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ルートヴィッヒたぶらかし

壇上の若き表現者たちと重なり、しかめ面の男が浮かび上がる。

なぜ型にはまるのか。

彼は口を動かさずに語りかけてくる。
床に置かれていたはずのトランペットが高らかに鳴り響き、息をひそめていたティンパニが雷鳴よろしく空気を切り裂く。

間髪を容れずストリングスが旋律を紡いでいく。感情の激しい動きを休ませてはくれない。

彼は英雄をたたえるべくこの曲を書き上げた。
だが、私が聴くとこれは素晴らしいクラシックのメドレーのようだ。
交響曲として4部構成。途中に別の曲のモチーフが入り込んでくる。

型をことごとく破っていく。
その熱情、激情でもって。

そして私をじっと見るのだ。
思うままに生きないで何が人生だ、という目で。

私はいまも表現者だ。
だがそこにある"しきたり"は、私には枷にしか思えないでいる。
伝えたいものは少し、違った形で送りたいんだ。

今日もなんとかサービス残業を2時間以内で早めに切り上げて、なんとかエロイカに間に合った。

今回の公演は大成功だった。
それは、実力ある音楽家たち、彼らの想いに共感した人たちによってもたらされた成功だ。

私は共感者のひとり。その成功に乗っかった無名のブロガーに過ぎない。

大成功するに違いない素敵な出来事、素晴らしい考えの人について知ってもらう、ちょっとのアクセントにはなれたかもしれない。
私は、それがしたいんだ。

もっと自由に、私が素敵だと思ったことを、いまよりももっと自由なやり方で。

ホルンの音が小刻みに、そして伸びやかに響く。
フルートが優しく会場に音を放つ。

牧歌的な音と裏腹に、ルートヴィッヒは私の目を見る。
声に出さず私に問いかけてくる。

なぜそれをしないのか。
ペンを握る手も、シャッター切る指もあるのに、何も失われていないのに、なぜそんなところで苦しんでいるのか。

どうせ苦しむなら、自分のしたいことをする中で苦しめばいい。

ルートヴィッヒはたぶらかす。
声を出さず、エネルギーに溢れた音楽の残滓でいまも私に語りかける。

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