見出し画像

「FermentationをいつかHakko」にー 発酵ツーリズム 翻訳トークショー

渋谷ヒカリエ8階で開催されている「Fermentation Tourisum Nippon」
『発酵文化人類学』でおなじみの 小倉ヒラク さんがキュレーターの発酵をテーマにした展示だ。

そのキャプションの英訳に携わった方のトークショーに行ってきた。

ざっくり言うと、発酵すげえ、翻訳ではcontextの理解が大事、文化を残す2つのアプローチ、これらが面白かったポイント。

完成度の高い用語集

普段から翻訳に携わっているので、キャプション英訳は興味のある分野。
また食事を作るときに発酵食品って多いしうまいなと思っていた。(あともやしもんが好き)
そんな私が、トークショー開催するとの告知を目にしたので、久々にヒカリエに行った。

登壇者は、翻訳に携わったやなぎさわ まどかさんとジャスティン・ポッツさん、キュレーターの小倉ヒラクさん、そしてゲストに鳥取にあるタルマーリーの渡邊格さん。

展示もトークショーも入場時点で盛況。
会場の席にはポケットサイズの「発酵用語集」が。

↑これの一番左の小冊子。

これの完成度が凄い。トーク中にもこの用語集がたびたび話題に。
というのも、この展示は日本各地の発酵文化を紹介するもの。日本の発酵用語はあまりにも日本独自すぎて、英語にしようにも正解がない。それでも言葉としての正しさではなく、その実体として伝わる英語に翻訳することが大切。これを実現する作業が本当に大変だったという。

鰹節を「dried bonito」とするか「katsuobushi」とするか。

たとえば、これはPeatixの概要にもあるものだ。
鰹を乾かしてるのだからdried bonitoなのだが、呼称を説明的にするのではなく、これをkatsuobushiとして、それが何かと通じれば良い、それを目指したいという。「え、なにそれ?」となっても、説明の段階で”鰹を乾かした(単純に乾かしたのではないんだが)もの”とすればいいしね。

なんなら、発酵もfermentationではなく「hakko」で通じるようにしたいという(hakkohかもしらん)。そこには欧米とアジア、特に日本の間にある文化的な差異があって、そのまま発酵として日本の発酵食を伝えること、その文脈(context)を伝えることに、キャプションの意味があるのだという考えがある。

伝えるため、contextを大切に

翻って、私は記事の英訳だったり、原文として英文記事を書いたりするのだけど、とても身につまされる思いだった。
教科書的な意味での文法的正しさを追究するより、ニュアンス、ここで示すこの言葉が何を背景に言いたいのか、その意図に沿って正しい言い回しを選ぶ必要がある。
それはキャプションとは違う場ではあるけど、原文を別の言語にかえる作業としては同じこと。それをもっと考えていかないと、と思った。

果たして「日本の発酵」という世界の言葉を英語にすることは、とても難しいことだと思うし、実際に翻訳をしたお二人もそう言っていた。
それでも翻訳チームのこの人たちが発酵の世界に携わっているからこそ、文脈を理解して、キュレーターのヒラクさんがどのようにこの展覧会で、そしてその先のフィールドで発酵を伝えたいのかがわったのだろう。そのアドバンテージがとても活かされているなと思った。

もちろん、いわゆるその世界の「中の人」やそれに近い人でなくても、そういった文脈や背景をくみ取る力や、聴きだす取材力が問われるのだろう。

日本の発酵

単純に食べ物としてしか見ていなかった日本の発酵食品の特殊性を、このトークショーと展示で知ることができた。

たとえば日本の発酵食品がマルチな発酵過程を経ていること。
お酒であれば、ワインはブドウの糖分を酵母(サッカロミセス・セレビシエ)がアルコールと二酸化炭素にかえる、この作用だけだが、日本酒の場合、まずお米のデンプンを麹カビ(アスペルギルス・オリゼー)が糖にかえて、それを酵母がアルコール発酵し、乳酸菌が…と、複数の発酵作用がはたらいている。というようなことだ。

あらためて、よくこんなプロセスを見つけたな、と先人にびっくり。そしてこの工程を守る人たちにもびっくり。

残し方、伝え方

そしてもうひとつ、この展示とトークショーで気づかされたのは、残し方と伝え方だ。

発酵に限らず、こうした伝統文化は脆く、本当に何もしなければ潰える危機にある。そこで必要なのは「残す」というアプローチだ。

ヒラクさんは、展示会場では47都道府県48の発酵の姿を、できるだけ伝統的な形そのままで伝える展示をしたという。
その意味で、展示会がアーカイブ(保存、保全)の意味で「残す」ことになる。

そして、このトークショーをはじめとするワークショップやイベントでは、これからの発酵文化の姿を考え、発信することを念頭に置いたと語っていた。そこではそのままの形でなければいけないわけではない。

海外で日本食への関心が高いことは良く知られているが、そこでもそのままの形にこだわるのは難しいし、こだわる必要は無いのではないか、ということだ。海を越えて海外に日本の発酵食文化を伝える場合、現地には日本のように自生する麹カビが欧州にいない以上、伝統的な姿そのままでは伝えられない。
そのため、現地のガストロームの人たちは自分達が調達できる素材でアレンジした発酵食品で、現地の料理に合う発酵食の可能性を追究し、ヒラクさんに聞いてくるのだという。

これは「改変」かもしれない。だが、それは「アーカイブ」と合わせて発信するなかで生まれる「進化」あるいは文化の「伝播」の結果なのだと思う。健全な形で伝播し変化することを許容すること、そして伝統を保存する、それが文化を伝えるときに考えることなのかもしれない。果たして健全不健全などという判断ができるのかは置いておいて。


とある資格試験を受けるため勉強に時間を割かないといけないのだが、このイベントの後に買ったヒラクさんの新著「日本発酵紀行」を少しだけ読んでみた。
あまり日本各地をまわったことがないのだが、発酵食という分野を見るだけでも、国内でまだまだ行ったことが無いところ、知らないことがたくさんあると改めて気づかされる。

読み終えた頃には国内旅行の計画を立てている可能性が高い。

(※発酵ツーリズムの展示会期が7/22まで延長されたらしい)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?