愛があってもひとりでは足りない

このところ、母が幸せそうだ。

その幸せのひとつに、父がこれまで以上に幸せそうだというのがあるらしい。その父の幸せは、母が定年退職したことからもたらされたらしい。母は一昨年の9月末に十数年勤めた職場を定年退職したのだが、その仕事は真夜中の肉体労働だった。

父、母、僕の三人の中で最も過酷な仕事をしていたのは母なのだ。実家に帰ってくるたびに父がせっせと炊事洗濯など家事のほとんど一切合切を担っているのを見て、父はほんとうに母を愛しているんだなあと感じていた。

その父の愛の強さは僕の思っていた通りなのだけれど、もう少し現実的な問題もあったようだ。要するに、母はその過酷な職場で働くだけでもういっぱいいっぱいだったのだ。また、一時期体調もかなり悪かったらしい。

父は、自分なら母よりも肉体的な負担が少ないと考え、家事を担当するようになったというわけだ。僕はそんなこともわからず「お母さんをあんまり甘やかしたらあかんで」などとのんきなことを言っていた。父はそのたびに優しく「はいはい(笑)」と答えていた。

母の肉体的・精神的消耗の心配もあって、父は早く仕事を辞めて欲しいと思っていたようだ。とは言っても、二人とも薄給で府営住宅暮らし。母も年金をもらえるまで辞められないと覚悟していたし、父は父で、母を辞めさせるだけの自分の収入が見込めないならば、せめて家事でバックアップしようと考えたのだろう。

父と母には学ばされることが多いのだけれど、二人で身を寄せ合って助け合って生きるとはこういうことだなあと思った。

さて、とは言え、いくら父の愛が強いからと言って、自分も一出勤24時間体制のタクシー運転手をやりながら家事のほぼ全てを担うという生活は、非常に肉体的に辛かったらしい。おまけに早朝出勤の自分と夜に出て早朝に帰ってくる母とはすれ違いの日々だ。でも可能な限り母に合わせて家事をしていたのだ。

懸命に母を支える父の肉体と精神もまた、静かに悲鳴をあげていたのだ。

しかしようやく母も退職。うちでのんびりと過ごす日々になり父にも平安が訪れたというわけだ。相変わらず今も家事をやりはするものの、前のようにワンオペではなくなったし、自分の勤務体制に合わせて生活できるようになった。体調も良くなり気分も解放されて、何とタクシー業務の成績にもプラスに働いているらしい。

紆余曲折の道を歩み、財政的にはバブル期の年収数千万から自己破産まで山あり谷ありの夫婦なのだが、ひょっとして今が一番幸せなのじゃなかろうかと思う。とりあえず、借金を抱えてるとか大病を患って入院とかで僕がその幸せに水を差す感じにならなくて良かったと安堵もしている。

そんな二人の少し前までのきつい生活ぶりのことを聞いて学んだことがもうひとつある。前々から感じてはいたし、実際に何度かいろんなところで書いたこともあるのだけど。それは、

家事はワンオペでは回らない。二人以上で分担してようやく回る

ということだ。炊事・洗濯・料理・掃除・買い物etc....これら日常を送るために必要不可欠な家事の総量が100として、人間ひとりがそのすべてを担うことは物理的にも精神的にも不可能なのじゃないだろうか。

この「総量」には単に物理的な要素だけでなく、どれくらいの完成度かという「質」や、ストレスなどの精神的要素も含まれる。

例えば、専業主婦だったらワンオペでもダイジョーブじゃね?と思ったかもしれない。でも、ずっと家の中にいてひたすら自分だけが家事をしている生活は、やはりストレスが溜まるものだ。また家事は共同作業の時間を過ごす良い機会でもある。そうした機会がほぼないのは愛情関係的にもマイナスに働くと思う。物量的に100をこなしていても、そのようなマイナス因子を含めると実際は100に届いていないということになるのではないだろうか。

これまでの「でも、専業主婦は全部ひとりでちゃんとやってたじゃん」系の論旨は、その見えないマイナス因子が考慮されていないのだ。しかも、その精神的なマイナスは思ったよりも大きいはず。

その100を、夫婦や同居カップルの二人がどのように助け合って分担していくのか。それぞれの仕事や性格、関係性など持っているカードのすべてを見せ合って一番いい形をその都度探っていくしかないと思う。

逆に、息抜きなどの「加点」を作る機会についても、ちゃんとお互い分担して取得する必要があるだろう。少し前に話題になった「フラリーマン」で一番みんなが腹を立てたのは、サボること、息抜きをすることそのものではなくて、自分だけその「加点タイム」を持ったからなのだと思う。

父は昔から家事をやる方だったし、コツコツ努力する性格だし器用だし、全然病気をしない頑健な肉体がある。そして、何より母を深く愛している。自分も辛かったのに、母を思ってほぼワンオペで家事をやる父も、歯を食いしばってきつい仕事を耐えた母も尊敬するし二人の愛を尊いと思うけれど、無理があったのは事実だ。

父が最近「ほんとは体がしんどかった。だから今の生活が幸せだ」とようやく打ち明けたのだと母から聞いて、父のワンオペは愛だけじゃなくて現実的な理由が大きかったのだと知った。母を甘やかしたいから好きで家事をやっていたのではなくて、もっとシビアな事情だったのだ。

正直、母の定年があと少し先だったら、父が倒れたり心を病むなど、どこかで歯車がくずれてしまったのかもしれない。父ほどのスキルと愛があっても、ひとりで100には届かなかったのだ。それは、もともと無理ゲーだからだ。

父と母は、今ようやく自分たちにとっていちばん幸せな100の分担体制を見つけられたのかもしれない。

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オラシオ

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