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利子がちょっとずつ人間の命を奪っているとしたら

会社辞めてすぐ、お金の制度について、もしかしたらちょっとおかしいのかもしれないと思いながら、何がおかしいのかわからなかったころ、投げかけられた小石のような質問。

「あるお金のない島で、人々は島から出ることなく物々交換で幸せに暮らしていた。そこにある銀行マンが上陸して住む人々に言った『このお金を使うと便利だよ。100枚渡そう。ただし、1週間後に私が帰ってきたときには105枚にして返してもらう』といってお金を渡した。1週間後までにどうやって5枚増えるの?」

「おかしいでしょ?」言われた。

え?どうやって増えるの?全然わからん。おかしいのかおかしくないのかもわからん。何が間違っているんだろう。

(それだったら島の外から輸入したらいいという話ではない。この島というのは地球全体の比喩だから)

全然わからんぞ。と思っていたのが、昨日の大西つねきさんの話をきいて、ようやく「そういうことか」と思った。

利子を返す方法の答えは「さらに誰かが銀行マンからお金を借りて、その中から返す」

確かに、島の中で「お金」を生み出せないのであれば、そうするしかない。そうするとまた利子がついて、それを返すためにお金をまた誰かが借りて。
これは、借金を続けなければ続かない仕組みに世の中がなっていたんだ、ということ。

実際、つねきさんが示してくれたグラフを見たら、そんな風になっていた。日本の借金は増え続けているし、借金が増え続けている国は日本だけのことではない。

そんな中でも借金を貸している側は、利子という形でほどんど何もせず、何も生み出さずにお金を少しずつ回収し続けている。

お金を払うことで誰かの労働の成果、あるいは労働そのものを買うことができる、ということは、利子を回収し続けている人は、人々の労働、つまり誰かの時間をかすめ取り続けていることになる。生きてから死ぬまでの時間を「命」と呼ぶのだとしたら、結局それは「命」を少しずつかすめ取っていることにならないか。

お金にまつわるイメージの罠

「お金は感謝の証、だから感謝されている人ほどお金を持っている」という言葉に騙されてはいけないと思う。「お金は感謝の証であることもあるし、そうでないこともある。

「お金はエネルギー」という言葉もそう。お金を持つ量が少ない人にとっては、お金が歩かないかが死活問題になりえるけど、ある一定以上持つ人にとっては水とかを使うに等しいのではないかと思う。


今世の中で流通しているお金はほとんどが裏に借金がある、という話も衝撃だった。前に、誰かから「昔の銀行は、預かっているお金分しか貸せなかったけど、今は預かっている何倍ものお金を貸してもいいことになっている」と聞いた。預かっているお金を貸すのであれば、新たにお金は生まれないが、預かってもいない、元手がないのにお金を貸すことができるのであれば、借金を誰かがするたびに、お金が生まれることになる。

(なぜ元手がないお金を貸すことが可能かというと、通帳に数字を印字すればいいだけだから。中央銀行には通貨発行権があるから。今だったらネット上の方が多いか?もし、預金を預けている全員がお金を引き出しに来たら現物の紙幣は全然足りない、という)

ばら撒きは悪?ベーシックインカムはばら撒きでやればよい


つねきさんは、政府がお金を発行して国民にバラまけばよいといった。
バラまきって無策の象徴みたいに言われているから最初はびっくりしたけど、説明を聞いたらなるほどと思った。


今のお金はほとんどが裏側に誰かの借金があって利子があって、利子を回収する人がいる。つまり、貸した人が得をする。


でも、政府がお金を発行してただばら撒くとしたら、それは国民にとって返済の義務がないお金だから裏側に利子がない。だから、みんな平等。

もし、お金の始まり方が「みんなに平等に100枚ずつ配るねー。これを物々交換の代わりに使ってね」だったら、平等だし、1週間後に5枚減ることもない。

例えば、月8万円のベーシックインカムをばら撒けば、みんな働く量をセーブして、すると輸出も減って、赤字になるけど、今まで日本は貿易黒字で海外からたたかれてきたわけだから、赤字になって海外からも喜ばれるよね。そして日本の労働者もハッピー。ウインウインだよね。

と言っていた。ただ、これをすると、今までの既得権益者から(利子を受け取る側の人)は反発を食らうだろうなあとは思う。

あと、日本円が増えつつ日本での生産が減ると、お金の価値が下がって物価が上がるんじゃないかな、と一瞬思ったけど、でも今の日本人は働き過ぎだから、多少働く時間減っても生産は減らなさそう、どころか逆にアイデアが豊かになって生産も増えそうだなと思った。

ベーシックインカムってどうなんかな?いいのかな?と前までは思っていたけど、これはした方がいい、やってみたいと思った


他にも、つねきさんの話は、私がこれまで感じていた土地所有権ってなんなん?という疑問とか(そもそも自然にあったものを誰が線を引いて金額を設定したのか、と思っていた)ずっと思っていた違和感をデータの裏付けを添えて多分最大限わかりやすく伝えてくれた。

オーバーヒートしそうになったのは、自分がまだまだ今までの価値観に縛られているからだろう。

話を聞いて帰ってから、宿に泊まりに来た常連さんに今日の話を伝えようと思ったけど、うまく伝えられなくて、かなり膨大な情報量だったんだなと気づいた。もう少し自分でもリサーチしてまずは人に伝えられるぐらいにはなりたい。

お金のことは複雑すぎて、間違っている認識があるかもしれないので。もしあったら教えてほしい。

複雑だからこそ、巧妙に、一部の人間が利益=人の命を吸い上げる構造が隠されているんだと思う。

そもそも。人間が作ったシステムに完璧なものなんてあるはずがない。
お金の仕組みは完璧だと思っているならまずその前提から疑った方がいい。

もし、あなたがシステムを創る側の人間だったとしたら、「ちょっとこうしたらみんなにはバレずに俺得するんじゃね?」っていうのに気づいてしまったら、いれたくならない?たとえ、あなたが入れなかったとしても、入れる人が誰もいないと言い切れるだろうか。

ここまで書いておいて間違っていたらだいぶ恥ずかしいけど、それでも誰かに指摘されないと間違っているかどうかもわからないから書いてみた。

自分の生み出した利益が誰かに搾取されてきたと思うと怒りがわく。

つねきさんが言っていた具体的にできることの最後の1つが、「わがままに生きること」と言っていたけど、自分を命の搾取から守るにはそれが一番手っ取り早い。

お金のために自分を犠牲にする時間があるとしたら、それが「命の搾取」。でも、お金をもらってようがもらうまいが、自分がわがままに望むままに生きていれば、そこには「命の搾取」は存在しない。ありえない。それができていれば、怒りを感じることはないのだろうと思う。(今はお金の範囲内でいろんなことをやろうと思っているからそこに怒りを感じるのかなと思ったりもしている。そこから自分を解放したい)

自分はどう生きて、どう死にたいのか。死を恐れていたらそれを利用される。死生観を明確にせよとも言われた。それについてはまた機会があれば書いてみたい。

それでは、ホニャラ~

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