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物語の種 千早茜(作家)

小説家、エッセイスト、画家、音楽家、研究者、俳優、伝統文化の担い手など、各界でご活躍中の多彩な方々を筆者に迎え「思い出の旅」や「旅の楽しさ・すばらしさ」についてご寄稿いただきます。笑いあり、共感あり、旅好き必読のエッセイ連載です。(ひととき2023年11月号「そして旅へ」より)

 職業小説家になって十五年、純粋な旅というものをほとんどしていないことに気づいた。家にいるのが好き、という性質のせいもあるが、出かけるとなるとどうしても小説のための取材旅行になってしまうからだ。取材旅行が不純な旅というわけではないが、なんの目的もない、ただ日常を離れるだけの自由な旅もしてみたい。

 十年ほど前のことだ。通っていた書道教室の先生が「みんなで出雲大社に行かへんか」と言いだした。

 先生の運転する車で京都をち、昼食はしんの近くで鯛めしとシジミの酒蒸しを食べた。鯛めしは想像とはまったく違い、ふわふわしたお茶漬けのようだった。シジミはいままで食べたシジミの中で一番大きかった。出雲大社を参拝したあとにぜんざいも食べ、すっかり満足していたら、先生が「せっかく島根まで来たんやから石見銀山も見てこか」とのんびり言った。その頃、私のいわ銀山に関する知識はほとんどなく、数年前に世界遺産に認定されたことをうっすら知っている程度だった。

 車は海を離れてどんどん走り、到着した先は山の中だった。電信柱もない昔ながらの町並みが続いていて、観光地らしい土産物屋や屋台はほとんどない。公開されている坑道へと向かう途中、道の脇に黒い穴がぽつぽつとあった。番号がふってあり、入れそうに大きなものから、獣の巣穴のように小さなものもある。眺めていると、リュックを背負った山歩き風の服装をした男性が話しかけてきた。

「この穴はぜんぶ間歩まぶなんですよ」

「間歩?」

 初めて聞く言葉だった。男性は石見銀山の説明をしてくれた。戦国時代末期から江戸時代にかけて最盛期を迎えた銀山であること、当時の日本は世界の三分の一の銀を産出していたこと、銀掘かねほりの男たちは間歩と呼ばれる坑道にもぐり銀鉱石を掘ったことなどをよどみなく話した。ボランティアガイドだという。

「石見の女性は三人の夫に嫁いだ、と言われたそうです」

 間歩に入る男性は肺を病む。銀掘に嫁いだ女性は鉱山病で亡くなっていく夫をつぎつぎに看取ることになる。それくらい銀山で働く男性は短命だったというたとえ話のようだった。

 龍源寺間歩の中はひんやりとしていた。岩肌に無数に残る削り跡は、人の手が刻んだものだった。帰り際、道端の暗い穴を覗き込んだ。なにも見えなかった。

 あの旅の細部は時と共に忘れてしまった。けれど、鮮やかな緑に覆われた暗い穴はずっと残り続けた。あそこで生きた人の言葉は残ってない。なにを想って生きていたのか。その疑問に向き合いたくて、石見銀山を舞台にした初の時代小説『しろがねの葉』を書いた。『しろがねの葉』は第168回直木賞を受賞した。

 取材旅行でなくとも、旅に出ればつい物語の種を拾ってしまう。発芽するまでに時間がかかっても忘れることはない。これは、もう職業病だと諦めるべきなのだろう。

文=千早 茜 イラストレーション=駿高泰子

千早 茜(ちはや あかね)
作家。1979年、北海道生まれ。立命館大学文学部卒業。2008年『魚神』で第21回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。23年『しろがねの葉』(新潮社)で第168回直木賞を受賞。『透明な夜の香り』(集英社)、『神様の暇つぶし』(文春文庫)など著書多数。新刊『マリエ』(文藝春秋)が好評発売中。

出典:ひととき2023年11月号

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