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今日が人生で一番若い日

ポジティブに生きようとか
子どもとの時間を大切にとか
有意義な時間を過ごそうとか

思わないわけではない


タイトルに大した意味はないけれど
今日が一番若い
というのは多分事実、かな

今日が人生で一番若い日
だから、頑張ろうとか
やり切ろうみたいなノリで
何か言われたことがある気がする

でも
私の感情は
ジェットコースターに乗っていて
上がったり
下がったり

一日の中でも
アップダウンがあって

幸せを噛み締めた数時間後に
地獄に落ちていることも
珍しくない




母が亡くなり
少しずつ母の持ち物を
整理しようと思っていたら
思いの外 父が
バッサバッサと捨てていくので
焦る

父に何か尋ねても

知らん!!
見てない!!

と言われることも多くて
(自称繊細さんの)私は
いちいち傷つく

父には
私を傷つける意図はない
分かってはいるけれど

この歳になってもまだ
いちいち傷つく

子どもの頃は
言われ方や態度で 
自分が傷ついていることすら
気付いていなかった

今は
そういう自分の特徴を
ある程度把握していて
傷つかないような方法も
少しは分かり始めてきた

でも
誰かから
何気なく言われる一言、一言を
けっこう全部
重く受け止めがちな私は
まだまだ
色んなことに
いちいち傷ついて

傷ついていないふりをしながら
生きている





母の持ち物が
身の回りにあると
私は
そこに気持ちを引っ張られて

母が生きていた時にも
母を失う寂しさや 
辛さが
ズルズルと出てきていた

だから
母に もらったもので
もう捨てられそうなものは
早く捨てておこうと思って
出来るだけ処分するようにしていた

けれど
亡くなってから

「母の使っていたものたち」

を手に取ると
とてもじゃないけど
処分できない

カバンの中から出てくる
ビニール袋一つとっても
母が生前 何を大切にして
どう暮らしてきたのかを
思い出して

捨てる気にはなれなかった

母は
物を大量に持っていたわけではない

大きな家具は
父と2人で
動けるうちに捨ててしまっているし
贅沢品を持つような人でもなかった


ただ
押し入れやタンスの中から
普通の服や
ちょっとした身の回りの物が
後から後から
出てくる

見たこともない服や
マフラー
カバン

それの
一つ一つが
母の何かしらの思いで
選ばれてきて

ここにあるのだ

大して思い入れのない物も
大切な物も
入り混じっているだろう

母と話すことが出来ない今
何が大切な物で
どうでも良い物はどれなのか

私たちには分からない

ただ
残された物たちに
母の姿が見える気がして

私は
母の物を
手離せなくなってしまった

父が捨てようとする物を
何かと理由をつけて
自宅に持ち込み
さてどうしようかと
途方に暮れる

私の物は
十分にある

そこへ
母の衣類や身の回りの物を
持ち込んだところで
多すぎるのだ

借りている家は
小さく
私と子ども3人で生活するのに
ギリギリの広さ

それぞれの持ち物が
少し余分にあって
ちょっと捨てないとね
という程度にある


今我が家は
床が物で溢れかえっている

母が見たら
間違いなく

捨てなさい!!!

と言うだろう 笑


遺品 
形見

そうなってしまうと
物に感情がべったり張り付いて
そう簡単には取れない


そうなることは
分かっていたけれど
生きている母の目の前で

残りの時間があとわずかだということを
畳みかけるようなことは

したくなかった

亡くなる前の3ヶ月間
新しい服を買ったり
シーツを買い替えたり
背もたれのクッションを良いものに変えたり

これからも
生活が続いていくというふうに
想定して
いつも通り
買った

亡くなる数日前
いよいよ起き上がれなくなって
会話もやっと、という状態になっても
脱ぎ着のしやすい肌着やパジャマを買った

もしかして
また元気になってくれるかも知れない
奇跡が起きてくれたら良いのに

そんな
祈るような気持ちで

そして
普通に母の物を買うことで
母に
希望を持ってほしくて

買った


だから
捨てられない物が
余分に増えている




もともと
母が欲しいと言った服は
よく買ってあげていた

私とサイズもほぼ同じで
私が要らなくなった服をあげたりもしていた

そういう思い出も手伝って

バッサバッサ捨てる気には
どうしてもなれない

七月に入院した時
下着類も新調したいと言って
買ってあったし(多分使っていない)

七分袖のブラウスも買ったばかりで
最後の旅行で一度着ただけ


棺に入れてあげられたら良かったけれど
ドタバタで
気付いた時には
葬儀は終わっていた


入院も 旅行も
新しい服や下着で

というのが

とても母らしい



ただ
こういう

何ということの無い
ちょっとした物たちに

私が埋もれて暮らすのは
おかしい


どうすれば
私の気持ちがおさまるのか
考えてもよく分からない

服のサイズは同じだし
新しいものも沢山

だから
私が着る

とは思ったけれど
服が余る

ヨレヨレは捨てて
気に入らないのも捨てて

綺麗だけど使わないのは
メルカリに出したいけれど
出品した事はなく


あーでもない
こーでもない


一日が終わる

とりあえず
自分が着ようと思う服も
すぐには出さずに

母の服

とラベルを貼って
寝かせてみることにした

そうすれば
また気持ちが整った時に
もう少し処分できるかも知れないなと


何となく思った今日


まだ
一つも
手をつけていない

せっかく
休みだったのに

ダラーっと一日を終えそうで
また自分にダメ出ししそう

今日の夜は
簡単なメニューで
ご飯はすぐ用意出来る

今から
少しだけでも
動く!!!

家を
スッキリさせたら
気持ちもスッキリする



かもしれない



_________________
我が家の小さな畑



数日前のイチゴ

今日見たら
ほんの少し赤くなっていた

いつまでも
土いじりしていたくなる


※この後
青虫の写真があります
苦手な方は見ないでください








三日ほど前に
じーっとしている青虫を見つけた

翌日もまだ
同じ形でじーっとしていて

今日そろそろ
蛹になっているかなと
覗きに行くと

居なくなっていた

昨日の雨と風で

飛ばされてしまったのかも知れない

小さな命の成長を
楽しみにしていたから

居なくて
軽くショックを受けた

もしかしたら
自分でどこかへ移動しただけかも知れないけれど


葉牡丹に
雨が残っていて
キラキラ


さて

思い腰を上げて

片付けよう

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