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『仮想の街』の路上、井戸、路地裏

ネットって便利で、誰でも簡単に意見を表出できる。
ある話題について詳しい人も、あまり知らないけど意見がある人も、気軽に意見を明らかにすることができる。これまでは親しい友人や家族と話すにとどまっていたアマチュアや素人も、専門家や詳しい人と同じように”発信”ができるようになった。
ブログはその話題についてもう少しまとまった意見を発信できるし、サイト構築の知識があればその専門サイトを作ることもできる。
便利だ。

ただ、それが誰かの気に障ると攻撃的な返信をされたり、それが集中して”炎上”したり、RTで晒されたりする。
素人が炎上することはあまりないけど、誤った知識や正しくない見方から発信してしまうと、ウソを流したとして事態は深刻になる。そこまで行かなくても、フォロワーさんとの不和や、界隈でギクシャクしてしまうかも。
意見を発信するという行為にはリスクがある。

と、ここまでだと私が「素人がうだうだ発信してんじゃねえよ」論者だと思われるかもしれない。けど私は逆で、「素人が話す」ことって大事なことだと思っている。
ちょっと詳しいだけの人がそうやって興味を持ったり「私もこれについて話してみようかな」っていう人の興味の芽を摘んでしまう、これほど悲しいこともないだろう。

もともと政治の不満とか、野球談議とかは日本では居酒屋や井戸を囲って行われてきたと思う。昔のことも海外のことも私は知らないが、モノノホンによるとサロンやカフェで政治や社会についてあーだこーだ話されてきたらしいし、昔から素人は好き放題話してきたはずだ。
というか、専門家ではない市井の人が話せない社会や政治ならそれはもう民主主義ではないし、そんな民主主義の世界にある以上、スポーツなり文芸なりの趣味の世界も等しく素人が好き放題話せないとおかしい。

ではなぜ”炎上”が起きたり、いち素人の発言にイライラする人(往々にしてそれはプロではなくハイアマチュアや素人に毛が生えた程度の人だ)がぶーたれたりするのだろう。

知ったように話す素人、そしてぶーたれる毛の生えた素人、どっちの側でもある私が中立を気取って、また偉そうにマクロ視点で考え、どちらもオンライン上に広がる『仮想の街』で場所をわきまえていないからではないか?と仮説を立てた。
仮説とかいってるけど根拠薄弱で検証するつもりは、ない!ただ以下にだらだら書くだけだ。

さて、さっそく『仮想の街』を考えてみる。
炎上のメッカであるTwitter、これは登録制ではあるが、ほぼ便宜上のものといっていい。ここはオンラインにある『仮想の街』の”路上”だと思う。
リアルの世界の路上で、明らかに素人の人間が聞くに堪えない恥ずかしい主張をしていたり、誰でも知っていることをしたり顔で話していれば、イラっとする人がいても仕方ない。私もイラっとするかもしれない(かといって絡むことはないが)。
それでも、特定の人とリプで会話してるところに割って入って「何もわかってねえな黙ってろ」とか、直接リプやRTせずとも「やだねーああいう人」って聞こえるように言うのは、みっともないと思う。

「そういう素人さんのおしゃべりはお部屋で一人ごちてようねー」というのもみっともない。ただ路上で叫ぶのはちょっと考えてほしいこともある。わかる。
でも、リアルの世界でさえ、ひきこもってしまう人やまわりを意識しまくる人たちは何も言わなすぎだ。日本人ってそれが顕著とよく言われる。彼らがリアルより主張しやすい『仮想の街』でも”過度にいい子”を演じる必要があるのだろうか?

そこで、リアルの世界で素人はどこで好き放題話し合っていたのかを考える。
カフェや喫茶店、居酒屋、バー、井戸などだ。『仮想の街』にそういう場所はないのだろうか?
あるはずだ。それは”路上”たるTwitterにもある。鍵垢でくくるクローズドな空間や、DMだ。これは言うなれば路地裏や井戸なのかもしれない。
Twitter以外ではこれほどオープンではない会員制のSNSだろう。これはカフェだったり居酒屋じゃないだろうか。
またオンラインサロンもある。インフルエンサーや専門家から教えを乞うばかりではなく、みんなでワイワイする様子を専門家が眺めて、少し知識なりものの見方を全員で上達させられるような場にするとか、工夫(?)をこらしたところもあるが、こういうのは良いと思う。これこそが昔の”サロン”かも。

あてはめが楽しいのでついついそちらにいってしまったが、つまるところ、私はTwitterだろうがなんだろうが、素人が意見を言うのは歓迎されるべきことだと思うし、それを「だまらっしゃい」「プッwww」などというのは、そっちがみっともないと思う。誰しも最初は素人で、知ったかぶりと恥ずかしい思い、学びを経て成長していくのだ。それは子どもだろうが大人だろうが関係ない。

ただ素人さんも、そこがどこかもう少し考えればいいと思う。大通りか路地裏か井戸端か、カフェかサロンか高級レストランか。それを考えれば、無用な赤面体験やそっとツイ消し、せっかく親しくなりかけたフォロワーさんとギクシャクせずに済むんだと思う。

それでも路上で話したっていいじゃないって思うんだけどね。世知辛い世だ。
空気を読むことをどこでも求めるなら、空気ばかりじゃなくて相手がまとう空気感(あっ素人かな、コイツ詳しいな、とか)を読む力も持ってほしいよね。

炎上上等の発信をする人とかは、知りません。

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