人生チラリズム度は見る人次第?

「オラシオさんって、結構○○○○ですよね・・・・」

基本自分はただの「文章書き」だと思っているんですが、たまたまスタート地点と現在の仕事の割合が音楽についてのものが多いので、みなさんには一応「音楽ライター」だと思われています。

音楽方面での野心はそれなりにありますが、さりとて最悪音楽について書けなくなっても、文章を書いて生きて行けるならそれはそれでありかなというのが正直なところ。そういう意味では本当に音楽ラヴで情熱がある音楽ライターの諸先輩・諸同輩のみなさまと自分はちょっと立ち位置が違うのかなーなんて思う今日この頃。

とは言え「ほんとうはもっと違う分野についても書きたいんです!」って言ってるだけでは絶対に仕事は来ないので、このnoteで昨年の終わりくらいからジェンダーや恋愛、図書館についてなど、まず自分ができると考えている分野から中心に記事をちょこちょこ書くことにしました。要するに営業用サンプルみたいなものです。

さてnoteというひとつのメディアに公けに公開しているからには、自分の身の周りの知人だけではなく、いろんな人が読みます。実際ここに書いた記事がきっかけで音楽以外のジャンルでもオファーをいただきました。

それで、最近こう言われることが多くなってきました。

「オラシオさんって、結構自分の人生をさらけ出す方なんですね」

えっ、これくらいでさらけ出していることになるのか!って改めて教えられた気持ちになりました。えーと、ここから書くこともさらけ出すに入るのでしょうけど、なんで「今さら知ったよ」みたいなことになるのかを書きます。

私の家族、父と母と私の3人家族はステップファミリーです。ステップファミリーとは、ネットですぐ出てくるブリタニカ国際大百科事典小項目事典によれば「子供を持った男女の離婚・再婚によって生じてくる,血縁関係のない親子関係・兄弟姉妹関係を内包して成立している家族」です。ちょっと難しいんで、よくあるパターンで説明すると、子どもの中に片方の親としか血がつながっていない人がいるという感じでしょうか。

さて、うちの家族はもうひとつマイノリティ・バイアスがかかっていて、両親の名字と私の名字が違うってことなんですね。普通夫か妻のどちらかが子連れで再婚した場合その全員が同じ名字になりますよね。あるいは、籍を入れないで同居した場合は、子連れの父子か母子のどちらかが同じ名字です。

が、うちの場合はいろいろありまして、再婚した両親だけがYという名字で、母の連れ子の私だけが前の父の名字Sのままということになってしまいました。これは今でもかなり珍しい形態なので、私が子どもの頃の20~30年くらい前ならどれほど奇異なイメージだったかと思います。

私や両親が一番嫌だったのが、周りの人が勝手に「いろいろあるご家庭」とか不幸そうなイメージを押しつけてきたり、かわいそうとか思われたりすることでした。あと、家族ネタについて私の前でだけ腫れ物に触るような感じになられるのもイラつきました。うちは別に楽しくやってましたし、とても仲が良かったですし。ちょっと皮肉っぽく書くと、すごく仲良くやっているという点を除けば(笑)うちは普通と何も変わらない親子だと思います。

とは言え、そういう固定観念ってやっぱり「そうじゃないんだよ!」って思っているだけでは何も変わらないんです。で、思春期の頃の私が考えたのが、

積極的に自分の家族の話をする

ということでした。母がバツイチなこと、父とは血がつながっていないこと、そういう家族の子どもである自分の気持ちとか、普通に人が家族について話すような感じで話すことにしたんです。あくまで、普通のこととして。だってほんとに、私にとっては普通のことだもん。

世界を変える!ってほどのことはできなくても、少なくとも自分と触れ合う人たちの気持ちを少しは変えることができるかもなので。そうすれば自分もイラつかずに済むし、次からはその人たちが違う目で、私以外のステップファミリーや一般的な形態ではない家庭を見るようになるかもしれない。そうやって偏見は少しずつなくなっていくと思ったから。

最初は「えっ、それって普通に聴いちゃっていい話なの?」って引く人も中にはいましたが、こっちが平気で普通のネタとしてしゃべるので、だんだん慣れて行くんですね。で「名字が違うだ何だって世間は言うけど、別にこいつも普通じゃん」ってなるわけです。

これが、私なりの偏見への対処法だったんです。と言っても、別に辛い体験をMっぽく苦しみながら話しているわけではなくて、ほんとに普通にネタにしているだけなので、別に「世間の目との戦い」とかいう感じでもなく。でも「どうせわかってもらえない」とか「気まずいムードになるのが嫌だから、家族ネタについては口をつぐもう」って私がやってたらこうはならなかったはず。そういう意味では、少なくとも個人レベルでは、自分は偏見に打ち克ったと思っています。

というわけで、なんか自分のこと、家族のこと、人生観のこととかについて自分からペラペラ話したり書いたりするクセがついているんですね。すべてをさらけ出すつもりはないですが「これは言っても構わない」ということは、訊かれる前にどんどん発信するというやり方がしみついているんです。その方が、周りの人が心の壁を取り払ってくれるので。

で、SNSのうちフェイスブックでもよくそういう個人的な話を書いているんですよ。あと「原稿が進まない」というちょっとした弱音とか。情報シェアがベースのツイッターとは完全に使い分けていて、そっちはそんなんばっかなんです。それで、音楽業界関係で知り合った人とかもどんどんFBで友達になっていただいているんですが、その人たちが友達になった当初押してくれていた「いいね!」がだんだんなくなってくるんですよ(笑)

(ちなみにnoteのプロフィールに張っているFBのリンクは個人アカウントではなくて、私が管理している「ポーランドジャズのはじめの一歩」というページへのものです)

なんとも器の小さなことで恐縮なのですが、これ、すごく気になるんですね。「ああ、最近あの人全然いいね押してくれなくなったな。もう読んでないんだろうな」って。ああ、自分で書いてイテテテって感じですが、落ち込み気味の時とか、時々それが妙に気になっちゃうんです。

FBってすごくパーソナルなメディアだと思っているので友達限定公開で個人的なことを書いているわけですが、それでもダメな人にはダメなんだなと。ちょっと内面を露出し過ぎている、イタい奴って感じに見えちゃうんでしょうか。別に「オレのこと、わかってくれよ」っていうことじゃなくて、単に自分のことを自分から書くクセがついちゃっているだけなんですけどね。

これってファッションなんかに似てるのかもしれないですね。海外のドラマとか映画とか観ていると、女性のスーツの胸元がものすっごい開いてたりするのが、なんかハラハラします。あとフォーマルなドレスの露出っぷりもすごいですよね。私や彼女なんかは比較的保守的なファッション観の持ち主なので、そういう外国の女の人とか、日本でもすごいミニスカートの人とか、キャミワンピに見せブラ、素足にミュールみたいな人とか見ると「いやいやいや、もっと布が多くてもいいのでは」って感じるのですが、それももっとオシャレなセンスの、見る人が見ればジャストでイケてるファッションなわけです。

同じように、私の「個人の出し方」も見る人が見れば興味深いのでしょうし、逆に職業として書き手をやっていて「見せていい自分の範囲」を計算している人には「やりすぎだよ」ってちょっと引かれ気味な気がします。ネットは、私がこれまで対面で直接やって来たようなやり方は少し向かないメディアなのかもしれません。しかし。

基本的に私は人を緊張させるのが嫌で笑わせたり気を緩ませたりするのが好きです。ここで書いているようなコラムも、読んで「ああ、『こうしなきゃいけない』とかって気のせいだったんだ。自分なりに生きてこっ」ってリラックスできるような内容にしたいんですね。実際自分がそういうのに囚われるのが嫌だし、楽に生きたいですし。

でも、あんまり俯瞰した視点というか、神の目線に立ってすごく大きなことを書く能力はないので、自分の経験とか生活、普段考えていることを出発点にするという方向でしか書けないのです。書けないと言うか、現状そのやり方が一番効果的だと、これまで仕事して来た経験上わかっているという感じでしょうか。だから、無防備にさらけ出しているのではなくて、自分なりの計算です。

というわけで「オレの人生こんなんだよアピール」を感じちゃった人もいるかもですが、全然違う動機からでして、自分の人生をチラリズムしているつもりは全くないのです。たまたま自分の書きたい内容が、そこを出発点にした方が説得力があるからなんですよね~。だから、たぶんここで書いているような内容の仕事をもらいたいと考えていなければ、営業用サンプルも書く必要がないので、こんなに自分を露出してないと思います。

肌の露出が多めのファッションのお姉さんが、自分は別に露出してると思ってなくて、ただ単に自分に似合うファッションをしているだけと自己認識しているのと同じじゃないかなと。だから、私もチラリズムじゃなくて、ただ単に自分にできるファッション(書き方)をしているだけなんです。

ところで、今読んでいる、ファッションを通して女性と社会の変遷を追った『女子のチカラ』(米澤泉)に面白いことが書いてありました。セルフヌード・ブームやコスメ・ブームについての箇所で、

見られるのではなく、見せる。(中略)魅せることによって、相手の視線を支配する。

と論じています。

私のコラムも、そこが理想なのかなと軽く膝を打ってしまいました。

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オラシオ

コメント3件

オラシオさんの文章、私はわりにジャストと思ってますけど、私自身は周りの人との距離のはかり方や、感覚も他の人と少し違う気もするので、もしニッチな方のジャストだったらすみません…。オラシオさんのこういうエッセイみたいのは居心地良いですよ。リラックスして読んでます。
>キャベツ坊やさん ありがとうございます。ほんと、普段着の会話と同じ気分だったんですけど、何人かの人に「さらけ出してますねー」と言われて、自分の感覚はちょっと普通とは違うんだと気づきまして。その理由を探ってみました(笑)
>かねきょさん まあ、ネガティヴな感じになったり「自分大好き」みたいな感じになったりしないように計算して文章を書いてるので、そう言っていただければほっとします。個人的な話にはいいね!とか押しづらいという意見も聴いたことがあります。
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