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日記(不安 - どこへ通ずるのか)

賞与の支給日だった。
日経新聞には「XX社が賞与でインフレ手当を支給」などの見出しが躍っていたが、零細中小企業勤務の私には縁遠い話であった。いつも通りの冴えない賞与額。生活費だけは着実に上がっている。


年間100万円貯金したいと思った。
噂では老後までに2000万円必要だというではないか。毎年100万円貯金しても、単純計算で20年かかる。
定年退職したら、関西のどこか交通の便の良いところに家を買いたい。そのための資金も必要だ。ざっと2000万円だとして、こちらも20年かかる。
65歳で定年退職するとして、今は28歳なので、貯蓄のために残された時間は37年だ。

100万円貯金しようと思うと、残念ながら今回の賞与には手をつけられない。計算上は全額貯金ということになる。あってもなくても、今の私には同じ、数字だけのお金。喜びがない。

これでも明らかに恵まれているのだ、と思う。なにせ文句を言い、暗い顔をしながらも貯蓄ができているのだから。これは私の努力ではなく、ただ運が良かっただけだ。
明らかに生活は苦しくなっている。食べ盛りの子どもを育てている親が「食費がかさむ一方だが、子どもの食費を減らすわけにはいかない。仕方がないので、親の食費を減らしている」などとツイッターに書き込んでいる。
罪悪感で苦しい。何処かへ寄附をして、兎にも角にもその罪悪感を薄めようと試みる。これは善ではない。


軍拡の足音がする。WSJなどアメリカのニュースを読むと、アメリカはこの度の防衛費の増強に好意的なようである。それもそうだろう。アメリカから見れば、日本列島は地理的にちょうど良い場所にある防波堤みたいなものだ(それに、そもそもアメリカとの関係にヒビを入れるようなことは出来まい)。

もし本当に戦争の可能性を視野に入れているのであれば、食料自給率とエネルギー自給率を上げること、仮想敵国に依存している輸入品などをどうにかすることにお金を使う必要があろう。そうしないのであれば、ただ単に内政から目を背けさせるためだけの決定かもしれない。

それから、沖縄に住む人の安全はどうなるのだろうと憂慮している。

最近、私は第二次世界大戦に関連するナラティブとして、「内地」の物語しか知らないではないか、とふと気がついた。火垂るの墓やこの世界の片隅になど、どちらも「内地」の物語である。空襲という経験と戦地になるという経験は全く違うものだと想像する。あまりにも沖縄戦について無知で、申し訳ない気持ちがある。

中井久夫の「戦争と平和 ある観察」を読んでいる。圧倒的な知識量とその観察眼から生まれる箴言に目を啓かれる気持ちだ。あちこちに思うところがあり、考え込んでしまって、なかなか読み進められない。いくつか引用する。

戦争を知る者が引退するか世を去った時に次の戦争が始まる例が少なくない。

「平和を欲するならば戦争に備えよ」とはローマ帝国以来の殺し文句である。しかし、積極的な平和構築が念頭にない戦争準備は時に戦争を呼ぶのである。

中井久夫「戦争と平和 ある観察」

経済的な縮小、生活苦、少子化、軍備増強。
あまり良い気のしない時代である。


友人が精神的に苦しそうである。ここ数ヶ月は連絡も滞りがちで、何かあったのだろうかと思っていた。

以前から「精神的に不調をきたした場合は、完全に折れて動けなくなる前に診察に行った方がいい」というようなことをお互い話していたのだが、いざやはりその段になると「うつ病の診断を受けると、住宅ローンが組めないかもしれない」などと生活上の問題もあり、難しい。

とりあえずカウンセリングに行ったらどうか、という話をしたが、複雑な心持ちである。人と話すことで少しでも気が楽になれば、と祈っているが……。


生きるということはどうしてこんなに難しいのだろうか。
悲しい気持ちになる。

最後まで読んでくれてありがとう。