結局は、本気を出すかどうかだけの違い

いやー、最近仕事で悩みまくりっすわ。

本業の音楽ライター以外にトークイベントやったりラジオ出たりDJやったりして、できる限り飯のタネを多く拾おうとしていますが、本業含め、すべてにおいて自分が二流なのを強く自覚するようになってきました。

つまり、自分で自分の仕事に納得いってない状態です。念のため書いておきますが、いただいた仕事を適当にやっているということではありません。

仕事のオファーは「ちょこちょこ」きます。こちらから提案する企画とかも、それなりに通ったりもしています。つまりそれは、一定の評価が与えられているということなのでしょうが、それと自己評価はまた別のものです。

こういうことを書くと「プロがそんなこと言うな」とか「夢を壊すな」とかお叱りを受けます。そんなものですかね、すみません、私はその気持ちわからないです。というのも、私はむしろ前向きバリバリ人間に共感できないからです。

みんな同じ人間なのに、なんで悩んでないふりするんだろうといつも感じるので。苦しんだり悩んだりすることに対してボーナス評価してもらおうと思っているわけではないのだから、どれほど苦しんであがいて、時には弱くてヘタレになってその仕事を生み出しているのか、発信すればいいのにと思っています。

自分が書き手側にまわる前から、ずっとそう思っていました。だから、自分はむしろそういうことは積極的に露悪します。でも、そのことによって若干すっきりしている「グチ効果」についても否定はしません。

さて、なんで自分が二流なのかを省みるにつけ、結局はやるべきことに本気で取り組んでいないからだなということが見えてきます。

前に、某外国語の通訳をやっている方から「あなたなら、本気で2年間勉強すればポーランド語完璧になりますよ」と言われました。ほめているようですが、暗に「それさえ乗り越えればできることいっぱいあるんだから、やりなよ」と激を飛ばされているわけです。

みなさんけっこう勘違いされているのですが、私はポーランド語、あまりできないです。読み書き会話ともに、ほんの少ししかできません。

あと、英語です。日本人には縁遠いポーランド語ならまだしも、ある程度学校で学んでいる英語こそ、少しでも本気で取り組めばどんどん上達するスキルでしょう。でも私は、英語もまだまだ適当です。なぜなら独学だからです。ミュージシャンと英語メールでやりとりしているので、読み書きはそれなりなのですが、実際に会うと「あまり話せないんじゃん」と驚かれます。

今はスカイプとか、自宅に居ながらにして英会話を学習するコンテンツがたくさん生まれています。つまり、オレ金がないもんとか地方に住んでるもんとかいう言い訳がどんどんきかなくなっている(笑)。

つべこべ言わずにそういうの、やってみればいいんです。今みたいにちんたらマイペースに独学していては、いつまでも英語ができるようにならないの、なんとなくはわかっているんです。

そう、世の中には「やるか、やらないか」しかないものってあるんですよね。

その究極の二択って、何で分かれるかと言えば、才能じゃないですよね。目の前に見えてしまった壁を乗り越えるのは、才能の力じゃない。シンプルに「本気を出すかどうか」だけです。英語もポラ語も、その他のいろんな「自分に足りないもの」のほぼすべては、自分に才能がないから身につかないのではなくて、本気を出していないからということに尽きます。

逆に言うと、そこを頑張れば凡人の私にも越えられる壁だし、それによって開拓できる仕事というのもたくさんあるのもおぼろげに見えてはいる。私が仰ぎ見たり羨んだり嫉妬したりしている一流の人たちって、結局そこを頑張って乗り越え、戦うためのアイテムを手に入れていった人ばかりなんですよね。決して才能の塊で、誰にも手が届かないという存在ではないです。

仕事を続けるというのは、自分の越えるべき壁が可視化される時間の積み重ねでもあります。むしろ細々とではありつつも今の仕事を続けてきたからこそ、「上」の人たちが才能だけではないことが具体的に見えてきた。

しかし、それがわかっていても、できないものはできないんです。こつこつ何かを積み重ねるということが、どうしてもできない人間というのはいるんです。

持って生まれた才能ではなく、努力や本気の差「だけ」が一流と二流を分けているのならば、つまり、必要な努力もできず、本気を出せていない人がそれだけの数いるということになります。

それを頑張りさえすればいいのを知っているのに、なぜか踏ん張れない。私はその気持ち、よくわかるんです。どんなに「やるしかない」とわかっていても、マイペースな頑張りしかできない人間ってのはいるんです。やるかやらないかだけの違いだなんて、自分が一番よくわかっている。

ただ、そういう自分に絶望しているのかというとそうでもありません。肯定もしていませんが。この先、ひょっとしたら壁を乗り越えるべく頑張れることもあるのかも知れませんが、今の自分はむしろ「二流の星」になりたい。

私、ここまで来るのにほぼ何の努力もしてないんですね。ただポーランドの音楽やカルチャーが好きで毎日情報収集しているだけだし、情報の内容が知りたいから「それなりに」ポラ語を独学してきただけです。文章を書くのもそれなりに楽しく、仕事がもらえるきっかけになるのでそれなりに楽しい範囲でSNSでいろいろ書いている。

基本的に、自分が苦しいことはやってなくて、やりたいことだけをやっている。しかし、それなりに量を積み重ねてはいます。積み重ねてきたそれらのことをある人は「努力」というのかもですが、少なくとも自分には頑張ったという実感はほとんどありません。それなりに、ばかりですね。

言い換えれば、この先は努力しなきゃいけないぞ、というエリアには足を踏み入れないで安全地帯にとどまっているとも言えるし、安全地帯にはそんなに多くの仕事は転がっていないので、当然仕事はそんなに増えません。当たり前ですよね。

でもこれって、さらに言い換えれば、私が今やっているくらいのことだったら、誰でもできるようになるということなのだと思います。少なくとも、私はそれを確信している。だって、実際そうなんだもの。

世の中には「やるか、やらないか」しかないものがある。それはそう。でも、自分の本気が足りないせいで「やらない」ほうになってしまう人も、少なくともこれくらいはやれるという具体的なラインがきっとあると思うのです。

私はそういうのを身をもって示したい。やらないやつができることの最大限の範囲を、見せたい。

私は「後ろ向きな前向き人間」とよく言われます。要するに、気の持ちようで世界はポジティヴにもネガティヴにも見えるという考え方なのです。決して現状をどんどん変えよう!というスタンスではない。

ここまで書いてきたこともそうで、今んとこやるべきことをなかなかやれないダメ人間なので、じゃあせめてそのことに前向きな価値を見出そうという感じですね。

やるか、やらないかでちゃんとやれる人、そこを頑張って一流になった人はしばし「やるかやらないかしかないんだからやるしかないじゃん」とアドバイスしてくれます。でもそれは実はとっくに知っているし、むしろそのばりばりポジティヴな言葉がやれない人をさらに打ちのめすこともあるんだな。

自分に打ち克った人の言うことは、正しくはあるけれど、時々ずれていたりもする。人を前向きにさせる言葉というのは、そういうのばかりではないと思うのです。少なくとも、私のような怠け者はそれで前向きにはならない(笑)

とりあえず今の私は、やれない人間です。しばらくは、やれない人間としての上限を広げるべく、頑張りたいと思います。なのでとりあえずもう一度言っときます。今私がいるところまでは、きっと誰でも来れますよ。

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