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日記(新年と神戸)

2023年になりました。
とはいえ、流石に10日以上経つと新年という感じも無くなってくる。早くも今年の2%が終わったようだ。

年末年始は神戸近辺をうろうろしていた。
中高時代はこの辺りに住んでいた。神戸は六甲山と瀬戸内海の間の細い土地に全てがあるため、どこを歩いていても大体六甲山が見える。
神戸・三宮あたりを根城にする人は、山側か、海側かで方向を確認するのが習い性になっていて、久しぶりに三宮や元町を歩くと「こっから山側に行けば着く」とか「海側の出口から行こう」とか無意識に口にしており、懐かしい気持ちになる。


街を歩いても常に視界にチラチラしている六甲山だが、街に近い山ということもあり、楽しいスポットがたくさんある。
残念ながら、このことは東京に出てきてから気がついた。

中高時代の遠足が六甲山の登山だったこともあり、「六甲山=しんどい」という記憶が染み付いていたが、大人になって遊びに行くとロープーウェイやケーブルカーに乗って山の上の施設まで行ける。随分優雅なものだ。

一昨年の夏には六甲山牧場に遊びに行き、今年は布引ハーブ園に遊びに行った。

夏の六甲山牧場。羊たちが放たれている。

神戸に戻ると、山が近くにあるのはいい、と思わずにいられない。
東京で山に行こうと思うと、奥多摩の方まで行かなくてはならず、少し遠い。

それから、パンが美味しい。安くて美味しいパンを食べて育ったので、東京の高いパン(美味しいけど)に苦しんでいる。

やはり育った土地の影響というのは大きいのだろうか……、と思いつつ、いつか関西に戻りたいなぁ、御影あたりにひっそり住めないかしら、とつい賃貸を調べたりしてしまう。


10年前の私は「ある程度の街なら、どこに住もうが同じじゃないか」と思っていた。まぁ、これも多少は真である。スーパーマーケットとコンビニがあれば、結構幸せに生きていける。
けれど、気候、文化、街の景色、それらが完全に同じ場所はどこにもない。どこに住んでも同じということはないのである。

その地、その地の風土を慈しみ、住む場所を決めるのも、また乙なものだ。最近はそう思っている。

最後まで読んでくれてありがとう。