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被害者であるという囚われから自分を解き放つ

~~堂々巡りの苦悩から抜け出たお話~~

かつて、相手のためによかれと思って数々のことをおこなっていた。動くことによって「私はこの場のために、働いている」と主張していた。

ある日、その”場”にこれまでとはまた違った意味を付加する人が現れ、それまでの人間関係が激変した。
そして、その”場”に「来るな」という指示が私に下された。

とても辛く悲しい日々が始まった。近づけばカミソリで切りつけられるような言葉を浴びることになる(と感じていた)。
深く傷ついた私のこころは、傷つけられる前に自ら近づいた時の辛さを想像してはさらに傷つき、痛みのループに吞み込まれていった。
こころの痛みは、「あの人のせいだ、私はあの変化の激動の中で傷つけられたのだ…」という状況とセットになって、長い間私の中に居座っていた。

・・・・・・

その”場”からきっぱり離れてしばらく経ったある日のこと、自分の世界が再構築されるものごとの見方・捉え方が舞い込んできた。

”I am not the victim of the world I see.”
私は自分の目に映る世界の犠牲者ではない
  
ジェラルド・G・ジャンポルスキー「愛とは、恐れを手放すこと」より 

自分自身の苦しさ・辛さの理由を周囲でうごめく人々の言動・状況のせいだとして説明しようとしてきたのかも・・・・?
疑いや恐れのフィルターを通して?
されるがままの存在なの?

アティテューディナル・ヒーリングのグループで、自分が「選び」「癒される瞬間」を体験することになる。
受動的に侵害される存在として自分を感じるのではなく、別の在り方を敢えて選べるのだということを私は認識した。
光を見つけようとし、助け合おうとし、裁くことではなく暖かいこころで聴こうとする中で。

私は恐れを映し出した世界の犠牲者でも被害者でもない。
選択するのは私。   


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