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仙台のアンパンマンミュージアム☆【人生哲学、幼児教育】☆敵だけれど味方🪙🪙🪙👑

私は「やなせたかし先生」の
DVDを見て心が震えました。
人生哲学や幼児教育についての
考えが凄く共感できます。

仙台の
アンパンマンミュージアムについて

完成間近に被災したことから
開業延期を余儀なくされる。
高齢を理由に引退も考えていた先生が
2011年3.11の地震で心を痛めて
自分はまだ引退するべきじゃない
と思い留まったそうです。



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人生は椅子取りゲーム

“人生は椅子取りゲーム。満員電車に乗り込み、 あきらめて途中下車せずに立ち続けていたら、あるとき目の前の席が空いた――”

「アンパンマンの作者は私です」と言うと、たいていの人はびっくりする。

まさか90歳過ぎた作家が描いているとは、想像できないのだろう。作者はせいぜい50歳ぐらいと思っている人が多いのではないか。

50歳は、実はアンパンマンを描き始めた年齢だ。それはやがて1973年に、『あんぱんまん』という絵本になる。だが、評判はさんざんで、何十年も出し続けるシリーズになるとは、予想もできなかった。

漫画家として独立したあと、舞台演出、詩の雑誌の編集や絵本づくり、テレビ出演など、頼まれるままにいろんな仕事をしてきた。漫画の代表作がないままに、多くの先輩・後輩の活躍をさびしく目で追う日々が続いた。

それでも漫画家であることをやめず、ぎゅうぎゅう詰めの満員電車のように才能がひしめく漫画界に、あきらめることなく立ち続けていた。すると、あるとき、目の前の席が空いた。70歳になる直前、アンパンマンのアニメ化の話が持ち込まれ、それから一気にブレイクしたのだ。

「継続は力なり」というが、あきらめないでひとつのことを思いを込めてやり続けていると、ちゃんと席が空いて、出番がやってくるものなのだ。


図書館でも、『あんぱんまん』はいつでも貸出中で、新品を入れてもすぐにボロボロになると聞いた。

アンパンマンを最初に認めたのは、よちよち歩きから、3~4歳ぐらいの幼児だった。まだ字もあまり読めない、行動範囲もせまい。だが、なんの先入観もなく、好きか嫌いかを、本能的に判断するのだ。

成長が速いから、去年と今年で幼児は入れ変わる。だが、アンパンマンの人気は変わらず。




敵だけれど味方、味方だけど敵。


バイキンは食品の敵ではあるけれど、
アンパンをつくるパンだって
菌がないとつくれない。
助けられている面もあるのです。

つまり、敵だけれど味方、味方だけど敵。
善と悪とはいつだって、
戦いながら共生している
ということです―『絶望の隣は希望です!』

参照



𓆡𓆜𓇼𓈒𓆉 𓆛 𓆞𓆡 𓇼𓈒𓆉

仙台のアンパンマンミュージアム
☆2011年3.11の地震で心を痛めた
「やなせたかし先生」
☆【人生哲学、幼児教育】
☆敵だけれど味方🪙🪙🪙👑

という話でした。

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