「自分のため」は届かない

私の相方が最近盛んに「会話で笑いをとりたい」と言うんです。

彼女はもともと大変なコミュ障で、ひと頃など「世間話ができない」「社交のやり方がわからない」と言ってました。出会った当時(四半世紀ほど前)は、正直言ってめんどくさいこじらせ女子でもありました。

そんな彼女も今では職場の中の小さな部署のトップだし、大勢の人の前で喋ることもあるようです。

で、その「大勢の人の前で喋る」時に、聴いている人たちの興味を保つために笑いをとる箇所を入れたい、ということのようです。実際、頑張って時々は成功しているそう。

それが長じて、ふだんの同僚との会話やプライヴェートでも「面白い人だと思われたい」になったようなんですね。

ところで、私は人と喋っている時にジョークをひたすら飛ばし続けるんですね。まあ、ウケたりウケなかったりではあるのですが。彼女はそんな私の姿勢に学びたいとも言うんです。でも、彼女と私では笑いをとる目的がちょっと違うのではないかと思うようになりました。

彼女ははっきり言って「変な人」なので、素で面白いことを言います。だから、職場でも「面白い人(=変わってる)」と思われているようです。でも「面白いと思われているんなら、それでいいじゃないか」と言うと、そういうことじゃないんだと返してくるのです。

要するに、彼女は「笑いを自在にとれる、会話のテクニシャンになりたい」のです。そういう技術を身につけたいと。自分を高める技術、スキルをもうひとつ欲しいと言っているわけです。

一方、私がなぜジョークを飛ばしまくるのかと言うと、お喋りしている相手のかたに「せっかく一緒の時間を過ごすのだから、少しでも楽しい時間だと感じて欲しい」「笑いでリラックスして欲しい」という気持ちがあるからです。別に面白い人だと思われたいとかじゃないんですね。

ただ単に、人が笑いとともに会話している雰囲気が好きなんです。

彼女は、冗談を言ってもあまり笑いは取れていないそうです。むしろウケているのは狙った時ではなくて、素の会話なのだとか。テレビのバラエティ番組を観て、トークがうまいタレントやガツガツ笑いを狙ってくるお笑い芸人のテクを盗もうと努力はしているんですが「自分の会話スキルがあがった感じがちっともしない」とこぼしています。

芸能人のトークのテクニック・メソッドみたいなものは確かにあるとは思うのですが、彼女の笑いをとるスキルがあまり進歩しないのは、資質的な問題よりも、もう少し違うところに原因があるのではないでしょうか。

それは、私にとっても思い当たるところがある原因でした。

私はつい最近まで、すごく「青森ネタ」を書いていたんですね。青森以外の土地で仕事をする時も、会う人会う人に青森の話をして、この街の良さを紹介していました。で、それで地元に貢献していた気になっていたんです。

でも肝腎の地元の人には、私のやっていたことってまったく響かなかったんですね。そして、新聞などのローカルメディアやテレビなどで「青森のために頑張ってます!」と紹介されるのがけっきょく青森出身の人ばかりであることに私はすごく苛立ってました。

「僕だって長年ここに住んでいるのに、いつまでも受け容れてもらえない。注目されるのは出身の人ばかり」といじけてました。でも違うんです。

ようく考えてみると、私が青森ネタを書いたり話したりしていたのは「自分のため」だったのです。地元メディアで仕事が欲しいから。青森の人にちやほやされたいから。仲間が欲しいから。または、よそでこのネタがウケるから。

もちろん、私なりにこの街が好きだし、その気持ちを伝えたいというのもあるのですが、それ以上に利害的な理由で青森ネタを使っていた。

正直言って今でも、生まれも育ちも青森という地元民の郷土愛みたいな心情って全然理解できてないし、共感もしてません。青森が好きで好きでたまらなくなって移住してきた人の気持ちもわかりません。私はただ単に、この街に偶然住んでいて、たまたまちょこっと好きになったくらいのもので、中途半端なんですね。

そんな私がなんで青森ネタを書くようになったかと言えば、地方でライターという仕事をやっていく上で「使える手段」だったからです。生きていくために使えるものは使うという姿勢自体は、未だに否定する気はありません。それって、商売の中でとても大切なことだと思います。

でも発信というトピックに限って言えば、そうやってやっていることがほんとうに人の心を捉えるかどうかと言えば、なかなか難しいのではないでしょうか。

私の中に「ほんとうは、青森がどうなろうが知ったこっちゃない」「勝手に盛り上がってろ」と思う気持ちが根強く残っていることに気づかされる出来事が昨年いくつかあり、特にオファーされるのでもない限り、自分から青森ネタについて触れることをやめました。

やっぱり、「人のため」「世界のため」「この街のため」とかいう志を持っている人って、人を引っ張ったりつなげたり魅了する力を持っているんですよね。そして、「自分のため」にやっていることはなかなか伝わらないです。

私が曲がりなりにもポーランドのジャズについて仕事をし続けられているのは、名誉欲や仕事上の割り切りなどのリアリズムよりも「ポーランドのミュージシャンの力になりたい」という他己的な気持ちがどこかで勝っているからなんだと思います。

でも「自分のため」を優先している人が努力して「人のため」と思えるようになるかと言うと、それも難しいと思います。そういう部分って、努力ではどうにもならないです。だから逆に言うと、あなたがそう思える何かを知った時は、すごい力を手に入れたということなんですね。人のためにこれをやりたいって、なかなか出合うもんじゃないですから。

でもひょっとしたら、私が青森についてそういう気持ちを持てる時が、やがて来るのかもしれません。その時こそ、私はちゃんとした発信ができるようになるのかもしれません。

というような説明を彼女にすると「なるほどな」とわかってくれました。さて、彼女が笑いをとるテクニシャンになる日はくるのでしょうか(笑)

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オラシオ

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