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波に乗っていたヤツの話

「波に乗る」という事について投稿をしていたとき(正確には文を考えていたとき)、私の高校生の時に材木座付近で波乗りをしていたヤツのことを思い出した。

その彼はほんの1学期の間だけクラスメートで、彼とはちょくちょく話をしていた話題が常に「波乗り」の話しか出てこなかった。その彼とつるんでいた人達もやはり波乗り好きの人間ばかりでした。その中で私だけが波乗りとは全く無縁で、その時の私はセミプロを目指していた音楽も色々有りすっかり辞めて、ひたすら聴くことだけになった。あとは青年マンガと少女マンガを物色していた「おたく」の1種の人間でした。

というように全く接点が無い私が波乗りの集団と話をするようになったのは、私が当時懇意にしていた小説家に「片岡義男」さんでした。片岡さんの小説にはよく「波乗り」を題材にした話があり、具体的にどういうキッカケなのかは失念していますがその小説の事を話をしたところ、数名が食いつき気味な反応があり色々聞いてきた事からいつの間にかお付き合いをすることになりました。

そのクラスメートが引っ越しをしていなくなっても、数回鎌倉に波乗りをする人間の「荷物持ち」(唯一サーフィンをしなかったので)をしながら、海の上で展開している様を楽しく眺めていました。ある人は乗りたい波をひたすら波待ちをしていたり、ある人は波待ちが嫌いなのか直ぐにテイクオフをして、バランスを崩してワイプアウトする。それをひたすら繰り返ししていた。その様に笑いながら茶々を入れて人もいたりして、今から考えるととても平和で穏やかな時間を過ごすことが出来ました。

私にとってこういう風景なり情景はとても「アナログ」な波長であり、極めて自然な空気感が心地よかったかなと思います。それに比べて今はすっかり「デジタル」な矩形波だらけに囲まれて刺々しいノイズを空気の中に感じます。だから少しでもノイズが無い環境で生きていきたい欲求が他人以上に有るかと。

私は「大盛」より、食べれなくなったので「並」で結構です。・・・「なみ」違いですが私の本音の一つです(笑)

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