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妊娠3ヶ月①沖縄へ行ってきた 多発性硬化症 妊娠出産備忘録(回想)

前回の振り返り


そうこうしてるまに妊娠3ヶ月になろうという頃。

2泊3日で大ゲロ吐きながらの沖縄旅行をさんざん楽しんだ。

レンタカーを借りてブイブイ走らせて

燃えカスになってしまった首里城みて…

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ゲロ吐いて

美ら海水族館いって
ウミガメやおさかなたくさんみて癒されて…

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ゲロ吐いて

海のそばでソーキそば食べて…

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ゲロ吐いて

石垣牛、ジーマミー豆腐、ゴーヤーチャンプルー食べて
そう、ゲロ吐いて

朝食に2日連続ハンバーガー食べて

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お察しの通り…ゲロ吐いて

それでもいったからにはうまいもんたべちらかしてやる!と
沖縄フードをたべまくった。

最終日、レンタカー返す前に海にいって、ザザザーっと波の音を聞いて。

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息子がとち狂ってまさかの海にダイブして…
もう服ないのに…
サンダルで帰るという。
あんた和歌山帰ったらさぶいで、アホちゃうか〜とあきれつつ。

そんなはしゃぐ姿をみたら、もう産むとか産まんとかどうでもよくなって、なんとなく、産んでみようかなぁと、フラグが「産む」へかたよる。
腹立つからパートナーには伝えない。

そして大ゲロ吐きつつも楽しかった沖縄に別れを告げ
(ちなみに25日クリスマスラストフライトで帰ったけどビビるほど乗客おらんかった*⋆✈)
帰宅。

体重すでにマイナス4キロ。

そしてまさかの年末に高熱をだした。
久々の40度台。
あかん、わし、もう死ぬ。
40度熱出てのつわりのゲロ吐きは地獄やった。
40度とか、扁桃腺摘出手術をしてから出したことなかったけど
(月に1回高熱出て仕事休むので、21歳の時に手術してとってしまった)

やっばい、インフルエンザかも〜と思い、産婦人科へ連絡。
「インフルエンザやったらみれないから、内科へいってください」

内科へ電話したら

「うちではみれないです、他をあたってください」

ぴえーんぴえん!どいつもこいつも💦
しゃーないので、救急センターへ車自走して突撃する
(もう熱で判断基準失ってるからタクシーじゃなくて自走するのがだいぶ末期症状)

人がゴミのようにおった。
妊婦マーク(まだ母子手帳発行してないから娘の時のんを探し出してつけた)とヘルプマーク振りかざすも無念…
座りたい…
この中でどうみても私が1番症状やばい。お前ら席譲れやーー!!!
と心の中で大声でどなりちらしてたら、めちゃあっさり呼ばれた。

妊婦&多発性硬化症であることつげると、さらっとそのことは無視して、鼻に棒つっこまれる。
結果陰性。ホ。
どっちにしても薬も出せないから家で養生してくださいと。
しばらく高熱は続き、わたしはパートナーに悪態をつき続ける。
このしんどさと、イライラをぶつけるところがないから、それを受け止めてくれやんと今後無理やで、的な。

なんとか熱も下がり、お正月に実家へ行く。

お正月、実家家族に妊娠をつげ、全員ギョェー!あんた、大丈夫かいなぁ〜!
と、なりつつも、まぁなんとかなるか、やれやれ〜
としたところで、パートナーにも出産の決意を伝える。

次の日、さっそく父親が安産のお守りを届けてくれてホロリ。
中学生ぐらいのころ、おたまで頭なぐってごめんね。
今なら素直に言えるよsay!そーりーあんどてんきゅー

そして、めでたしな妊婦生活がまっているわけではけしてなかった。

今も世界を騒がせているあいつの魔の手が日本にきはじめていたのと、予想外の展開が私をまっていた。

つづく

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