見出し画像

社会学者・中井治郎さんが見つめる観光都市「京都」の今昔|「そうだ 京都、行こう。」の30年

大学入学とともに京都に暮らし、独自の視点でこの街を見つめてきた社会学者の中井治郎さんが、京都の歴史を観光都市の側面から振り返ります。(ひととき2024年3月号特集「『そうだ 京都、行こう。』とわたしたちの30年」より)

【ポスター ’96 冬】

法観寺の五重塔は京都を代表する風景のひとつ〈八坂塔〉

【ポスター ’05 春】

白梅に始まり桜、フジ、スイレン……ここは京の花の寺〈勧修寺〉

【ポスター ’12 夏】

浄土を描き出したとされる庭園を青紅葉や青苔が彩る〈蓮華寺〉

 京都の歴史を、観光都市の側面から振り返ると、この街が初めて「伝統」を意識したのは、「都」を江戸に譲った時だったのではないかと思います。政の中心を江戸、商の中心を大坂が担う中、京都が拠り所にしたのは天皇を擁していること、すなわち「伝統」でした。よそから訪れる人に向け、いかにこの伝統をプレゼンしていくかを考える過程で、京都の観光文化は洗練されていったのでしょう。

 明治の時代になり、天皇も京都を去ると、京都は一度、自らのアイデンティティーに迷います。ここで登場したのが、「京都策」と呼ばれる近代都市化の試みです。1871(明治4)年の京都博覧会で日本初といわれるインバウンド誘致がなされ、また大学が作られました。レンガ造りの近代建築が多く残っているのは、その当時の名残です。寺社の街になぜあの京都タワーが、と訝る人も少なくないかもしれませんが、時代の先端を担う京都において、タワーの建設は不自然なものではなかったのです。伝統と歴史、ハイカラかつ最先端という2層のアイデンティティーを持った京都には、多くの修学旅行生が訪れるようになります。

 その後、産業の流出や全国の他の都市の隆盛などにより、「都市」としての魅力に陰りが出てくると、いよいよ「古都」の要素が前面に押し出されます。これが、高度経済成長期以降、今に連なる京都の姿です。自分たちの歴史や文化、伝統を、身銭を切ってでも残す。こうした共通の気概を持つ京都の人々によって、京都は「古都」であり続けています。

 ただ、その「古都」も時代によって見え方が変わります。それは京都自体の変化というより、世の中の変化によるもの。観光地というものは、旅人が欲するものを映す鏡のような存在だからです。では、時代は一体「古都」に何を求めてきたのか。「そうだ 京都、行こう。」のCMとともに、その変遷をたどることにしましょう。

談=中井治郎 構成=佐藤淳子

──この続きは、本誌でお読みになれます。本誌では社会学者の中井さんが「そうだ 京都、行こう。」キャンペーンのTVCMのナレーションや、ポスター画像とともに時代を振り返ります。こちらでは、ポスター画像を一部抜粋してご紹介しますので、ぜひお楽しみください。

▼ひととき2024年3月号をお求めの方はこちら

<目次>
●第一部 春めく町へ、ご一緒に
 常盤貴子さんと行く 桜いろに染まる京歩き(常盤貴子=旅人)
●第二部 いつだって京都はそこにある
 観光都市「京都」の今昔(中井治郎=談) 
●TVCMコピー&ポスターギャラリー
●エピローグ モラトリアムの街
●インタビュー 京都と僕(柄本 佑=談)

▼JR東海の京都キャンペーン「そうだ 京都、行こう。」の30周年を記念して、テレビCMやポスターから79点厳選し、1冊の写真集にまとめたこちらもぜひご一読ください。

▼御朱印帳BOOK[春夏版]も大変好評です!「そうだ 京都、行こう。」春夏ポスターを集めたミニ写真集(地図付き)とオリジナル御朱印帳がセットになった一冊です。ぜひお楽しみください。

出典:ひととき2024年3月号

中井治郎(なかい・じろう)
社会学者。1977年、大阪府生まれ。龍谷大学社会学部卒業、同大学院博士課程修了。同大学非常勤講師を経て、現在は文教大学国際学部専任講師。専攻は観光社会学。主な研究テーマは京都観光とオーバーツーリズム問題、文化遺産の観光資源化など。著書に『観光は滅びない 99.9%減からの復活が京都からはじまる』(星海社)などがある。





この記事が参加している募集

ふるさとを語ろう

一度は行きたいあの場所

よろしければサポートをお願いします。今後のコンテンツ作りに使わせていただきます。