見出し画像

【編集先記】ここだけの化石が地味にスゴイ!徳島県立博物館編vol.2

こんにちは。編集長です。

某出版社から刊行予定の某化石案内本の取材のため、徳島県立博物館を訪れました。
ここだけの化石が地味にスゴイ!徳島県立博物館編vol.1の続きからお届けします。

***


瀬戸内海産ナウマンゾウ?

徳島恐竜コレクションにうしろ髪引かれつつ、化石ツアーは次の地点へ。
何せこの博物館には化石がたくさんあるのだから、ゆっくりしてはいられません!

というわけで、ここからは徳島に関する恐竜以外の化石エリアです。

なんの説明もないけど引き出しの中にも標本があります。油断できない。
ナウマンゾウがお出迎え
恐竜時代の恐竜以外の古生物
プテロトリゴニアの印象化石。殻は風化してなくなりましたが、殻の型が化石に残りました。
印象化石は粘土などを押し込むと本来の形がわかるよ!という体験型の展示も。


徳島に関する、と言いつつ、よく見ると、ここには徳島以外の四国や中国地方の化石も展示されています。
四国は上から地質帯が連続しているため、それぞれの地層とそこから産出する化石を説明しようとしたら、「徳島だけ」というわけにはいかないのですね。

そう、地層は県境とか関係なく繋がっているのです!


さて、ここで目を引くのは、なんといってもナウマンゾウでしょう。

立派な牙のナウマンゾウ

ナウマンゾウの骨格レプリカは日本各地の博物館に展示されていますが、その多くは東京の地下鉄工事で見つかった浜松標本なのだそう。
浜松標本はメスのため、牙が比較的小さく細いのが特徴で、対してこちらに展示されている北海道の忠類標本はオスなので牙がとにかく立派です。

ただとはいえ、この骨格レプリカは北海道の個体。
ここで注目したいのは、足元に置かれたこの実物化石!

実は今回の取材の目的は、徳島恐竜コレクションのほかにもうひとつありまして、それが何を隠そう、このナウマンゾウの化石なのです。

どこの博物館にもある、日本では割とメジャーなナウマンゾウをなぜ?って、今思いましたね?

驚くなかれ、この化石、なんと漁の際に網で引き揚げられた、瀬戸内海産の化石なのです。
それも、ここに展示されているものだけでなく、結構な数のナウマンゾウの化石が瀬戸内海一帯から引き揚げられています。

ゾウは今も昔も陸の脊椎動物。
海の底からたくさん見つかるのは、なんだか不思議なお話だと思いません?
この謎を、貝化石がご専門の中尾先生が貝化石専門家ならではの視点(と本音)と共に解説してくださいました。

「およそ260万年前、新生代第四紀は、あたたかかった恐竜時代から地球全体が寒冷化してきて、あたたかい時期と寒い時期を繰り返すようになりました。
ちなみに、あたたかいと海水準は高くなり、恐竜たちがいた中生代白亜紀は今より300メートルほど(東京タワーが埋まるくらい)も海水準が高かった。白亜紀の地球は海だらけだったんですね。
一方、一番寒かった2万年前には瀬戸内海は完全に干上がり、陸地になっていた瀬戸内海をナウマンゾウは普通に歩いていました。
ここのナウマンゾウを研究すると、その地層よりもちょっと下、5万年前くらいの地層からトウキョウホタテなどの貝化石がたくさん出てきて、少し前にはまだ海だったということがわかるんですよ(ニコ」

徳島県立博物館の2代目館長を務めた亀井節夫博士はゾウ化石の大家で、中尾先生はそんな亀井先生から直接手解きを受けてゾウを勉強し、漁で引き揚げられた化石をその場でゾウのどこの骨か言い当てられるまでになったそうです。
「え? ご専門は貝なのに?」と驚く私に、「漁師さんに興味を持ってもらったら、協力してもらえるでしょ」と中尾先生。
さ、さすがです……!

ところで徳島のナウマンゾウも特に見つかりやすい場所というのがあるそうで、それは本州との間に島が点々としているところ。
こういうところは潮流が強く、海底を抉るために化石が出やすいのだとか。
ちなみにこの「島が点々としているところ」と「島が全くないところ」は、地図を見ると規則的に繰り返されていることがわかります。

ナウマンゾウが見つかっているところ。展示パネルより

これは四国の上の方を横切る中央構造線(西南日本の地質構造を二分する断層。見つけたのはナウマンゾウの名前の由来となっているエドムント・ナウマンさん)の動きと関係しているそうで、要はシワが寄った山折のところで島ができ、谷折りのところでは島ができず灘を作った、ということですね。
そっか、島ひとつとっても地球のダイナミックな動きの証拠なわけで、そんなお話を聞いて改めて地図を見ると、より立体的に地形を捉えることができますね。

奇跡の地層と徳島恐竜

で、この「中央構造線」、実はひとつ前の徳島恐竜コレクションの展示でも重要なキーワードになっています。

中央構造線とは、西南日本を九州から関東へかけて横切る大断層のことで、日本がまだアジア大陸の東の淵にあった中生代白亜紀にできました。
このラインより北側は内帯、南側は外帯と呼ばれ、当時陸地だった内帯は陸成層、海だった外帯は海成層と、ガラッと地層が変わるのです。

徳島はこの外帯、つまり本来は海の地層が多く作られるところにあたるのですが、ここから陸生爬虫類である恐竜の化石が見つかるというのはどういうことなのでしょう。

実は、ここにはかつて大陸から海に流れ込む大きな河川によってつくられた、三角州があったようなのです。

展示パネルより

大海の間際に偶然できた陸地は、恐竜たちの憩いの場だったのでしょうか。
白亜紀の徳島には、そんな恐竜たちの風景があったのかもしれません。

……ロマーン!!!


ここだけの化石が地味にスゴイ!徳島県立博物館編vol.3へ続く


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?