のことばが聞こえたかどうかわからないほど早く、子どもたちは沢を下りていった。私もそろそろと下りていくが、滑るな、と思った瞬間、転んだ。「おっちゃん、転んだ~!」と歓声が上がる。子どもたちは私を心配し下で見上げていたのだ。そしてツルン。「おっちゃん、また転んだ~!」と子どもたちは大喝采だ。

 いや、わざと転んでいるわけじゃない。とにかくツルッとした大きな岩がコケむしていて滑る。初めてアイススケートリンクに立ったときのようだ。やっとの思いで沢を下りきったが、すねやひざ、ひじ、それと尻が痛かった。

 私にとってはいつも採集や調査などで出かけていくのが旅だった。目的地をまっしぐらに目指し、終われば家へ大急ぎで帰る。だいたいが予定通り、順調に進む気楽な旅が好きだ。だが時には、こんなおまけがつくこともある。

文=今泉忠明 イラストレーション=林田秀一

今泉忠明(いまいずみ ただあき)
動物学者。1944年、東京都生まれ。伊豆高原ねこの博物館館長。シリーズ累計380万部超の『ざんねんないきもの事典』(高橋書店)で監修をつとめるほか、動物の生態をユニークかつ科学的に綴った多数の著書で知られる。

出典:ひととき2021年1月号


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