Honoka Ishikawa

1998年生まれ。兵庫県の猪名川町という田舎で育ち、神戸大国際文化学部に進学。在学中は…

Honoka Ishikawa

1998年生まれ。兵庫県の猪名川町という田舎で育ち、神戸大国際文化学部に進学。在学中はイタリアのベネチアに1年交換留学し、Albergo diffuso(分散型ホテル)に出会い魅了される。今は愛媛県大洲市にある分散型ホテルでスタッフとして勤務。

最近の記事

あ、「まちづくり」がここにある。③大洲で二年目を迎えて

大洲に来て一年が経とうとしていた頃、私の頭と心はまちづくりや地域創生という広いところには向けられてなくて、どちらかというと内向きになっていた。 そもそも私は要領が悪く、効率よく仕事を進めることが苦手で、それでいてミスも多く、同僚にもたくさん迷惑をかけた。 社会人としてなかなか思うように会社に貢献し切れない自分に嫌気が差すことも多く、自分の強みっていったいどこにあるんだろうと探し続けていた。(ちなみに今もなんですが。) もちろんずっと下がり調子だったわけではなく、周りのいろ

    • あ、「まちづくり」がここにある。②社会人一年目、大洲市民一年目。

      紆余曲折あってホテルマンになることになった私。 全国にいくつかあるホテルのどこに配属になるかは、直前までわかりません。という覚悟はしていたものの、全く予想だにしない場所に配属されました。 それは愛媛県大洲市。 おおず、、、? 松山に一泊二日で遊びに行ったことくらいしかなかった私は、 大洲という地名も、その場所も全く知りませんでした。 ちなみに大洲市は、愛媛県の南予に位置するまちで、 明治、大正時代の古い町並みが残る「伊予の小京都」とも呼ばれます。 日本100名城の一つで

      • あ、「まちづくり」がここにある。①帰国から入社まで~

        noteのプロフィールもイタリアから帰ってきた頃のままで、気づけば社会人二年目を迎えた。 このnoteは元々Albergo diffusoというものをどうにか世に発信するためにと使った手段ではあったのですが、 これからは思いを文字に書き留めておきたい時に使う場にしようかなと思います。 (本当に誰に見せるのかもわからないただの自伝です) イタリアから帰ってすぐに始まった就活。 「人々の移動を豊かに、ゴールデンルートじゃなく、日本の原風景を世界に」という思いさえ貫くことがで

        • 悔。

          ここ最近、GOTOキャンペーン関連の話題に対するこのモヤモヤはなんなんだろうと考えた結果、私の気持ちはただただ、「悔しい。」それに尽きるんやなあとわかった。 何が悔しいかって、コロナのせいでこんなにも地方の経済がしんどい思いしてて、 挙げ句の果てに、それを救うはずの「GOTOキャンペーン」は、今の状況を踏まえると、仮に感染者が出た時に予防対策が不十分としてその人々の社会的立場を脅かしかねなりかねない。そんな諸刃の剣(?)みたいな仕組みになっていること。 ちょっと個人的な

        あ、「まちづくり」がここにある。③大洲で二年目を迎えて

          吹き替え・字幕 と リアル

          またアルベルゴディフーゾの話から脱線です。 じっとするのが苦手な私が、最近の暇を持て余した結果、洋画を見る機会が何度かありました。そこでふと思ったことを長めの呟き程度に、、、 タイトルは  吹き替え・字幕 と リアルきっかけはこの前テレビで見た「天使にラブソングを」の吹き替え版。片手間に見ていたのですが、ちょくちょく登場人物のセリフが気になりました。 「おてんとうさん」、「尼さん」 あまり詳細には覚えていないんですが、おてんとうさんはおそらく神様の訳、尼さんはシスタ

          吹き替え・字幕 と リアル

          発信するものの責任。

          学校生活の再開によってnoteの更新がぱったり止まってしまっていたところ、嬉しい知らせ。 Albergo Diffusoについて発信した投稿に、反応を示してくださる方々が、、、!!! それも一人ではなくて、複数人。内容は様々ですが、ADに興味を持っておられる方が、何らかの形で私のことを見つけてくださったようで、直接コメントをいただく機会が何度かありました。(コメントにどうやって返信したらいいのかわからないので誰か教えてください、、、) 中でも一番驚いたのは、とある学生の

          発信するものの責任。

          『暮らす✖️働く』その2~かぞく~

          「みんないわゆる家族なの。あなたもその一員になるってこと!」 インターンシップ先に着いて最初の頃、マネージャーの人が話の流れで私に何気なく発した一言。なのに妙に心に響きました。 当たり前のように家族と呼べる理由、それは暮らし始めてすぐわかりました。 スタッフは、オーナー、その娘(マネージャー)、ソムリエ兼ウェイター2人レストランのキッチン3人清掃員2人朝バイト1人の計10人なのですが ホテルの敷地内に住んでいるオーナー含め従業員ほぼみんな徒歩圏内に住んでいるという、本

          『暮らす✖️働く』その2~かぞく~

          『暮らす✖️働く』その1~Albergo Diffusoインターンシップ生としての1日~

          イタリア一年留学中の私は、夏休みを使ってかねてから興味のあったAlbergo Diffuso(分散型ホテル、以下AD)というコンセプトをもつのホテルの一つ"Antica Dimora del Gruccione(以下Gruccione)"というホテルに一ヶ月弱住みこみでインターンシップをさせていただきました。 このホテルは地中海に浮かぶSardegna島のOristano県に位置する人口2000人ちょいの小さな村、Santu Lussurgiuにあります。 ADについての

          『暮らす✖️働く』その1~Albergo Diffusoインターンシップ生としての1日~

          3ヶ国語を操るということ

          3note目にして、当初の予定とかなり違うことを書きます。(お許しを) というのも、イタリアでインターンをやっている中で、とんでもなくでかい壁にぶち当たっているので、似たような状況にいる人や、それを克服した人と繋がれたらいいなと思ったから。で、その壁というのが、名付けて、 「イタリア語と英語、頭の中で大乱闘事件」ネーミングセンスはさておき、これが本当に毎日の生活につきまとっています。私の現在の状況を整理すると、 ・イタリアはサルデーニャ島のとあるホテルでインターンシップ

          3ヶ国語を操るということ

          Albergo Diffuso(アルベルゴディフーゾ)ってなんぞや

          最初のノートで私が散々口にしたAlbergo Diffuso(以下AD)について、客観的な情報メインに、わかりやすく説明してみたいと思います。 Albergo=ホテル Diffuso=拡散した、散乱した  →「分散型ホテル」イタリアで生まれたこの言葉は、日本では一般的に「分散型ホテル」と訳されています。文字通り、複数の建物に分散した構造をとる宿泊施設です。 いつどうやって生まれたのか?この言葉自体は、1970年に起こったイタリア北東部の地震により被害を受けた村を再び活性化

          Albergo Diffuso(アルベルゴディフーゾ)ってなんぞや

          私×note

          私にとって1つ目のnoteは、これを始めるに至ったきっかけを(半ば自分の備忘録として)初心を忘れぬように書こうと思います。 私は2月から1月の約1年間、イタリアはベネチアに交換留学中で、現在はちょうど半分を終え、約3ヶ月の長い夏休みの真っ只中です。 で、そんな長い間を何をしているかというと、旅行はもちろんですが、うち1ヶ月間はサルデーニャ島のとあるホテルでインターンシップをしています。ホテルといってもビジネスホテルやリゾートホテルとは違います。Albergo Diffus