最近、執着してます?

先日ちょっと旅に出て、用があって仙台の閑静な住宅街を歩いたんです。そしたら向こうから手を遠慮がちにつないだ大学生くらいのカップルが仲良さそうに歩いてきて、すれ違っていきました。

思わず「この子たち、どれくらいの期間付き合っているのかな? このままずーっと付き合い続けるのだろうか。それとも、何かが起きて別れてしまうだろうか」って考えてしまったんです。

と言うのも、私と相方は大学時代に付き合い始めて、何の運か知りませんがそのまま今まで20年以上続いちゃっている上、お互い異性と付き合うのはそれがはじめての経験だったので「付き合っていた人と別れる」ということがどういうシチュエーションなのか知らないのです。付き合っている人たちって、どういうことで別れるんでしょう?

すみません「僕たち、長く続いてるでしょ、すごいでしょ」って自慢をしたいんじゃないんです。ほんとうにわからないんです。

さて、カップルとすれ違ってそんなことを考えた私は、直後にこんな仮説を立てました。

「相手の中に、どうしても許せない部分を見つけてしまったら、別れるのではないだろうか」

そして、こうも考えました。

「僕は彼女のことをとても愛していて、彼女は逆に『君のこと、好きだけど、その気持ちはいつ消えるかわからないものだと思う』とつれないけど、本当は許せないものが多い彼女の方が執着心が強くて、そういうことがあまりない僕の方が執着しない性格なんじゃないだろうか」

もちろん私の中にも「これは絶対ダメ」とかいうラインははっきりあります。そのいくつかは彼女とも共有していると思います。例えば「浮気は絶対に許さん。即別れる」とか。でも、普段の暮らしを考えると、絶対に「許せない」ものは彼女の方が多く持っている。イコール、私の行いがそれに抵触する可能性も高いということです。それをうすうすわかっているから「この気持ちはいつ消えるかわからない」などと言う。

また、その「許せないライン」の内側とはつまり自分が守りたい世界なわけです。彼女の中で、その線引きが変わることはない。ということはその世界に対する執着が強いということになるのではないでしょうか。

私はあんまりそういうのないんです。何か気に入らないことがあっても、彼女といろいろ話し合うことで、ある程度受け入れていけるような気がするんです。

もう一度、私が執着しているものについて考えてみます。もっとお金が欲しい、というのは正直生活のためですし、もし大金を稼げるようになったとしても、それは彼女と両親のために使いたいと思っています。別にいい人ぶっているわけじゃありません。ほんとうにそんな感じなんです。自分のために使っているところを、想い描けないのです。

お酒は飲みに誘われた時しか飲まないし、タバコは口にしたこともない。ギャンブルも一切やりませんし、風俗とか行ったこともありません。思春期を「扉もなく、全くプライヴァシーのない居間で寝る」という、今思えば「男の子に対して、軽い精神的虐待では」と思えるような環境で過ごした影響からか、AVなどのエロ・コンテンツにもほとんど無関心です。もちろん、やらしいことを考えることはありますけど、コンテンツには興味ないです。

また、これも家庭環境の影響か、思春期に男女の恋愛関係を全く信じていなかったため、モテたいとか彼女が欲しいとか女の子とセックスしたいというのもなかったです。つーか、確かに良いものだとは思いますが、そんなにセックスってやりたいことですかね? いろんな人とやるのはそんなに楽しいんですか? 正直、それについては今もよくわかりません。

一時期はCDやレコードを買い漁っていまして、これが私の執着と言えば言えそうですが、それも最近落ち着いてきて、むしろ「もうこんなに要らないなあ。仕事の活動資金のために売ろうかなあ」くらいになっています。まあ、仕事のメインフィールドである中欧の音楽についてはまだまだ掘っていかないとなあと思ってはいますが、それも仕事のことがなければどうなのか。

あと、文章を書くのを生業にしているので「文章を書くのが好きなんでしょう?」と言われることが多いのですが、これはたまたま「これしかできない」からやっているだけで、執着するほど好きなわけではないと思います。

うーん、私が執着しているものって何なんだろう。

あえて言うならば、名誉欲のようなものかもしれません。別に業界で一番とか天下獲ったるとかじゃなくてもいいんですけど、「どんな分野でも、オラシオに頼めば面白い読み物にしてくれる」とか「ちゃんと良い音楽を紹介してくれる」という、仕事に対する確かな評価については執着しているかもしれません。得るのがとても難しいことではあるのですが、そういうものをどこかで強く欲している自分がいるのを自覚しています。

それはきっと、そういうものがあれば自分は生きていけると思っているからでしょう。前の職場で図書館の現場主任の仕事をしていた時は、スタッフ数十名の中に何人か心から信頼できる人がいて、彼女らがちゃんと評価する仕事をしようと思ってやっていました。ちゃんと厳しく見ることができる彼女たちが評価するならば、自分の仕事は少なくとも間違っていないと思えるからです。「これでいいんだ」という判断基準は、自分の中にあるわけじゃないんですね。

日本ではまだほとんど誰も聴いていないポーランドや中欧の音楽をメジャーにしてやると息巻いているような無謀なバカなので、みなさん私が他人の評価に目もくれない強い自我を持っていると勘違いされているのですが、そんなことはありません。私が書いていけるのは、みなさんの評価があればこそなんです。

それが、私が一番執着しているものかもしれません。とてもはかないものですけどね。

そんな執着心を持って、今日も私は文章を書いています。

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オラシオ

コメント3件

許せない一線を越えたとき、別れが来るかもしれませんね。私もそんなに経験してないので分かりませんが。
>かねきょさん まあ、私もこのまま経験せず終わりたいものですが・・・(笑)
>もろっ子さん と、思われがちなんですが、むしろ彼女の方が男らしい性格なんですよ(笑)
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