文章が書ける音楽家についてどう思いますか?と訊かれました。

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先日知人に「オラシオさんは、文章が書ける音楽家についてどう思いますか?」と質問されました。

軽く説明しますと、最近ものすごく面白い文章を書けるジャズ・ミュージシャンがだんだん増えてきているのです。

数々の著作で知られる山下洋輔さんをはじめ、南博さん、菊地成孔さん、大谷能生さん、山中千尋さん、吉田隆一さん、挾間美帆さんなどなど、その文章そのものや「執筆者」としてのクレジットを一度は目にした方も多いのではないかと思います。

それはもちろん、ジャズだけのことではありません。現代音楽作曲家の故・武満徹さんや吉松隆さんもすぐれた文筆家ですよね。今思いついた方だと、マリンバ奏者通崎睦美さんもすばらしい文章をお書きになります。属している音楽ジャンルを問わず、こんな例はいま、枚挙に暇がないでしょう。

対して私は、文章専門でプロとしてやっている人間です。

ちょっと想像してください。100m走と走り幅跳びの両方をやっている選手と、100mだけやっている選手がその100mでしのぎを削るライヴァルだったら、まあみんな両方トップレベルでやれる人の方をすごいと思っちゃいますよね。

それはまあ、ある意味しょうがないことだと思います。

なので、冒頭でご紹介した知人の質問には「掛け持ちで文章を書いている人の仕事に負けるのは怖くない?」とか「嫉妬はしますか?」という疑問も少しは含まれているのでしょう。

えーと、まあさっさと答えを書いておきますね。

良くも悪くも、何とも思いません。

というのが正直な気持ちです。と言うか、むしろ「シーン」的には歓迎すべきことなのかなと思っています。他の人はどうだかわかりませんけれども、少なくとも私はそう考えています。

とりあえず「良い」とする理由をいくつか挙げます。

1.別の場所から来た人のスキルは参考になる

かんたんに言うと音楽家の文章は独特のものがあります。私たちから見ると、一般の読者が思う以上に個性的なリズムを持っている場合が多いのです。

そして、それらが受け入れられているからその人たちも書く仕事のオファーをもらっているわけなので、単に「どんな文章が受けるのか」「どんな書き手が仕事をもらえるのか」を探るマーケティングとしても有用なデータになります。そういうやり方があるのかあと勉強もできます。

「自分とセンスが合う」ものばかりに触れていても、職人として前には進めませんからね。勉強させてもらえるサンプルが増える分、得をしているとも言えるわけです。

2.層が厚くなる

そのものズバリ、その通りの意味です。やる人が増えれば増えるほどそのジャンルの層が厚くなります。

例えば、日本と韓国のフィギュアスケートのシーンの規模を考えてみましょう。やはり競技参加人数が多い日本のほうが優れた選手を「たくさん」輩出しています。もちろん、規模が小さい韓国だって時にはキム・ヨナみたいな天才を生みますが、その後に続く選手はまだそんなに多くありません。そして、日本はいま世界最高レベルの選手の層の厚さを誇っています。

なので、ブロガーだろうが、片手間で書く人だろうが、音楽家だろうが、専業だろうが、やる人が多ければ多いほど、そのシーンのレベルは上がるんです。書いた人がどんな人であれ、より良いものを書く人だけが生き残り、評価される。

その「生き残る者」の中に自分が入るかどうかという問題と、他業種との掛け持ちの人が増えると困るという問題は、一緒のようでいて違うトピックだと考えています。

業界としては、とてもいいことなのじゃないでしょうか。

3.音楽分析的な原稿を直接頼める

これは私みたいな「著者と監修者を兼ねる」スタンスの人に独特の考え方だと思います。何かまた共著の本を作りたいと思った時に、中途半端なプレイヤー、作曲者だった自分が書くよりもっと突っ込んだ内容が欲しい場合もあります。

そういう時に無理して自分が頑張るより、書ける音楽家に頼めば即解決!ということもあるでしょう。

自分が苦手な部分は、できる人にやってもらえばいいとぐーたらで頑張らない人間の私なんかは考えてしまいます。

たったひとりでオールマイティにすごい人もいますが、みんなの力を持ち寄って集合知で課題を乗り越える方が面白い気がするという考え方を、私はします。

以上の3つのシンプルな理由から「書ける音楽家」の乱入は歓迎すべきだと考えていますし、個人的にはあまり自分のやることに影響もないと思っています。

影響がないと言うのは、こういうことです。

人の書くものには必ず出来不出来がありますし、受け手によっても反応も分かれます。その意味では自分の他にどんな人が書いているのかとか、それを書いているのが掛け持ち文筆家なのか専業なのかとかって実はあまり関係なくて、結局その仕事単位で評価にさらされていくわけです。

先に書いた幅跳びもできる100m走者と専門走者をくらべるとどちらがすごいというのは、100m走の出来不出来そのものの比較ではなくて、その人丸ごとに対する評価なので、確かにその尺度だと評価に差は出ますが、気にしてもしょうがないんじゃないでしょうか。

その土俵は誰に対してもフラットに用意されているし、それゆえに平等に残酷です。どんな人が書いたにしろ、良い仕事なら評価されたり売れたりするし、そうじゃなければ仕事がなくなるだけです。

もともとそういう世界に足を突っ込んで書いているんだから、別に誰が参入してこようがその環境は変わらないですよね。

自分がこれからも生き残っていけるかどうかはわかりませんが、ただ目の前の仕事に全力を尽くすのみなのはいつも一緒ですよ。きれいごとでも何でもなくて、そうしなければやがて干上がるし、頑張ってても干上がるかもしれない残酷な世界なのです。

というわけで、文章が書ける音楽家についてどう思いますか?という質問には「何も感じない。むしろ、いいことだと思っている」という回答になります。

このコラムは投げ銭制です。ご購入くださった方はこの先のオマケ「そうは言っても、こういう人たちの参入は困るな(苦笑)」をお読みになれます。よろしくお願いいたします。

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オラシオ

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オラシオ

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