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日記(憂鬱な時は)

憂鬱だ。憂鬱の波が襲ってきていて、息をすることすら面倒くさい。

こういう時は、日記でも書いて頭の中の憂鬱を外に移すしかない。それから、窓を開けて換気をする。私の生成した二酸化炭素で小さなワンルームが満たされている。


ジェネレーティブAI

このところAIの話題ばかり目に入る。LLMを気軽に使えるようになったことで爆発的に広がった。OpenAIのAPIやchat-gptの件なのだが……。

昨年くらいの画像を生成するAIの異常な進化を視界の片隅で捉えてはいたものの、イラストで食っていない自分にインパクトはないので、単純に面白がっていた。しかし、今回は……。自分と関係のある分野への影響が大きく、単純に面白がってばかりもいられない気がする。

昨年の記憶として、画像生成系AIも最初は「手がおかしいw」などと言われていたけれど、気がついたら恐ろしい速度で進化していた。すでに中国ではゲームの一枚絵がAIに置き換えられたなどという噂もあり、このスピード感でLLMも進歩するのではないか?と思うと、参ったなぁという気持ちである。

もちろん今すぐに失職するというわけではないが、5年、10年のスパンで仕事の仕方が変わるだろう(著作権がらみのグレーゾーンが爆発して、そもそもLLMを使えなくなるということがなければ……)という気がする。

それにしても、今まで試行錯誤してモソモソなにかを作って喜んでいたようなことが、今後は「それ、GPT-4使えば一瞬ですよ?プロンプトの書き方教えましょうか?」と効率の悪さを嘲笑う的になるのではないかと、そして、実際、効率悪く生きて楽しんでいると一瞬で世界においていかれて仕事がなくなるのではないかという恐怖が、私を萎えさせる。

なんだかなぁ。私は人間だからなぁ。せっかく楽しんでたのになぁ。萎えちゃうな。
(こんなことを書いておきながら、英文の添削とかchat-gptにやってもらっているし、コード生成だって試した。だって、便利なんだもの……)


誕生日

今月、誕生日を迎えた。20代もラストイヤーである。長く生きてきたものだ。10代から緩やかな希死念慮と離人感があったけれど、ここまできた。よく頑張った。

今年の初めは「そういえば、ワーホリ行ったことなかったし、ワーホリでも行こうかな!仕事も見つかるでしょ」くらいの気楽さだったのだが、上記のLLMの大進歩のせいで「そんな悠長なことを言っていていいんだろうか」と一気に眉間に皺が寄ってしまった。

稼げるうちに貯金しておかないといけないのではないか?と不安な気持ちになり、吝嗇っぷりに拍車がかかりそうである。それにしても、なぜこんなに貯金に心を砕いているのだろうと思わなくもないが、この歳にもなると消える時は100万円単位でお金は無くなるのだ……。


閑話休題。

今年は誕生日の前後に人に会ったため、対面で祝ってもらえるという久々の経験をした。なんだか普通に嬉しかった。美味しいお菓子をもらった。嬉しかった。いい香りのボディケア用品ももらった。春を感じた。

最近の私はLINE Giftの便利さにかまけてメッセージでプレゼントを送ってしまうことも多かったが、やはり対面で貰うのもじんわりと暖かな気持ちになる。プレゼントを直接渡せる人には、会って渡すようにしようと思った。

人の誕生日を覚えるのが苦手で適当に生きてきた、そんな人間の誕生日を覚えてくれていて、プレゼントまで渡してくれるというのは本当にありがたい話である。

野垂れ死にするその日まで、粛々と生きようと思う。

最後まで読んでくれてありがとう。