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クソみたいな世界を生き抜くためのパンク的読書【第8回】


『快楽主義の哲学』(著:澁澤龍彦)


革命を起こすための行動と退屈

夏。扉を開ければ38度の熱気にまとわれ、瞬時に汗が吹き出る。蝉の鳴声がノイズと化してうるさく響き、木々の緑は太陽に照らされて光り輝く。青空と入道雲のコントラストはどこまでも清々しい。

そして、夏はあっというまに過ぎ去っていく。

エネルギーに満ちあふれ、高揚感に包まれる夏が短いのと同じ様に、エネルギーに満ちあふれ高揚感に包まれるパンクバンドの演奏は短い。
ほとんどの曲は三分以内に終わるし、ハードコアパンクでは三十秒以内で終わる曲も珍しくない。ライブの演奏時間は二十分~三十分くらいが平均だろうか。演奏が始まれば瞬間的に沸点に到達、限界を突破して激しく燃え上がり、あっという間に燃え尽きる。その刹那に、他では味わえない、輝かしい高揚がある。

その瞬間的な高揚を追い求めてパンクスは音楽を鳴らしている訳だが、生活や暮らしの中においても、瞬間的な高揚、輝き、快楽を追い掛け続けろ、というのが『快楽主義の哲学』(文藝春秋刊)のテーマだ。

著者である澁澤龍彦はこう言う。

「幸福とは、静かな、あいまいな、薄ぼんやりたした状態であって、波風のたたない、よどんだ沼のようなものです。いっぽう、快楽とは、瞬間的にぱっと燃え上がり、おどろくべき熱度に達し、みるみる燃えきってしまう花火のようなものです。それは夢のようなものですが、人間を行動に駆り立てる美しさ、力強さがあります。幸福のことなんか頭から追い出して、まず実際に行動すること」

ナーバスな気分の時は「あぁ、わたしは幸せになりたい」などと思ってしまいがちだが、これはいけない。幸せとは苦痛の無い状態がだらっと続く日常であって、そこに輝きはない。幸せを求める人々は守りの姿勢であると言える。

パンクスはやはり攻めの姿勢が重要であって、幸せなどという概念を捨て、瞬間的な輝きを追い掛け続けなければいけない。

そのために大事なことは、行動、行動、行動。

現実に目を背け、ここではないどこかを夢想しながら溜め息をついているだけでは、快楽を得ることはできない。行動しなければ、何も始まらない。

しかしながら、パンクスの生活が常に輝かしい瞬間の連続であるかというと、実際はそうでもない。パンクバンドをやっていても、実際に音楽を鳴らしている時間は生活の中のほんの一部であって、他の時間はつまらない仕事をしたり、飯食ったり、家でゴロゴロしたりしている。

結構退屈なのだ。

あるパンクバンドのボーカルは「恋と退屈」なんてタイトルのブログ本を出版していた。

澁澤龍彦は、こう言う。

「死の克服と同じくらいむずかしいのが、退屈の克服だ。(中略)平凡な時間の連続のなかに、キラッと光るような瞬間がある。こいつを大事にしなければならない」


つまり、瞬間的な快楽が夜空にキラリと輝く星だとすれば、退屈は夜空みたいなものだ。退屈がなければ、快楽を味わうことができない。退屈で満たされない時間に、あれがしたいこれがしたいという自分の欲望を膨らませることが、行動のためのエネルギーとなる。

渋沢龍彦は

「革命を起こす程の人間は、まず骨身に徹して退屈を感じる必要がある」

とまで言う。

また、あるパンクバンドはこう歌っている。

「やな事たくさん我慢してるのは金色に輝く夜があるから」

退屈な日常の中で、嫌なことも退屈なことも多いが、それでもパンクスは退屈や現実に屈することなく輝く瞬間、快楽を求めて、積極的な姿勢で生活をする。その結晶が音源やライブでの演奏だ。

退屈な時、パンクバンドの音源を聴くと、ムクムクッと本能が沸き立つ。ケツを蹴り上げられ、自分も何かやらかさなければという気持ちになる。

退屈な時に渋沢龍彦の「快楽主義の哲学」を読めば、パンクバンドの音源を聴いた後の様な読後感を味わえる。


今日の一冊 
『快楽主義の哲学』
著:澁澤龍彦
出版社:文藝春秋
発行年月:1996年2月


※本コラムは2018年10月発売予定の『クソみたいな世界を生き抜くためのパンク的読書』(地下BOOKS刊)の掲載内容からの抜粋です。

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