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Aftersun

2週間ほど前にAftersunをみた。

父と子の一夏の思い出映画なのだが、この最後のシーンに何度も思いを巡らせてしまう。

映画の中で父カラムの不安定な姿や自殺を想像させるカットが何度も描かれる。カラムの経済状況は離れて暮らす11歳の娘ソフィに揶揄われるくらい芳しくないらしい。カラムは自分が生まれ育った環境から、自分が育った町を「ふるさと」と感じることもできない。途中のレイヴシーンでは誰かを探しているような大人になったソフィが、フラッシュでよく見えないが切れ切れに映される。

不安定さを娘の前では隠そうと努力するカラムと普段会えない優しい父と一緒に過ごせて楽しい11歳のソフィ、そんな二人の夏休みの最後(そして、映画もクライマックス)に、Queenとデヴィッド・ボウイのUnder Pressureが流れて二人は踊る。

Under Pressureが流れ出した瞬間、心が壊れてしまうぐらいの衝撃を受けた。"This is our last dance" という歌詞が二度とソフィが父と会えないこと、この夏が最後の思い出になることを象徴しているみたいで涙が止まらなかった。
けれど、このシーンで父と踊っている11歳のソフィはそんなこと微塵も思わなかっただろう。すごく楽しい夏休みで、こんな悲しいシーンだなんて映画の中の11歳のソフィはちっとも知らないのだ。


Under Pressureの歌詞を改めて読んでみると、この曲の歌詞は不安定な父と父を愛する娘とこの夏の先を一気に表しているようだ。


Pray tomorrow gets me higher, high
Pressure on people, people on streets

「明日が良くなるよう祈ってくれ / プレッシャーに押しつぶされる人々」という歌詞から、時折描かれるカラムの不安定さを想起させる。30歳というのは社会的には完全に「大人」として期待されるが、実際のところ不安定な若者と大人の狭間にいる。親として娘の健やかな成長を願う気持ちは本物だけれど、同時にどこかに身一つで出かけて消えてしまいたいという気持ちもある。


Turned away from it all like a blind man
Sat on a fence but it don't work
Keep coming up with love but it's so slashed and torn
Why, why, why?
Love, love, love, love, love
Insanity laughs under pressure we're breaking

「愛を求めているのに、愛はもう引き裂かれてズタズタだ。どうして?」という切ない叫びや「今壊そうとしているプレッシャーの下で狂気が笑っている」という不穏さは、楽しい夏を一緒に過ごしていたはずの父と二度と会えなかった(であろう)この映画で描かれた一夏の先にいるソフィの混乱を想像して重ねてしまうし、父カラムが抱えていたであろう苦しい気持ちもこの歌詞に重ねてしまう。


Can't we give ourselves one more chance?
Why can't we give love that one more chance?
Why can't we give love, give love, give love, give love
Give love, give love, give love, give love, give love?

「もう一度チャンスをもらえないだろうか?もう一度、愛を与えるチャンスをくれないだろうか?」という歌詞は、二度と会えなかった父、そして、おそらくは自殺してしまったであろう父を救えなかったソフィの心の叫びのように思える。
映画ではこの部分の歌詞が反響するレイヴシーンで、ソフィとカラムは抱き合う。映画のレイヴシーンはソフィの心の風景だと思うのだけれど、カラムが娘を大事に思っていた気持ちは本当にそこにあったはずで、このシーンで反響する "Why can't we give love that one more chance?"は死んでしまった父の後悔の声にも思える。


Because love's such an old-fashioned word
And love dares you to care for
The people on the edge of the night
And love dares you to change our way of
Caring about ourselves
This is our last dance
This is our last dance
This is ourselves

「愛なんて時代遅れの言葉だけど、夜の端っこにいる人々を気にかける勇気をくれる。愛は自分たちをどう扱うかを変える勇気もくれる」という歌詞は本当に好きなので、聴くだけで震えてしまう。Under Pressureは1981年の曲だけど、もうその頃から「愛は時代遅れ」だけど、愛の可能性をもう一度信じたいという気持ちがあったんだな。

それはともかくとして、「これが最後のダンスだ、これが私たちなんだ」という歌詞と共に、ソフィはレイヴパーティに一人取り残される。カラムはいなくなる。ひとりぼっちだ。
現実の11歳のソフィは父のふざけたダンスを笑い、一緒に踊って楽しく過ごす。でも、このダンスが父との楽しい思い出の最後になってしまう。これが最後。二人で踊ったダンスをソフィはきっと何度も思い出すことになる。何度も何度も。

ブラックアウトの後、ソフィは空港で父と別れて自分の故郷に戻っていく。父であるカラムには戻るべきふるさとはない。娘を見送った後、彼は小さなバックパックひとつを持って去っていく。ソフィの人生から出ていってしまう。
二人はもう二度と会うことはないのだと、会わなかったのだと、否が応でも直感でわかってしまう、そんなシーンで映画は終局を迎える。


29歳の私はカラムとほとんど同い年だ。自分に10歳の娘がいたらと想像すると、ずいぶん心許ない気持ちになる。深夜にNoteに映画の感想を書き散らしている人間が親?まぁ、そういう親がいてもいいかもしれないが、きちんとした親になれる自信はない。

映画の途中で茫然自失となったカラムが意図せずにソフィをホテルの部屋から締め出したまま寝てしまい、翌日、猛烈に後悔するシーンがある。謝るカラムにソフィは気にしていないというが、親である人間がそういう行為をするのは許されることじゃないとカラムは自分を責めている。11歳のソフィはそんな気持ちを知ってか知らずか、無邪気にカラムに誕生日のサプライズをする。
その夜、カラムが肩を震わせて泣くシーンがあるのだが、カラムの中で様々にうねる感情が、ほとんど30歳で同い年の私には、脳を介さずにカラムの心が直接繋がっているかのように分かってしまって、それはもう辛かった。私も映画館で脇目も振らずカラムのように肩を震わせて泣いてしまうところだった。


他にもいいシーンがたくさんあって、大人びたソフィが少し年上の子と遊ぼうとする感じとか、その年上の子達を観察して「恋愛」を真似る感じとか、色々な経験をして思春期を迎えてどんどん成長していくんだという描写も良かったし、ビデオカメラで映像を撮るという演出を通じて、子どもの頃のソフィと大人になったソフィが繋がる作りも不思議な映像体験で面白かった。

最後まで読んでくれてありがとう。