一本の鍵

世の中の人が「自分はちゃんと親孝行できているな」という気持ちになったことがあるものなのかどうか、知りたい。僕は一度もない。

僕は普段、仕事用のメインバンクにしているジャパンネット銀行のトークンをキーホルダーとしても使っている。

車は持ってないし、免許もないので、ここに車の鍵はついていない。会社に通勤もしない在宅フリーランスだから、会社用に必要な鍵もない。

だから、普通に考えればそのトークンについている鍵はたった2本、ということになる。つまり、今の家と実家の分だけ。

ところが実際は鍵は3本ついている。そのもう一本の鍵は何かと言うと・・・。

元・実家の鍵なのだ。

要するに、持っていても何の役にも立たない。いま世の中にある全ての扉のうち、たった一枚たりとも開けられない鍵。でも僕はこの鍵をずっと大切に持っている。まだ、捨てることはできない。

今は理屈っぽい文章を書いたりしているけど、20代が終わるまでの、東京に住んでいた頃の僕は完全に思いつきだけで生き、喋る人間だった。今とは全くの別人だ。

将来への不安もなにもなく、そして同時に何も努力をすることなく、ただ、生きていた。

気に入らなければすぐバイトをやめるし、まともな履歴書が書けたこともない。いわゆる「大学を出たけれど・・・」というやつの典型的パターンで、国公立の4大を卒業したものの、そんな学歴は全く役に立たず、安い時給の仕事を転々としていた。

そんな生活を支えていたのは、親だった。働く根性もろくにないヘラヘラしたフリーターに豊かな独り暮らしを満喫させるほど東京は甘くない。アパートの家賃を出してもらって、やっと成り立っている東京生活だった。

ただ、それで自分をいじめて節約極貧生活を送るかと言うと、当然そんなこともなく、働いたお金はきっちりレコードに還元していたし、ぜいたくをしているわけではないものの、食べたい時に食べたいものを食べていた。

まあ、その時の音楽を聴きまくった経験は今の音楽ライターの仕事にやがて活かされるわけだけれども。

母が5歳の僕を連れて離婚し、今の父と再婚してからしばらく、家は本当に貧しかった。家では芋の煮物ばかり食べていたし、住んでいたマンションの部屋には家具はほとんどなく、がらんとしていた。家でのおかずの最高のごちそうはピーマンの肉詰めで、最高の贅沢がどさん子ラーメンに外食に行くことだった。最近TV番組の「ドキュメント72時間」などでうどんの自販機が注目を浴びたけれど、当時の僕らにとって、自販機で食べるうどんがどれほど心躍る時間だったか。その頃の記憶には、そんな光景しかない。

さらに、前の父とのいざこざの関係で、僕と今の両親は「苗字が違う」という非常にイレギュラーな環境にあった。そのせいで僕は小学校ではなかなかハードないじめにも遭ったし、もう少し成長してからも家庭環境のことで形だけの同情をされたりして苛立つことも多かった。

貧しさと偏見。子どもにそんな経験をさせて、両親は申し訳なく感じていたのだと思う。その両方とも、母の離婚が原因のひとつだったから。

父がずっと続けていた設計の仕事で念願の独立を果たし、バブルの追い風もあってどんどん仕事の口や収入が増えたことで、金に糸目をつけず僕に何でもさせてくれるようになった。もちろん、できる範囲で、だけども。

20代の僕は、まだその延長線上にいたというわけだ。父や母が願ったように何か特別なことを成し遂げる人間にもなることはできず、ただただ生活力がなく努力と働くのが嫌いな青年がそこにいた。

そしてめんどくさいことに、僕はそんな自分の情けなさをちゃんと解ってもいて、内心ではものすごいコンプレックスを抱えていた。でも、厳しい職探しと果てしない労働の波にもまれるのも嫌だった。自分の問題点は知っていても、自分から足を踏み出せない。それが僕の本質だ。

そんなある日、母から電話がかかってきた。28歳くらいの時だったと思う。ずっと黙っていたのだが、実は自己破産が成立したと。バブルがはじけ、大企業からの下請けで食べていたフリーランス設計士の父は、もう全然仕事がなくなってしまったのだそうだ。そして借地に立てた一軒家の実家も、引き払うとのこと。だから、もう一切のお金の援助はできなくなると。

この時最初にショックを受けたのが、父が大好きな仕事を辞めざるを得なかったことの方だったのは、僕は今でも良かったと思っている。親の援助がなくなることで自分の生活が苦しくなるとは不思議と考えなかった。あれだけごく潰しだったのに、性根は腐っていなかったということか。

フリーランスで、好きなことをやって、家族を養っている父を、僕は心のどこかで尊敬していたのだ。世の中の流れの中で、ひとりの男性から天職が奪われる。その理不尽さに、僕は泣いた。

早く出て行けば、引っ越しの費用を不動産屋が出してくれるとのことで、両親はどうしても持って行きたいものだけまとめてさっさと実家を離れた。きっと実家は壊して、次の家主が依頼した家が建てられるんだろう。

僕の思春期の思い出が詰まっている小さな家。狭いながらも楽しい我が家。学校から帰ると、親戚関係で起こる修羅場続きの中学生、高校生時代だったけれど、それでも僕の青春がそこにあった。

僕があの家の玄関を開けることは、もうないんだ。

府営住宅に越した親から連絡をもらった時、改めてそう痛感した。そして手元に、役に立たない実家の鍵が残った。

めぐりめぐって、僕は青森市に移住して、今ではなぜかフリーランスのライターになっている。とりあえず監修本も一冊出したし、新聞にも書いたりしている。相変わらず一緒に暮らす彼女に食わせてもらっている身だけれども、20代の時の「独りでは生きていけない」とは何もかも違う。思ったような結果が出せず焦ったりすることもあるが、おおむね今の状況に少しは誇りが持てている。

両親はそんな私の生き方に満足しているようだ。私が懸命に好きな道に生きるのが、私が子どものころからの、ふたりにとっての願いであり続けたし、最高の親孝行なのだと言う。

とは言え、僕は親孝行の面ではまったく自分に自信がない。まあ音楽ライターではそんなことはあり得ないのだが、とりあえず金銭的な成功というものをもし自分が成し遂げることがあったら、彼女と親にはもっと「形になる」恩返しを、なんていつも考えている。

美味しいものを食べに行ったり、旅行に連れて行ったり・・・。

何だか、なんの変哲もない普通の親孝行ヴィジョンで恥ずかしい限りだけれども、世の成長した「元・子どもたち」がそういう親孝行をしているのを見て、やっぱり心のどこかで「自分もああやって喜ばせてあげたいなあ」と思ってしまうのだ。

それができたら、自分もやっと「親孝行できたかな?」と思えるようになるのだろうか。わからない。わからないから、そこに一度立ってみたいだけかもしれない。

その時まで、僕はもう役に立たない元・実家の鍵をずっと手元に持っているつもりだ。「親孝行がちゃんとできた」と自覚できたら、その時に鍵を捨てようと思っている。

たぶん、世間並みの孝行をしても満足できず、鍵を捨てることは一生ないんだと思うけど。

天職の設計技士を辞めた父は、今は大阪でタクシー運転手をやっている。接客業とガツガツ成績を稼ぎに行くのに向いた性格ではないが、人当たりが良く優しいし運転もうまいので、なんとか業界を渡り歩きつつ頑張っている。母は夜中の郵便局の仕分けのバイトという超きつい仕事を選び、これまで触れてきたのとは全く違う層に生きる同僚たちに驚きつつ、12年間やり通し、先月無事定年を迎えた。

そんなふたりの今のささやかな希望は、いつか富山あたりの海も山もある県に移住して、小さな畑で野菜など作りつつのんびり老後を過ごしたいということらしい。もともと、大阪が好きではないのだ。それに、山登りが趣味なので、山の近くには住みたいらしい。

だから、その手助けをするのが今の僕の「親孝行」の目標だ。お金の面も含め、すべてやってあげられたら僕はようやく鍵を捨てられるかもしれない。

そんなことを考えながら、今日もまたあくせく書いている。

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オラシオ

コメント1件

「生きていること」が親孝行です。多分。何があるか分からないのが人生ではありますが、親より先には逝かないようにしましょう♪
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