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美に触れ、童心に帰る「京めぐり」(千宗室さん・細見良行さん・小山薫堂さん)

裏千家家元で生まれも育ちも京都という生粋の京都人の千宗室さん。京都生まれだが若い頃に、20年ほど東京暮らしを経験した細見美術館館長の細見良行さん。熊本生まれで東京を本拠地とするが、毎月京都に滞在する放送作家の小山薫堂さん。食べること飲むことにかけては目がない3人だ。つき合いのきっかけは勿論「うまいもん」だと思われたが、さにあらず。知り合ったのはお茶を通じてだという。ある時、細見さんと小山さんの住まいがごく近所と判明したのがきっかけで、「ご飯たべ」に意気投合。3人の路地裏探訪が始まった。(ひととき2021年1月号特集上ル下ル、京さんぽより)

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美に触れる「細見美術館」

 今日は、昼日中からの京歩きである。

 待ち合わせは細見美術館。(取材時に)開催していた「琳派と若冲(じゃくちゅう)」展を細見館長の解説付きで見てまわることになった。

 細見美術館は、古香庵(ここうあん)というお茶の号をもつ祖父の良(りょう)氏と父の實(みのる)氏、2代が蒐集したコレクションを公開するために作られた。

 故大江匡(ただす)によるユニークな5層の構造で、展示室は地上から地下にある3室。見終わると一旦外に出て階段をめぐって次の展示室へ行く仕掛けになっている。

 最初の室(へや)は若冲が中心だ。両サイドに展示してあるのは、6曲1双の大きな屏風。

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伊藤若冲「鶏図押絵貼屏風」。82歳時の作品とされる。1797年(寛政9年) 細見美術館蔵

「片や40代、片や82歳の作品なんです。似たようなモチーフだけど、墨の色が全く違うでしょう」。たしかに鶏の羽の勢いも岩の逞しささえも異なる。

「糸瓜(へちま)群虫図」は、小さな虫が11匹も細密に描かれている端正な作品だ。「これ、十角(とかど)糸瓜いうて、角が10描いてある。インドネシアから入ってきたのが、ちょうどこの頃だったんです」と細見さん。風のそよぎをとらえた「風竹図(ふうちくず)」も見事で、対象を凝視した若冲の表現力に改めて唸る。

 日本では全く注目されなかった頃から、先代は若冲や江戸琳派を蒐めてきた。

「細見さんとこの作品は、みなきれいやね。筋が一貫してる」と千さん。

 器の展示室では、志野茶碗「弁慶」や尾形乾山(けんざん)を拝見して、ランチにすることに。地下2階から地上3階まで吹き抜けになった空間の中庭に、CAFÉ CUBE(キューブ)がある。

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細見美術館のカフェ。ランチメニューは3種類のコースか、パスタまたはピッツァの単品

 美術館に地下を作る際には、20メートル掘削した。平安時代や応仁の乱の遺物が次々出たというから、やはり京都だ。陶土も出たし、きれいな紫の土の層が露出した。

「太古の桜島の大噴火で京都中に火山灰が舞った時のものというんや」

「その土、壁に塗ればよかったですね」

 小山さん、意表を突くアイデアだ。

童心に帰る「京都市動物園」

 お腹がいっぱいになったところで、ごく近くの動物園へ行ってみることになった。

 京都市動物園は、東京の上野動物園に次いで日本で2番目に開園した動物園だ。

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京都市動物園の観覧車は本州に現存する最古のもの。千さんも細見さんも子ども時代に見た風景

 まず、白い象の屏風絵を拝見する。

「うちの美術館に渡辺始興(しこう)*の実物があるんやけど、これ徳川吉宗の象なんです」

*京都出身、江戸中期の絵師。狩野派と琳派に学んだ

「えっ、吉宗の?」。怪訝な顔の一同に、細見さんが説明してくれた。

 日本に象が来たのは意外に古く、足利義持や豊臣秀吉に贈られたものの、庶民には非公開だった。その後、吉宗が所望した象は1728年(享保13年)に輸入された。長崎からのしのし歩いて江戸まで運ばれたので、道中、日本人は初めて象を見ることができた。みんな驚いたことだろう。始興が1730年に描いた「白象図」は、吉宗に献上された象で、細見さんは、複製画を動物園に寄贈する仲介役*をしたのだ。

*細見さんが原画の使用を許可し、複製画が制作された

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細見さんが寄贈の橋渡しをした「白象図」の複製。エントランス2階で観られる

 始興の絵の象は、ちょっと目が厳しい。初めて日本の土を踏んで、警戒していたのだろうか。さて、「ゾウの森」へと急ぐ。

 驚いたことにゾウたちは水浴び中だった。「ウオー」「ウワオー」と叫び声をあげながら水に潜ったりお尻だけ出したり。鼻から勢いよく水しぶきを上げる。

「あれは一番若い男の子で8歳です」と動物園の山下直樹さん。真っ白い牙が実にきれいで、男の威厳を象徴している。

 49歳の最長老は、8歳から京都暮らし。ほかの4頭は、8歳から10歳。6年前にラオスから寄贈された。

 ザブンザブン。水にいるオスに、メスがお尻や足で突いてちょっかいを出し始めた。普段やられているお返しなのだとか。

「おっ、ライカが出た」と千さんの声。小山さんがカメラのシャッターを切っている。「もう一度鼻を上げて」と言いながら。千さんも細見さんもスマホで撮影。

 ゾウは雨が降るとテンションが上がって水浴びをするのだという。今日は、朝から降りみ降らずみ時雨が絶えない。思いがけないゾウたちのハプニングに出会えて、こちらのテンションも上がる。

 ここでは、エサ代はじめ各種の市民サポーター制度を実施。動物舎にサポーターの札が下がっている。帰路、「京都の森」のアオバト舎で、小山さんがすかさず山下さんに「羽が抹茶色だ。裏千家がサポーターと書いといてください」と言って笑わせた。千さんは来年度からエサ代サポーターに登録すると言う。

「動物園って面白いな。僕、年間パスポートを買うことに決めました」と小山さん。これからは、ライカで撮る動物のショットが増えるのかもしれない。

※この続きは、本誌にてお楽しみください!

旅人=千 宗室、細見良行、小山薫堂
文=片柳草生 写真=蛭子 真

千 宗室(せん・そうしつ)
茶道裏千家家元。1956年、京都府生まれ。大徳寺にて参禅得度、斎号坐忘斎を授かる。2003年、家元となり宗室を襲名。『自分を生きてみる』(中央公論新社)、『京都あちこち独り言ち』(淡交社)、『京都の路地 まわり道』(ウェッジ)など著書多数。
細見良行(ほそみ・よしゆき)
細見美術館館長。1954年、京都府生まれ。1994年、祖父の日本美術コレクションを基礎に財団法人細見美術財団を設立。98年、細見美術館を開館し、館長に就任。以降、展覧会の企画・展示に携わるほか、美術館で茶会を開催するなど、伝統文化の普及につとめる。
小山薫堂(こやま・くんどう)
放送作家、プロデューサー。1964年、熊本県生まれ。「料理の鉄人」「世界遺産」などテレビ番組を数多く手がけ、映画「おくりびと」で日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。京都との関わりも深く、京都芸術大学副学長、下鴨茶寮主人。2025年大阪関西万博ではテーマ事業プロデューサーをつとめる。
片柳草生(かたやなぎ・くさふ)
エッセイスト、編集者として、工芸や骨董など、日本の美術や文化をテーマに活動。著書に『手仕事の生活道具たち』『手仕事の贈りもの』(ともに晶文社)、『暮らしのかご』(平凡社)、『残したい手仕事 日本の染織』(世界文化社)など。

この続きは本誌にてお楽しみください!

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特集「上ル下ル、京さんぽ」
◉京さんぽ1 千さんと歩く「僕の寺町」
 大黒屋鎌餅本舗 
 船はしや總本店 
 村上開新堂 
 柳桜園茶舗 
 紙司柿本
◉千さんと歩く「僕の寺町」〔案内図〕
◉京さんぽ2 昼から晩まで京めぐり
 細見美術館 
 京都市動物園 
 京都芸術センター 
 実伶 
 うえと
◉昼から晩まで京めぐり〔案内図〕

▼出典:ひととき2021年1月号


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