ほめ言葉には2種類ある、という話

先週末、名古屋旅行に行くという相方について行った時の話。

評判の味噌カツ屋さんで晩御飯を食べていたら、店内にラジオ番組が流れていたんです。若い女性とおじさんが一人ずつという、ラジオではよくあるメンバー構成だったのですが、その時二人が話していたのは「ほめられるのって、大事だよね」というネタでした。

聴くともなしに聴いていたら、おじさんが「ほめられることの大事さ」の体験例としてこんな話をしたんです。

高校生の頃、自分はリーダーシップがあるけれど恥ずかしがりで自分からそういうことをできない人間だった。しかし周りがやれやれと言うもんだから、やってみたらうまくいき「あ、オレってリーダーシップがとれるヤツだったんだ」と気づいた・・・

内心「なんか、微妙やな・・・」と思いながら聴いていました。なので、味噌カツをもぐもぐしながら、なぜ微妙に感じるのか考えてみました。ご飯が終わって店を出てから、考えを整理するため、相方にその理由を話したんです。

まず最初に僕が思ったのは、ほめられて良かった体験を話したり書いたりするのって難しいなということでした。ラジオ番組のおじさんの体験談は、正直言うと「僕はリーダーシップをとれる人間なんです」アピールにしか聞こえなかったんですね。

で、ほめられたのって誰かに「ここが良かった」って言われたことを説明しないとダメじゃないですか。つまりそれは、ほめられ体験と同時に、他人が指摘する自分の良い点のご披露タイムになっちゃう気がして。

それに、自分がこういう良い点を持っている(と人に言われた)ことを話すのって、なんとなく気持ちいいんですね。ほめられた時の気持ちを反芻しているのか、あるいは「自分はこんなとこがすごいんだ」というふうにちょこっとドヤ顔したくなる気分になっているのか。

個人的に、そういう気持ち良さって自覚して気をつけておかなきゃ歯止めがきかなくなると思っていまして。人を批判する時も同じかも。自分で自分にラインを弾く意識を持っていないと、他人がどう思うかに構わずどんどん自慢したりこき下ろしたりするようになっていくんじゃないかと僕は考えています。

なのでラジオのおじさんの若い頃の話は、ほめられたことの大事さより、自分はリーダーシップがある人間である、あるいはそうみんなに思われていた自慢のニュアンスが強くなってしまっている。ほめられた例として適当ではない気がしたという感想を相方にしたのです。

すると彼女は、少し黙った後こう言いました。

「ほめ言葉には2種類あるんだよ。君は1種類だけだと思ってるから、そのように聞こえるんじゃないか」

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オラシオ

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オラシオ

ライター、コラムニスト。青森市在住。『中央ヨーロッパ現在進行形ミュージックシーン・ディスクガイド』(DU BOOKS)監修。コンピCD『ポーランド・ピアニズム』『ポーランド・リリシズム』(コアポート)選曲・解説。ご依頼はaladyhasnoname@yahoo.co.jp
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