男と女のABC問題 解答6

妻が出張なので、我ながら珍しく職場近くの落ち着いたバーで独り飲みとしゃれこんでみた。

去年四十路を越え、昔とくらべ酒がグッと弱くなった。もともと酒を飲むことにそれほど楽しみを感じている方ではなかったから、この独り飲みもほんの気分転換。黙って色鮮やかなピクルスをつまみに強めのカクテルを2杯ほど飲み干したら、早速酔いがまわってくる。

スマートフォンの画面がメールの着信を伝える光を点滅させる。開封すると、数年前まで住んでいた街で働いていた職場の後輩の女性からだった。当時比較的仲が良くて、メールアドレスも交換していた。しかし、実際にメールのやりとりをしたのは数えるほどしかない。何の用だろう。

「ノジマさん、ヒラトです。ご無沙汰しています。あの、ヨシマツさんが亡くなったのはご存じなかったのでしょうか? 今日お焼香をあげに行ったのですが、お通夜にノジマさんがいらしてなくてすごく意外だったので、メールしました。ご事情があって来れなかったのなら余計な詮索でした。すみません」

ヨシマツさんが死んだ? あまりに唐突過ぎて、何の感情もわかない。メールを返信する。

「ヒラトさん、こんばんは。驚いています。まったく知りませんでした。彼女が亡くなったのは病気ですか?」

すぐにスマートフォンの画面が光る。

「健康診断で癌が発見されて、けっこうすぐだったみたいです。発見から半年経っていないとご家族の方に聞きました。ヨシマツさん、いつも元気で明るくて、私の憧れの人だったのでびっくりしたし、悲しいです。でも、会社で一番仲が良かったノジマさんが来てないので、どうしたんだろうと思って」
「ご両親にも僕のことはよく話していたと彼女から聴いていたけれど、連絡先がわからなかったのかも知れないね。気持ちを整理したいので、また今度連絡します。教えてくれてありがとう」

私は彼女に愛を告白したことがある。受け入れられなかったが。酔いもあって、混乱する。後輩以外にもメールをしてくる人がいるかもしれない。今はメールのやりとりをする気分じゃない。いったんスマートフォンの電源を落とし、空になったグラスをもてあそびつつ、あの街での記憶に想いを馳せる。

ヨシマツマミとは会社の同期の中でも特に気が合って、性別は違ったがいい飲み友達だった。当時は大学時代から付き合っていた彼女がいたが、ひんぱんにヨシマツさんとのふたりきりの飲みを繰り返していたら、彼女になじられた。「あたしとの時間より、優先順位が上な気がする」と穏やかな彼女に似合わない激しい口調で指摘されたその時、はじめて自分のヨシマツさんへの気持ちに気がついた。

彼女には申し訳ないと思ったが、心変わりを秘めたまま付き合い続けることはできない。正直に話し、別れた。私の説明を聴いて黙って涙を流す姿が、何年も付き合い続けた彼女を見た、最後だった。

ヨシマツさんには彼女と別れたことは飲みの時に伝えたが、理由は教えなかった。私はただ、自分の中のけじめをつけただけ。その時気持ちを伝えても、彼女とはうまくいかないだろうことは何となく予想できた。同僚、友達として過ごした時間が、長すぎたのだ。仕切り直して、ゆっくり彼女に近づいて行こうと思っていた。

ある時から、自分と同じようにヨシマツさんとふたりだけで飲んでいる男がいることが話題にのぼるようになった。どんな男なのかは今も知らない。だが、前の彼女になじられた時のような胸のざわつきをまた感じたことを今でもおぼえている。

自分がもたもたしていて彼女と付き合えないのはいい。でも、他の男に取られるのは嫌だった。友達のふりをして抑えていた気持ちが、膨れ上がる。まだタイミングが来ていないと思ったが、私はある日、飲みの席で彼女に気持ちを打ち明けた。私たちの行きつけのバーの無表情なバーテンダーが私の告白を耳にしてポーカーフェイスを崩して驚いた表情を見せたので、よっぽど擬態はうまくいってたのだろう。その印象が強くて、ヨシマツさんが何と言って断ったのか、その言葉をはっきりとはおぼえていない。

気持ちはうすうす察していた。嫌いではない。でも恋人にはなれない。そんな感じだったと思う。そして、もうひとりの飲んでいる男に惹かれているのだと言ってた。私と飲むのも楽しくてずるずる引き延ばしていた自分はずるかったとつぶやいて、さびしそうに笑った顔は今でも思い出せる。

それから彼女と飲むことはなくなったが、時々メール交換くらいはしていた。「あちらの男」のことは話題になったことはなかったが、私と飲むのをやめてから付き合い始めたらしいのは仕事中の同僚との雑談を聴いてわかった。このまま彼女たちは結婚するのかもしれないな、と感じた。

それから数か月経ち、私は家の事情で郷里に帰ることになった。会社が盛大な送別会を開いてくれ、ヨシマツさんも来てくれたが、にぎやかすぎてゆっくり話す時間もなかった。私たちは、そんな風に別れた。会社では相変わらず軽口も叩いたし、仕事上の相談もよくした。だから、同僚や友達としてはいい関係だったんじゃないかと思っている。私の人生の中の、ある一頁がめくられただけ。

私は郷里の街で新しい恋をし、その女性と結婚した。妻にはヨシマツさんとの思い出もちゃんと話していたし、ほんの時々彼女とメールのやりとりをしてもかんたんな近況報告にとどまり、私の愛情はもう完全に妻のものなのだと改めて感じていた。

でも、今ひさしぶりに胸のざわつきを思い出している。

スマートフォンをオンにし、もう一度後輩にメールを送る。

「すぐにごめん。何も知らなくて申し訳ないのだけど、最近彼女とは仕事についてしかメールでやりとりしてなくて。ヨシマツさんはご結婚されていたのかな」

あの頃私たちは、会社の中でも仲良しコンビと言われていたし、一番大事な友達とお互い思っていると信じていた。歳をとって、もし彼女が先に亡くなることがあれば、真っ先に駆けつけられると思っていた。しかし現実は。勘の良い元後輩が教えてくれるまで知らないとは。

画面がメール着信で光る。

「ヨシマツさんはまだ独身でした。あんなに素敵な人なのに。こんな時になんですけど、私はノジマさんと結婚するといいなと思っていました。お似合いでしたから。そちらに帰られてからも、ヨシマツさんはノジマさんの話をよくされていましたよ。お墓参りにいらっしゃったら、また連絡くださいね」

あちらの彼と結婚しているのだと思っていた。知らないことばかりだ。

ヨシマツさん。君は独りだったのか。私たちの関係は、一緒に飲まなくなったあの日で時間が止まってしまったのかもしれないね。私への連絡が遅くなったことにどんな事情があったのかわからないが、メールで遅れて知らされた死は、今の私にとって思い出のきっかけにしかならない。私は悲しむ機会を失ってしまったのかもしれない。今はただ、疎外感だけが行き来する。器が小さい私。気持ちがさざ波のように震える。

さようなら、ヨシマツさん。もう思い出すだけなんてさびしいよ。

今度は、最初の2杯より強い酒をオーダーした。



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オラシオ

ライター、コラムニスト。青森市在住。『中央ヨーロッパ現在進行形ミュージックシーン・ディスクガイド』(DU BOOKS)監修。コンピCD『ポーランド・ピアニズム』『ポーランド・リリシズム』(コアポート)選曲・解説。ご依頼はaladyhasnoname@yahoo.co.jp

男と女のABC問題

フリーの若い男女男をめぐるショートショート・シリーズ。さまざまな恋が実ったり破れたり、はたまた生まれもしなかったり。
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